第353回:竜飛岬の散歩道 -青函トンネル記念館・竜飛斜坑線-
係員に誘導されて青函トンネル作業坑を歩いていく。声が響くので、彼のそばにいないと話がわからない。一方で、少しでも遅れると、「説明などどうでもいい」と言う人もいて、のんびりとマイペースな人も現れる。列の最後尾にも係員が付いて、「急いでくださーい」と言う。急いで追いついたとしても先頭の歩みは遅いから、長芋のような形の行列がゆっくりと進んでいる。
海底トンネルを歩く。
青函トンネルも興味深いけれど、私の主な関心はもっと先にあるので気が急いている。私の目的は作業坑ではなくて、作業坑から地上へ向かうために乗るケーブルカーである。色あせた説明看板や湧水くみ出しパイプからの水滴を浴び、重厚な隔離ブロックを通過した。その先にケーブルーの駅があった。
ちょうど車両が到着して、大勢の人々が降りてきた。作業坑道の見学は、私たちのように竜飛海底駅から出発するコースだけではなく、青函トンネル記念館から降りて、また上がっていくコースもある。いや、むしろ記念館からのコースが本来の見学ルートで、竜飛海底駅下車はJR北海道の
"特別な計らい" だといえる。私たちがゆっくりと坑道を進んできた理由は、記念館からのコースとすれ違うための時間調整も含んでいたようだ。
ゲーブルカーの体験坑道駅。
青函トンネル記念館・竜飛斜坑線は、日本最北端のケーブルカーである。もしかしたら北海道にも作業用のケーブルカーがあるかもしれないけれど、営業運転しているケーブルカーとしては日本最北となる。近年はケーブルカーの新規開業はなく、登り斜面の交通手段は斜行エレベーターや小型モノレールが台頭している。さりとてケーブルカーも鉄道事業法で定義される鉄道であるから、日本の鉄道に全部乗ろうという人は訪れなくてはいけない。
オレンジ色の車両が往復する。
観光地の平日に訪れるケーブルカーは空いている。景色がよく見える。ところが、日曜の斜坑ケーブルは混んでいた。全員着席、係員さんが立っている。もっとも、空いていようと混んでいようと、トンネルの中だから景色はない。前方は地上の明るさ、後方は地底。私は車両の中央の座席で地底向きに座っていた。
人いきれで曇った窓ガラスの向こうに目を凝らすと、右下へ降りていく分岐点があった。これは興味深い。観光地のケーブルカーは途中で二叉に分かれ、また合流する仕組みになっている。そこで上下から来た車両がすれ違う。ところがここは1台の車両が往復するだけだ。もともと業務用だから簡素な作りになっているのだろうと思った。しかし、この分岐はなんだろう。1台の車両があっちに行ったりこっちに行ったりするのだろうか。もう少し明るければ分岐器の形状も、分岐した先も見えただろう。
地底の駅を眺める。
景色の見えない時間は長く感じる。10分くらいは閉じこめられたと思ったけれど、実際には数分だった。停車すると乗客たちは急ぎ足で外に出る。私も流れに乗らざるを得ない。その流れの前方からざわめきが起きた。車両の写真を撮っていた私が振り返ると、トンネルの出口の上から、ギロチンのごとく大きな板が降りているところだった。係員が大声で、「これは風門といって、風が下層に流れ込まないように、いつもは閉じています」と言った。地下200メートル以上も下に長大なトンネルを掘ると気圧差が生じるのだろうか。
地上に到着。
ナゾの分岐点、ギロチン風門。景色は見えなくても竜飛斜坑線は面白かった。しかし私たちは留まることを許されず、すみやかに退場させられてしまう。私たちは青函トンネル記念館に入り、カフェテリアのような部屋に通された。ここで休憩していると、係員から地上部見学の説明が行われた。「記念館自体は見る物があんまりないです」と苦笑いしながら話が続く。「皆さんが降りられた竜飛海底駅は、北海道新幹線の工事が始まると一般の方は立ち入りできなくなります」とも。そして次の言葉が重要だった。
「新幹線がトンネルを走り始めた後についてですが、JR北海道とJR東日本は "北斗星" "カシオペア"
については何も発表していません。しかし、"白鳥" "スーパー白鳥" は廃止する方針とのことです」。
ギロチンのような門が下りてきた。
竜飛海底駅の見学は "白鳥" "スーパー白鳥" を使用する。この両列車が廃止されると言うことは、新幹線開業後は竜飛海底駅で降りられなくなると言うことだ。やっぱりそうか、いまのうちに来て良かった。そんな安堵と、北海道側の吉岡海底駅を見逃した後悔で複雑な心境である。吉岡海底駅は4年前に閉鎖されてしまった。あのときは「休止」という言葉だったので「再開」があるかもしれないと期待していた。でも、どうやら望みは絶たれたようだ。
竜飛岬への道順と再集合の時刻を教えてもらい解散となった。しかし竜飛岬へは一本道で、ほとんどの参加者が岬へ向かった。だから集団行動はそのままである。ただし、閉鎖されたトンネルからの開放感からか、行列はさらに拡散している。私は母と歩いている。前後に母と同年配の人たちのグループが歩いていた。ときどき近づいて言葉を交わし、また離れていく。最北の岬もまだ暑く、汗を拭きながらの散歩となった。
竜飛岬へ向かった。
竜飛岬には灯台と展望台しかないと思ったら、階段国道があった。国道なのに歩道の階段という珍しさで、ときどきテレビや雑誌で紹介されている。見てみたいと思いつつ、鉄道からは離れた場所だから無理だろうと思っていた。これは幸運と思い、階段を下りていく。紹介される場所は、道路の終わりで階段の始まり、つまり階段の下である。そこに上から降りていく。階段というよりは山道に近い。降りていけば、その分上らなくてはいけない。でもその先が見たい。降りる方がラクだから、好奇心に任せてついつい降りてしまう。
階段国道の入り口。
しかし、港町が見渡せる場所で踏みとどまった。眼下には青い海。小さな建物が寄り添うように集まっている。風の音しか聞こえない。港に船がいないから、漁師たち男衆は海に出ているのだろう。船が出てから戻るまで、この町のすべてが静かに待ち続けている。どこからか子供が遊ぶ声が聞こえる。物語に出てきそうな、平和で美しい田舎町である。本当のところは住んでみないと解らないだろうけれど、今後、"平和"
という言葉に出くわしたら、まっさきに思い出しそうな風景だった。
小さな漁村が下りてきた。
ずっとここにいたい。できればこの町からバスで記念館に戻りたい。しかし、そんな都合の良い路線はなさそうだ。要するに階段国道を上りたくない。しかし戻らなければ帰れない。母が階段の上で待っている。私はよろよろと階段を上る。道は木陰で、見る分には涼しそうだ。しかし汗が止まらない。立ち止まって休んでいると、腰の曲がったお婆さんがとぼとぼと降りてきた。この人は毎日、この道を通っているのだろうか。
母と合流したあと、岬の展望広場へ向かった。階段国道に対抗したらしく、階段村道という看板があった。また上りである。しかし、今度は上っても下りるだけだ。竜飛海底駅からの人々とすれ違う。彼らは岬の眺望を楽しんで記念館に戻るところだ。階段国道で寄り道をしたから、私たちだけ出遅れた。急ぎ足で岬へ上がり、呼吸を整えながら海を眺めて、すぐに引き返した。
竜飛岬から北を望む。
-…つづく
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