■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第53回:Vietnam (7)
第53回:Vietnam (8)
第54回:Vietnam (9)
第55回:Vietnam (10)
第56回:Cambodia (1)
第57回:Cambodia (2)
第58回:Cambodia (3)
第59回:Cambodia (4)
第60回:Cambodia (5)
第61回:Thailand (1)
第62回:Thailand (2)
第63回:Thailand (3)
第64回:Thailand (4)
第65回:Thailand (5)
第66回:Thailand (6)
第67回:Thailand (7)
第68回:Thailand (8)
第69回:Thailand (9)
第70回:Burma (1)


■更新予定日:毎週木曜日

第71回:Laos (1)

更新日2007/11/01


メイサイからチェンライの町へ向かい、そこからローカルバスを乗り継いで再びチェンコーンに戻った。チェンコーンの宿ではタイに30年も住んでいるという男性に出会い、彼のこれまでのタイでの生活ぶりを朝方までいろいろと聞かせてもらうことができた。

こういう海外で長く暮らしている人の話というものは、いろんな話がごっちゃになって、どこまでが本当でどこからが人から聞きかじった小話なのか分からないようなところがあるが、それでもやはり自分がまず辿ることはないであろう人の身の上話というものはいつ聞いても楽しいものだ。

このチェンコーンにあるタイからラオスへの国境検問というのは、話には聞いていたが噂に違わず「本当にこれで国境検問ができるのだろうか?」と思わざるを得ないような小さな小屋であった。この小屋の前から出ている小さな6人乗りほどのボートに乗って対岸へ渡してもらうと、そこにはやはり小さな小屋のラオスの国境検問所があった。

これもやはり他の旅人から散々聞かされていたのだが、検問所の役人はパスポートに入国のスタンプを押す時に、スタンプ代だといって300バーツを請求してきた。この300バーツ程度という額は、他の国であればビザ代としてまったく当然のように徴収されたりする程度のものだが、旅の間に小耳に挟んだ情報にようると、このラオスでは別段正規に決められたビザ代というものの徴収はないというのだ。とにかく酒の席で聞かされてきた話であるだけに情報の正確性は微妙であるが、とにかくラオスのような物価の安い国で300バーツを浮かすことができるのであれば、それはそれでありがたいと言わざるを得ない。

物は試しだと思い、「300バーツとは高いなあ・・・」と言ってみると、あっさり、「じゃあ、100バーツだ」と言う。一気に200バーツも下げてしまうところに、「さすがは人が良いと言われるラオスだなあ」と思ったが、「いや貧乏旅行で余分な旅費はないので悪いが払えないんだよ」と念のためにダメ押ししたら、これまたあっさりポンとスタンプを押してパスポートを渡してくれた。まったくラオスというのは、他の東南アジアの国々の、あのねちっこさが嘘のようにあっさりと条件を受け入れてくれるところらしかった。

タイの国境側の町チェンコーンもそれほど大きな町とはいえなかったが、このラオスの国境の町フエサイの静けさと、まるで時が止まったかのようなまったり感は、他のどの国とも違う独特なものがあった。おそらくこの雰囲気が、この国について我々に語ってくれた旅人たちを魅了したものなのだろう。

もちろんまだ入国したばかりの段階で、この国がどうのとか決め付けるのはおかしな話だが、所詮個人個人の印象などというものは、不思議と第一印象やほんの些細なことで左右されるものなのだという単純な事実に旅を続けているうちに気づいてくる。そういう意味では、この国の第一印象はかなり心地の良いものであった。

これまでの経験からすると、これが本当に国境の町なのかと疑ってしまいそうになるほどののどかな町で、早足で歩いて回ろうと思えば町の端から端まで30分ほどしかないようなところだった。

陽が暮れゆくメコンの流れを、丘の上にある寺で出会った人懐っこい笑顔の僧侶たちと一緒に眺めながら、「こんな国があるから旅はやめれないんだ」と心底思った。食べ物も大事だし、見所も大事だ、でも本当に旅人を楽しませてくれるのは、やはりその土地で暮らす人々の笑顔なのだ。

