第392回:記憶の上書き - 紀勢本線 亀山-松坂 -
柘植発10時20分の列車は亀山に10時44分に着いた。紀勢本線の列車は11時15分発。参宮線に乗り入れて、終点の鳥羽まで直通するという、私にとって都合の良い列車である。亀山の人々にとっても便利なのだろう。発車30分前の車内はすでに満席だった。
単行ディーゼルカー、JR東海のキハ11
関西本線は大阪難波、奈良と名古屋を結ぶ。亀山で分岐すれば伊勢へも行ける。古来からの重要なルートであるけれど、伝統と人の流れは近鉄ルートに受け継がれた。ただし、近鉄は亀山を通らない。旧東海道の宿場町を継承する人々にとって、やはり関西本線や紀勢本線は"生活の本線"である。
亀山から津へは約20分。伊勢市へは1時間半。11時15分発の列車は接続しないけれど、津で『快速みえ』に乗り継げる列車もある。この列車だってもう少し調整すれば接続するダイヤになりそうだけど、津に到着する5分前に『快速みえ』が発車してしまう。惜しい。
立ち客の多い車内で、私の居場所は自然に運転席の横になった。往復できた亀山と柘植の間と違い、ここから先は後戻りできない。景色を見ようという意識が自然に強くなる。
鈴鹿川を越える
亀山を出た列車は右へカーブして鈴鹿川をわたった。対岸にも集落がある。伊勢参りの川の渡しで栄えたところかもしれない。此処から先は川と交わるように南下していく。丘や山とも交差する。単行のディーゼルカーはさっそくトンネルに入った。
この車両はキハ11形。JR東海の所属である。外観も客室も、第三セクターで見かける車両に似ていた。国鉄時代の車両のような重厚感はない。トンネルを通るとはいえ、海岸に向かっているわけだから下り坂だろう。まるで電車のように静かですいすい走る。電車との違いはフワフワとした揺れがあるくらいで、これは線路の規格によるものだろう。
トンネルを出て、丘を過ぎれば川があり、町がある。そしてまた丘。今度はすぐにトンネルに入らず、離陸旋回するかのようにカーブしながら勾配を上っていく。最近の鉄道のように、山があればどこでもトンネルというわけではない。むしろお金がかかるトンネルを最小限に留めるように線路を敷く。そうかといって、迂回も過ぎれば費用がかかる。トンネルにするか迂回するか、限られた予算で線路を延ばす。紀勢本線も関西本線と同じ民間資本で造られたから、線路の佇まいにコスト意識が見え隠れする。
川、丘、田園、町……
下庄駅を過ぎ、二つ目の丘を通り過ぎると平野になった。水田が広がり、次の駅はその名も一身田。一身田とは、功績のあった人が朝廷や天皇から授かる一代限りの水田という。このあたり、なにかと伊勢神宮の関わりを思わせる地名が多い。水田をもらうといっても、自分で耕せという意味ではなかろう。小作人たちからの利を得る立場になった。だから人が集まり、古くから栄えたのだろう。関西鉄道は津への支線としてこの線路を建設し、まずは一身田までを開通させている。
一身田駅で列車交換し、水田に住宅が混じってくるともう津であった。伊勢鉄道線が合流し、近鉄の高架の下を通る。ちょうど黄色い特急電車『伊勢志摩ライナー』がやってきて、並んで津駅に到着した。次にこの地を訪れる時はあれに乗ろうと思う。でも、近鉄は2年後に新しい観光特急を走らせる計画がある。2年後くらいなら待って新型でもいい。
こちらのホームには名古屋行きの『ワイドビュー南紀』が到着した。こちらもJRの看板列車だけど、行き先が違うから、直接の競合相手ではない。もしかしたら、互いに相手をライバルとは考えていないかもしれない。
津に到着。伊勢志摩ライナーの美しいシルエット
