第375回:目覚めれば祇園・鴨川 - WILLER EXPRESS 122便 コクーン
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至れり尽くせりの半個室『コクーン』搭載バスにはひとつだけ欠点がある。車内にトイレがない。そこはやっぱりツアーバスである。もっともWILLER
EXPRESSの他のバスにはトイレ搭載車もあって、コクーン車両は構造の都合でトイレを設置できないらしい。その対応策として、トイレ休憩のため2回の停車を実施するという。その1度目の停車のアナウンスで起こされた。車内は静寂である。
港北PAで1回目のトイレ休憩
外の空気を吸いに出た。次の停車がいつになるかわからないから、念のためトイレに行っておく。最近は落ち着いているけれど、糖尿病はトイレが近い。下世話な話、用を足せば安心して眠れる。どこまで走っただろうと時計を見たら、まだ23時である。港北パーキングエリアだった。発車して1時間ほどでもう停まる。ちょっと早すぎないか。運転士さんも糖尿だろうかと邪推した。
再びベッド……いや、シートに横たわる。適度な窮屈感である。そういえばコクーンは繭という意味だったな、と今さら気づく。新宿の新しい高層ビルにもコクーンという名前が付いている。繭の中だから落ち着く。ただしこの繭は適度な振動がないと落ち着かないらしい。バスが停車中はなにか不安感があって、動き出すと安心した。そして私は眠った。
ヘッドマークが誇らしげに光っていた
今度の眠りは深かった。次の目覚めは2度目の停車のアナウンスで、すでにバスは停車していた。目を開けると、控えめなはずの照明が眩しい。今度は起こされたという不快感はない。気分がすっきりしている。車外に出ると澄んだ空気が心地よい。時刻は04時30分。空の色はインクブルー。土山サービスエリアの表記がある。耳慣れない地名だ。座席に戻り、携帯端末に地図を表示させた。新名神高速道路。伊勢湾と琵琶湖の中間地点であった。
夜明け間近の土山SAで2回目の休憩
122便の祇園四条到着は05時45分の予定である。あと1時間と少し。夜行列車なら明るくなっていく車窓を楽しむところである。バスではそうもいかない。カーテンを開ければ周囲が明るくなって、となりの繭の住人たちを起こしてしまう。暗いままなら、もうひと眠りするか。しかし祇園四条は終点ではないから、寝過ごしたら困る。私は携帯電話のアラームをセットし、胸のポケットに入れた。
やっとバスの全景を見られた
朝の浅い眠り。振動もエンジン音も心地よい。意識が遠くなり、覚醒が訪れる。それは波の繰り返しのようだ。繭の中はこれほど居心地の良い場所だろうか。こればかりは幼虫に聞いてみなければわからない。私はマトリックスという映画を思い出した。未来の人類は繭のようなカプセルに入れられて生涯を過ごす。脳が巨大なコンピュータに接続されて、人々はバーチャルな空間の夢を見て生涯を終える……。この映画もシートテレビのメニューに入っていたら臨場感があっただろう。
バスのコクピット。かっこいい
カーテンの裾から光が漏れている。少し開けて覗くと灰色の建物が見えた。バスは停止と発進を繰り返し、殺風景な街中を進んでいた。高架線路が見える。ここは映画じゃない。現実だ。地図を見ようとは思わなかった。天井の蛍光灯が光った。アナウンスが祇園四条到着を告げる。私は足元の鞄を引っこ抜き、テーブルの上にセットした電源ケーブルや携帯端末を放り込んだ。背もたれを起こす。居心地の良い繭だったけれど、朝になったら長居は無用だ。列車の旅とは違い、終点まで乗り通す気分になれない。
祇園四条……の道端に到着
バスは祇園四条の道端に停まった。私の他に若い男性と女性がひとりずつ降りて、鞄を担ぎ直して歩いて行った。降りる前から行き先を決めているようだった。降車客は3人目の私が最後。バスの写真を撮り、発車を見送った。さて、阪急の河原町駅はどこだろう。携帯端末の地図を見ると、私の足の下に京阪電鉄の本線が通っている。未乗路線だから乗りたいけれど、今回はパス。この先の交差点を左折して、橋を渡って少し歩くと河原町の交差点だ。
そこは鴨川のほとりだった
バスは予定より10分ほど早く着いたようだ。眠っていくバスで早着はどうかと思いつつ、朝のスタートは早い方がいいとも言える。橋を渡って川を見渡すと、私はここが京都だと実感した。この川は京都の名所、鴨川ではないか。川沿いの建物は広い縁台を張り出している。振り返れば八坂神社への道のりで、そこはまさしく祇園である。早朝だから舞妓さんの姿はなく、夜の長い祇園はまだしばらく眠ったままである。
縁台と山並み。京都らしい風景
京都に来たから京都を感じる。当たり前だ。しかし、新幹線の京都着では、これほど京都らしさを感じられない。バスは京都らしい風景のどまんなかに着いた。目覚めたばかりの旅人に、いきなり旅を感じさせるとは心憎い演出だ。そして、こうした感覚が列車の旅にはなくなったと、私はまた悔しくなってきた。
-…つづく
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