フエサイから20人乗りほどの木製の細長い船に乗って、メコン川を1泊2日で下り、世界遺産にも登録されているラオスの古都ルアンパバーンへ向かった。

メコン川というのはさすがに東南アジア第1の大河である。茶色く濁った河水は、うねりながら力強く大量の水を下流へと向かってとめどなく運び続けていた。このヒマラヤや雲南の山々を源とし、チベット、中国、ラオス、タイ、ベトナムなどの国々を貫いて太平洋へと流れている大河を、木製の船に乗って揺られながらのんびり進むというのは想像していた以上に興味深いものであった。

川底のまったく見えない濁流なだけに、強い流れに押し流されつつ水面下に潜む流木や岩に激突すれば、この木製の船などひとたまりもなくこの泥水の中に飲み込まれてしまうだろう。水面をじっと眺めているだけでも、チェンマイで体験した水難を思い出すのだが、あの川とこのメコンでは規模が違う。

「もし船が沈没や転覆などしたら、この船に乗っている20人ほどの乗客は、ほとんど皆生き残ることはできないだろうな」。他の乗客が熱帯の日差しと暑さにぼ~っとしながら、ビールを片手にのんびりと進む船の旅を満喫しているのを眺めながら、そんなことを考えていたりした。

船の旅自体は、もちろんそんな馬鹿げた心配などまったく必要ないほど快適に、メコンの脇に点在する村とも呼べない小さな集落に立ち寄りつつ少しずつ下流へと下っていた。

「どんぶらこ、どんぶらこ」という昔話に出てきそうなのんびりした船旅は、フエサイを発った日の夕方にパクベンという小さな村に到着した。この船が運んでくる旅人以外には、これといった産業らしい産業もなさそうな、フエサイとルアンパバーンを結ぶメコン川の中継地という趣の村であった。そんな村なので、もちろん大きな寺院や観光地などもあるわけがなく、どの旅人もビールでも飲みながらのんびりと、ただただ日が暮れていく時間帯を過ごしていた。

ラオスのいいところは、工業がまったく発達していないために、こういう山間部の自然の景観がなんとも言えず心を落ち着かせてくれるところだ。もちろん素朴な料理もその魅力のひとつで、食材はすべてブロイラーなんて言葉すら聞いたことがないような放し飼いの有機飼育の動物と野菜で、これ以上にないほどに素材の素朴さを生かした味わいを楽しむことができる。その上、顔立ちがタイやカンボジアに比べるとずっと日本人と似通ったものがあって、遠い国でありながらどこかしら郷愁を呼び起こすものがある。

観光客相手ではなく、普段着として民族衣装を着ているような山岳民族も買出しに来るのどかな村で、都会でのストレスなど忘れて、静かに日の暮れゆくのを一泊50セントの宿で過ごすのだ。

船はさらに1日かけてゆっくりとメコンを下り、ラオス観光最大の目玉といわれる世界遺産の古都ルアンパバーンに到着した。このルアンパバーンというところは、確かにメコンという大河の畔にあるという地理的好条件は持っているのだが、冷静に周辺地理を眺めてみると、海から遥かに離れた山がちな小国ラオスの真ん中にひっそりと花開いたラオ族の宝箱みたいな町である。

世界遺産に登録されてはいたが、ラオスという国柄からか観光客自体がそれほど多いわけではなく、またどこまでも穏やかでのどかな国民性のおかげで、この古都もまたそれなりの規模を持っていながら、決して人を急かすような雰囲気を一切感じさせない癒しの都といった趣であった。

中国やベトナムでは、時には苛立ちを覚えたり、時には現地の人間に絡まれたりしながら旅を続けてきたが、そんなことが嘘のようにすぐお隣の国のこの町では、気持ちのガードを開放してリラックスしきることができた。

人種的なものがそうさせるのか、はたまた文化的なものなのか、気候的なものなのか、それともただ単に食べているものが違うだけなのか、本当にこのラオスという国に暮らす人々の温もりは、居心地の良い東南アジアの中でもさらに良いものであった。

食べ物といえばこのラオスでは、日本と同じく粘り気のあるスティッキーライスを食べているのにも驚かされた。中国やベトナム、タイなどは米食ではあるが、日本のそれとは違うドライでパサパサしたあのタイ米系の物が主流であったからだ。

どこかで読んだことがあるが、日本人の源流はこのラオス周辺から来ているのかもしれないなと本当に思わせてくれる。
「もし我々が東南アジアに住み着くとしたらここだろうな」、そんなことを考えさせるほどこの町との相性は良かった。

…つづく

 

 

第72回:Laos (2)