■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第53回:Vietnam (7)
第53回:Vietnam (8)
第54回:Vietnam (9)
第55回:Vietnam (10)
第56回:Cambodia (1)
第57回:Cambodia (2)
第58回:Cambodia (3)
第59回:Cambodia (4)
第60回:Cambodia (5)
第61回:Thailand (1)
第62回:Thailand (2)
第63回:Thailand (3)
第64回:Thailand (4)


■更新予定日:毎週木曜日

第65回:Thailand (5)

更新日2007/09/13


素晴らしい遺跡群を持つスコタイを発って列車でさらに北へ向かい、タイ第2の規模を持つチェンマイへやって来た。この街は山がちなタイ北部にあるために、タイ国内としては過ごしやすい気候をしており、暑いとはいえども南部のこれでもかというほどの暑さはない場所である。

街はさすがにタイで2番目の規模を持つというだけあって近代化が進み活気に溢れているのだが、タイ全体の20%もの人口が集中するというバンコクに比べると、街全体が和やかな雰囲気を持ち人柄も穏やかである。それだけに世界的にも知られた旅行者の「沈没地」であり、欧米や日本からやって来たリタイア組みの若い女性の現地妻を囲う地としてもよく知られている。

「沈没地」という名の通り、この街の安宿には長期滞在の旅行者が満ちており、彼ら向けの娯楽や食事施設も十分すぎるほどに整っていた。こういう快適な街は、長期旅行を続けようとする者にとっては最大の障壁である。ここでのんびりしてしまうと、バンコクでの時と同じようにあっという間に幾日も過ぎてしまうのは間違いないのだから。

街をぶらぶらしながら、ただなんとなく3日を過ごした後、我々は貧乏旅行者相手の現地ツアー会社が企画する、チェンマイの周辺に住む山岳民族の村を訪ねるという3泊4日のトレッキングツアーに参加することにした。

チェンマイがいくらバンコクに比べて涼しい街だとはいえども、やはりここは南国それなりに気温も高いし湿気も高い。そんな場所で3泊4日のトレッキングに参加してみようというのは、ぐうたらな自分としては魔が差したとしか思えないのだが、宿で出会ったいかにもヨーロッパ人らしいトレッキング大好き人間の口車に乗せられてしまったと言った方が本当のところかもしれなかった。

とにかくこのトレッキングツアー、企画するツアー会社が小さな現地のものなので、その各ツアーによってもかなり内容は違うのだろうが、我々の参加したツアーは楽しめた反面かなり過酷な内容であった。

ツアー会社の前に集合した総勢20名ほどの旅行者を、数台の小さなトラックの荷台に乗せ、山岳部までの半日のドライブからこのツアーは始まった。

途中小さな山岳民族の村に立ち寄り、そこで彼らの手作りのお土産を散々見せられた後でランチをとり、村の外れにある象の小屋から、象の背に揺られてジャングルや川の中を30分ほど練り歩く、「象に乗ろうツアー」を楽しんだ。

このツアーまでは参加者の皆が十分に楽しんでいる様がありありと伝わってきた。自分も象の背中に跨るのは初めての経験であったので、想像以上に高さのある象の背中から見下ろす周りの風景と、大きな体に似合わず器用に悪路を闊歩する象の歩みに感動していた。

「象に乗ろうツアー」を終え、いざ我々は山へと向かって歩き出した。30分ほど歩いたところで、午後の一番暑い日差しのためかツアー参加者の中にはすでに息の根を上げつつある女性も見え始めた。
「まだ30分しか歩いていないというのに、この調子で大丈夫なのだろうか?」と、疑問に思ったのは自分だけではなかっただろう。

そこからさらに30分ほど歩き続けたところで、これまでは山とはいっても半ば丘のような勾配であった坂道が、いかにも山岳地帯に差し掛かってきたという急勾配へと表情を変化してきた。もちろん急勾配とはいっても、ロッキーやヒマラヤのような急勾配というわけではない、しかしこの土地は半ばジャングルの熱帯なのであるから、ほんの少し勾配を増すだけでも不快指数は一気に急上昇するのである。

この段階にきて、先ほどから息も絶え絶えという状態を続けてきた女性の一人が、もうこれ以上進むのは無理だと言って泣き始めてしまった。何も泣くほどの激しいトレッキングだとは思えなかったのだが、欧米人特有の感情の起伏の激しさということもあったのだろう。そして何よりもこのツアーに付いているガイドの山岳民族の男性二人が、山とこの暑さに不慣れな我々のペースをまったく無視したスピードで歩き続けたということにも原因があった。

しばらく泣き続けた後で、「少し休ませてくれ」、「ペースを落としてくれ」と、この女性は懇願し続けるのだが、暗くなる前にキャンプに辿り着くためだろうか、ガイドは一向に足の歩みを緩めようとはしなかった。

我慢も限界だったのだろう、この女性は真っ赤な顔と汗まみれの体を地面に横たえ、無理をしすぎって痙攣した足を放り出して朦朧とした目を見せた。

これにはさすがに周りの皆も心配になり、かつ他の参加者の中にも疲れが溜まり進みが遅くなっていた者が目立っていたこともあって、それをガイドに伝えようとするのだが、グループの進み具合を省みずに軽がると先に進み続ける彼らの姿は、長く伸びきったグループの疎らな列の先の先の方に見える丘の向こう側へ消えようとしていた。

結局、こんな具合のまったく参加者のペース配分を無視した不親切なガイドということもあって、その日のキャンプ地で約10名が一気に脱落することになってしまった。キャンプ地があった村はまだ麓の町に近いということもあって、バイクだけでなく車も入ってこれるところらしく、電気は通っていないのだが、それでも村の人口は50人ほどはいそうなサイズであった。

…つづく

 

 

第66回:Thailand (6)