■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第52回:Vietnam (7)


■更新予定日:毎週木曜日

第53回:Vietnam (8)

更新日2007/04/12


ほんの短い間の滞在だったにもかかわらず、天使と悪魔の顔を味わわせてくれたホイアン。どうも旅立ちの気持ちがブルーなのは、この町の印象が後半悪くなったからという理由だけではなく、よく考えてみれば北京から始まって、桂林、ハロン湾、フエ、そしてホイアンと世界遺産に登録されているような名跡ばかりを巡り続け、ちょっとばかし歴史疲れみたいな堅苦しい気持ちになっていたのかもしれなかった。そこで次に行く先は、少し気晴らしができるような場所にということで、ベトナム随一のビーチリゾートといわれるナッチャンへ向かうことにした。

ホイアンの街角でニャチャン行きのバスを待っていると、そこにはハノイからフエまでの夜行バスで隣り合わせの時間を過ごしたフランス人カップルがいた。内心、「もう、こいつらの隣の席だけはごめんだな…」と思っていたのだが、生憎ここホイアンに着いたバスはすでに満席に近い状態で、カップル同士で座れる空席は、バスの真ん中あたりに位置する斜め向かいのシートが二つ空いているだけであった。まあ、旅というのは得てしてこういうものである。

夜中の3時頃になぜか突然バスは食堂に止まり、そこでドライバーは夜食のフォーを食べはじめた。別に腹が空いていたわけでもないのだが、人が喰っているのを見るとなぜか食べたくなるのが胃袋というものらしく、気がつけば自分も含めて乗客のうちの半数ほどはここで夜更けのフォーをすすることになった。たっぷりのもやしとシラントロを盛って、ライムをキュッと搾ったフォーは、狭苦しい車内で窮屈な思いをしていた時間にしばしの憩いを与えてくれた。

この店は、ヤモリが十数匹ほども壁に張り付いてチッチッと鳴くような田舎の食堂であったから、裏手にあるトイレは扉さえない開けっぴろげの簡潔な造りをしていて、食べ終わった客たちはトイレから少し離れたところで一列に並んで自分の順番を待っていた。そこへ、現れたのが例のフランス人カップルの男性である。

「なんで君たちこんなところに立ってるの?」というような顔をしながら並んで待っていた人たちを一瞥すると、さっさとトイレの方へ向かって歩き出してしまった。そのあまりの突飛な行動に、列の中の人は誰も声をかけなかったが、声がかかったのは扉もないトイレにしゃがんでいた若い女性旅行者からであった…。

翌朝、ニャチャンに到着した我々は、バスが乗り付けてくれた安宿に部屋をとることにしたのだが、その中には他の乗客に混じって例のフランス人カップルもいた。全く、よほど我々には彼らと縁があるらしい。

窮屈なバスの旅の後で、また狭い部屋に閉じ込められるのに嫌気がさして、宿に荷を下ろすとすぐに町へ出た。暑さというものも、ここまで南へ下るとさらに一段と質を変えるもののようだ。中国南部のジメッとした暑さが、ハノイ辺りで亜熱帯特有のものへとさらに暑さを増し、このニャチャンでは本格的な南国の肌に刺すような暑さとなった。

朝早いにもかかわらずこれだけ暑さが厳しいのであれば、ベトナムで一番のビーチリゾートといわれるニャチャンのビーチでの水泳もさぞ気持ちがよいだろうと考え、まずなにはともあれビーチへ向かった我々であったが、予想に反してその海岸はゴミが散乱し、透明度の低い、南国の青い海と蒼い空というものには程遠い海水であった。期待していただけにガッカリ度も大きかったが、とりあえずせっかく来たのだからということで軽くひと泳ぎだけして、リゾートなどという言葉とは程遠い感想のまま早々に引き上げた。

ビーチが全くの期待外れだったということもあって、特にそれから先にやることもなくなった自分は、町へ散歩に出かけたエリカと別れて宿の近くの食堂へ入り、朝からビアホイを飲みつつ、海岸の町らしい新鮮なシーフードを食べながらのんびりと時間を潰すことにした。

ちなみにこのビアホイという飲み物であるが、これはベトナム全土の屋台や路地裏の安食堂で労働者たちが好んで飲んでいる、かなりメジャーな飲み物である。まあしいて言うならば、生ビールといったところなのであるが、実際のところビールであってビールでないような微妙な味をしており、冷蔵庫もないような屋台などで出される飲み物であるからして、いつも生ぬるい状態で出されるというトンデモな飲み物なのである。

しかも、店の裏手に置いてある大きなポリタンクから、客席へ出される個別の小さなポリタンクへ移す時には、おばさんがホースの先をいったんチューと吸い込んで、それで勢いをつけたビアホイを大きなポリタンクから小さなポリタンクへと移すというおまけつき。

