第396回:鉄道になるはずだったバス路線 - 豊鉄バス伊良湖本線 -
荒波を乗り越えたフェリーが伊良湖港に接岸した。今度は前向きのまま到着し、180度の回頭をしなかった。回頭は航送車を前向きにするために行われるから、今回は不要であった。上部甲板から客室に降りると他の客の姿がない。乗組員を見つけて、下に降りるよう教えてもらう。鳥羽港では客室横の出入り口を使った。伊良湖港は車両甲板を使う。
前向きのまま伊良湖港に到着
ところで、伊良湖岬、伊良湖港の由来となった伊良湖はどこにあるか。地図を見ると内陸に初立ダムがある。しかし、これは人造湖。伊良湖シーサイドゴルフクラブの水面はウォーターハザード。休暇村伊良湖にも水面があるけれど、これも池らしい。正解は「湖はない」である。騙された……いや、誰にというわけではない。この地はもともと「いらご」と称された土地で、当て字で伊良湖となった。多気駅と同じく諸国郡郷名著好字令の仕業らしい。まったくお上は紛らわしいことをしてくれた。しかし、それをずっと放置した人々もどうかしている。伊良湖キャンプ場があるようだが、湖畔でキャンプをしようと思ったら森の中だ。
車両甲板はSF映画っぽい雰囲気
伊良湖港ターミナルは道の駅を兼ねていた。道の駅クリスタルポルトとは洒落た名前である。土産物屋にメロンがたくさん並べられている。渥美半島はマスクメロンの産地で、いっとき話題となった四角いメロンも渥美半島で作られているという。
隣の桟橋に名鉄観光汽船が到着
バスの発車まで40分ほど。地下に展示室があった。世界の椰子の実が並んでいる。童謡『椰子の実』の元になった逸話、椰子の実が流れ着いた地がこの近くの恋路ヶ浜。恋路ヶ浜は高貴な男女が道ならぬ恋に落ち、この地に流れ着いて住んだという伝説がある。展示室には椰子の実のほか、郷土資料もあって、古代の漁の道具や船が並ぶ。人骨も飾ってある。レプリカと書いてあるけれど、薄暗い展示室では怖い。先へ進むと大きな客船の模型がある。これは面白い。個人が作って寄贈したという。これは上階の、実物の船が見えるところに置いてあげたい。
道の駅クリスタルポルト。観光施設でもある
三河田原駅へ向かうバスは新しいノンステップバスだった。乗客は数名で、発車すると次が恋路ヶ浜停留所。次の交差点を左に曲がり、国道259号線を行く。これは渥美半島の中央を進むルートだ。国道42号線だったら遠州灘に面した風景だったのに、少々残念である。観光バスではなく生活路線バスだから、人の多い道を行く。ゴルフ場を過ぎると田園地帯になった。日本の半島は中心線に山が連なり、背骨状になっているけれど、渥美半島や知多半島は背骨がない。だから米やメロンなど農業が盛んというわけだ。
これからバスで向かう三河田原駅は、豊橋鉄道渥美線の終点である。半島の中央とはいえ、どこか中途半端なところだ。それもそのはず。渥美線はもともと、豊橋から伊良湖岬まで建設される予定だったという。伊勢参りへの海上ルートへ接続するという意味もあっただろうし、伊良湖には軍の施設もあったから、資材や兵員の輸送も見込んでいたかもしれない。
渥美線は三河田原から少し先の黒川原駅まで建設された。ただし、戦局の悪化から建設は中断。軍需路線だったにも拘わらず、田原と黒川原の間は不急不要路線とされ運行停止となってしまう。当時は本土決戦の可能性もあり、平坦な渥美半島は敵の上陸予想地点だった。それなら、線路を敵に使われる可能性も予見したはずである。
もし伊良湖岬まで鉄道が開通していたら、どんなルートになっただろうか。渥美半島が平坦なだけに予測は難しい。もしかしたら国道259号線に沿っていただろうか。それなら、私は本来列車が走る予定だったところをバスで旅すると言えそうだ。戦前のもっと早くに伊良湖まで開通していたら、事情は異なったのではないか。今頃は朝夕に高校生を乗せた列車が走り、昼間はメロンを満載した貨物列車が走ったかもしれない。そこまでの想像は楽しいけれど、その先はやはり赤字だ廃線だとなりそうだ。作られなかった路線に対して落ち着かない心持ちである。
バスに乗りつつ、列車に乗ったつもりで心して景色を拝見する。建物が増えてきたと思ったら、乗降客のない停留所でバスが停まった。路線バスなら通過するだろうと不思議に思っていたら、運転士が、「乗務員交代です」と言った。こんな住宅地で交代するのかと聞くと、「あちらに当社の営業所がございまして」と指を向けた。建物の影になってよく見えない。半信半疑で待っていると交代の運転士がやってきた。営業所に寄るのではなく、道端の停留所で交代。しかも引き継ぐ運転士は待機しておらず、バスが到着してからやってくる。これが田舎町のリズムだろうか。いや、道が空いていてバスが早着したかもしれない。
豊鉄バスで三河田原へ
どうもこのあたりが伊良湖地域の終わりのようで、乗客は私のほかに老婆が一人。その老婆はスポーツ新聞を熱心に読んでいる。座席からはみ出した新聞紙の見出しが好色である。彼女はなにに興味を持って、どんな記事を読んでいるのだろう。次のページはプロ野球だった。そこも真剣に読んでいるようで、腕がピタっと止まっている。
窓が明るくなり、やっと車窓に海が現れた。湾のほうである。田畑と建物ばかりの景色に飽きていたからほっとする。しかしまた市街地に入る。もう終わりかと思ったらまた海が見えた。それも長い時間ではなくて、国道が右にカーブして、バスは海に背を向ける。ここまで来るとバスの旅も終盤だ。三河田原駅の到着予定時刻まであと20分になった。
車窓のハイライト、海。しかし僅かな時間
戦時中に廃止となった黒川原駅は、三河田原駅まであと数キロの地点。現在の大久保という場所らしい。私が乗ったバスが国道259号線を離れ、県道28号線、通称田原街道へ曲がる。この交差点が大久保南だった。しかしこの付近の車窓からは、駅や線路の遺構は見えなかった。
-…つづく
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