津駅は三重県の県庁所在地にあり、日本一短い駅名としても知られている。私が子供の頃、テレビで「津駅の駅名標を遠くから見ると"?"に見える」と紹介していた。ひらがなの"つ"が大きく、その下に漢字の"津"があって点に見えたからだ。面白いと思ったけれど、27年前に訪れた時は違うデザインに架け替えられたようで"?"に見えなかった。そして今日も"?"には見えない。
亀山から乗ってきた人々は、津でほとんど降りた。空席ができたので、私はやや童顔の若い女性の向かいに座った。この先の旅が少し楽しくなるな、と思ったけれど、彼女も荷物を整えて降りてしまう。ボックス席を独り占めできて嬉しいような、寂しいような。しかし近鉄特急が気になって、この件はもう忘れた。
私が乗っている各駅停車と黄色い近鉄特急は、ほぼ同時に発車した。ここからしばらく近鉄の線路と並んでいる。あちらは特急だから勝ち目はない。引き離されてしまう。鉄橋を渡り、近鉄だけ駅があり、また鉄橋を渡ると、近鉄の線路とはお別れである。
阿漕駅。元の阿漕の地名の由来は何だろう
こちらの停車駅は阿漕。アコギな商売の阿漕である。ここから見えないけれど、約2キロ東に阿漕ヶ浦がある。その海は伊勢神宮に献上する魚がいるため禁猟とされていた。しかし、がめつい漁師が何度も密漁を繰り返し、「阿漕にしつこい悪人がいる」と噂となって、阿漕な奴というようになったとされている。転じて、阿漕な商売とは違法または違法スレスレを承知の商いを言うわけだ。
阿漕を出ると左手に小さな鳥居が並んでいた。神社だなとよく見ようとしたら、窓に水滴がついた。大粒の雨。曇り空が暗くなり、いよいよ景色も見えなくなるだろうか。持ちこたえて欲しいと思う。車窓には水田が増えて、農業地域かと思えば右の車窓は建物が並んでいる。線路が地域を分けているようだ。高茶屋駅に停まった。駅舎は建物が多い地域側である。ここで10人くらい降りた。どんどん人が減っていく。列車はしばらく止まり、上りの快速みえを待った。
雲出川を渡り、六軒駅に停車。上り普通列車がこちらの到着を待っていた。単線でも本線である。列車の運行は多い。その先でまた鉄橋。三渡川である。鴨長明の伊勢記に登場する川で、潮が引いた時、満ちた時、その間で渡る場所が変わるという。はたして鴨長明はどのあたりで渡ったか。ちなみに、伊勢街道の橋は車窓左手にあり、一瞬で過ぎていく。
車窓左手に近鉄の電車が現れた。各駅停車である。近鉄もここまで来ると2両で、あちらもローカル線と言えそうだ。近鉄の線路はまた高架になってこちらをまたぎ、いったん離れていく。こちらは右手に単線の線路が寄り添って並ぶ。名松線である。2009年の台風被害で家城から先が不通になり、JR東海はこのまま恒久的にバス代行にする方針を示したものの地元が反発。不通区間の工事費を地元負担して運行再開の見通しだという。
近鉄電車も松坂駅へ集合
私は1984年に名松線に乗っている。もっとも、このあたりの風景を覚えていないと同様に、名松線の記憶も薄い。運行が再開されたら、また乗ってみたい。当時の自分の印象は薄かったけれど、地元が多額の費用を負担しても残したい路線である。どんな路線だったか興味がある。
列車は松坂駅に到着した。近鉄とJRが共有する駅。松坂牛の松坂である。そういえば、ここには大学の合宿で来たと思いだした。しかし、池袋から夜行バスで来たせいもあるし、面白くもなかったから記憶が欠落している。駅前の肉屋で牛丼を食べたけれど、肉片が見えず玉ねぎ丼のような代物でがっかりした。いや、これは高校時代の旅の記憶だ。
松坂駅着
今回は松坂を通りすぎる。しかし松坂という場所は再訪し、思い出を塗り替える必要があると思った。
-…つづく
|