そういった類の飲み物であるだけに、値段だけは本物のビールとは比べ物にならないほどに安く、1リットル注文しても5,000ドンほどといったところ。つまり1リットル飲んでも、US30セントそこそこなのである。ただし、おばちゃんがチューとやって移したビアホイを、これまた水質の怪しい仄かに薄茶色をした氷をコップに浮かべて飲む、味もアルコール度数も薄々のドリンクなので、そういうのが駄目な人にはいくら安くても手を出したくはない飲み物かもしれない。

まだ町も目覚めきらぬうちから、シーフードをつまみにビアホイという自堕落な朝を過ごしていると、宿の周りを散策してきたエリカが、「日帰りクルーズツアーに出かけよう!」と言ってきた。なんでも、シンカフェが企画しているニャチャン沖への日帰りクルーズツアーは、ランチ込みで一人7ドルなのだとか。全くもって、ベトナムというところはこの手のツアーが本当に安い。ここにいても別にやることはなかったところだし、クルーズツアーというのは、なんだかその音の響きだけでも南国へやって来たという感じがするではないか。

宿からシンカフェへ連絡してしばらくすると、迎えのバンがやって来て我々をボートに乗る港まで運んでくれた。クルーズツアーとはいっても、所詮小さな漁船だろうくらいに思っていたのだが、実際のそれは屋上部分がテラスになっている、かなり大きな漁船を改造した、木製とはいえ意外にもしっかりとした造りの2階建ての船であった。

客層は10代後半から20代中頃という若い世代が多かったが、それだけに船上はかなりの盛り上がりをみせ、船が海上へ出てしばらくすると、いきなり大声で歌を歌いながらビールで酒盛りというような船上パーティーへと展開した。

最初のシュノーケリング・ポイントであるエボニー島に到着するころには、もうみんなすっかりでき上がった状態で、軽い酔い心地のまま珊瑚礁の合間を漂うことになった。はっきりいって、こんな酔っ払いが20人ほども一斉に波間を漂うこと自体が危ないこと極まりないのだが、シューノーケリングを終えて、船上でランチとデザートのフルーツを食べた後は、この海上の酒宴はさらにエスカレートすることになる。

というのも、島から50mほど離れた足も着かない沖合いに停泊した船から、船員自らがいきなり海中へ飛び込んだかと思うと、そのまま乗客に向かって浮き輪を抱えて飛び込めと誘ってくるのだ。だが、驚かされるのはここからである。というのも、海上に集まった乗客には、飲み放題のワインが振舞われるというおまけつき。いわば海上居酒屋状態と化したボートの周りでは、顔を真っ赤にした酔っ払いたちが、大声で叫び声を上げながら騒ぎまくる。こういう時の欧米人の狂乱振りといったら、とてもじゃあないが日本人にはついていけるものではない。

ボトルだけは輸入物のワインボトルであったが、中身はどう考えても密造酒丸出しの、お酢が半分入ったような酷い味がするワインの栓が次々と開けられ、この海上居酒屋の時間だけでも軽く20本は消費していただろう。

みんな酔っ払いすぎて、中には人に引き上げてもらわないと海から船へ上がれない輩もいるような状態であったが、海から上がった後は、休む間もなく船員の即席生バンドに合わせた船上ダンスパーティの時間が待っていた。海上居酒屋での酔いもあって、その船上ダンスパーティーは、水着を脱ぎ捨てる女性はいるは、なにやら絶叫しながらもんどりうって海へ飛び込む男性はいるはの大狂乱。ここまで静かに旅を続けてきた我々には、ちょっと場違いな気もするほどの盛り上がり振りであった。

散々騒いだこともあってか、次の目的地であるタム島へ着いた頃には、ほとんどの乗客は抜け殻のようになっており、島で平和そうに戯れる親子連れの観光客や、幸せそうにビーチを散策するカップルを横目に、ほぼ皆が皆、木陰でトドのように伸びきって、酔い覚ましの昼寝の時間を過ごすことになった。

帰り際にフィッシングビレッジに寄り、ベトナム南部の漁民が利用するという直径2mほどの竹で編んだ籠船に乗ったのだが、少しずつ水が滲み込んでくるその小さな小船は、海の力を直に感じながら波間にプカプカと漂うことのできる興味深いものだった。

だが、昼間の狂乱振りがどうしてもまだ頭から抜けきらず、魚相手ではなく、酔いつぶれた観光客相手に籠舟を漕ぐ、そのベトナム女性たちの姿はなんだか悲しいものに見えた。

…つづく

 

 

第54回:Vietnam (9)