第354回:函館山の昼と夜 -函館市電・函館山ロープウェイ-
竜飛海底駅の発車時刻は16時18分。集合時間はそれより1時間も早かった。おかげで竜飛岬から早歩きをさせられた。青函トンネル記念館について、係員氏に、「もう少しいいか」と確認し、前庭のような芝生の広場に行く。そこには青函トンネル掘削に使った機械やトロッコ客車が並んでいる。作られてからずっとトンネルの中で働き続け、引退して陽だまりの中にいる。そう思うと、無骨で塗装の剥げた姿に胸が熱くなる。労ってあげたいけれど、どうすればいいだろう。本当に労るべき人々がいるはずで、その人たちは朽ち果てていく車体を見て心が痛まないのかと思う。いや、敢えてそのままにしたかもしれない。土に返す。滅びの美学。青森のキハ27も同様で、それが北の人の美学だろうか。
作業員用トロッコ。
目礼を捧げて振り返ると、天皇陛下皇后陛下行幸啓記念碑があった。この石碑は海底から採った石だろうか。トンネルに入るED76型機関車と客車が刻まれている。母は皇室のファンで、よく皇室関連のテレビ番組を観ている。記念館入り口で待っていた母に知らせて、見るように進めたけれど、行こうとはしなかった。日中の散歩で疲れたようだ。
天皇陛下皇后陛下行幸啓記念碑。
ケーブルカーで降りていく時、上りで気になった分岐器について聞いてみた。「これから説明するところです」と言われてしまい、思わず、「失礼しました」と詫びた。そして話を聞くと、このケーブルカーは見学者の輸送と工事の輸送の両方を担っていて、降りていって直進すると見学者用ホーム、分岐した先は工事関係者用ホームと荷役場になっているとのことだ。ケーブルカーの車両も見学者用と工事関係者用で異なり、見学シーズンが終わると線路に載せ替える。そういえば、ケーブルカーの上の駅の建物内に、もうひとつの客車と貨車があった。
作業員用ケーブルカーと貨車。
分岐の先、作業員用荷役場。
地下の駅で降りて係員についていくと、あの分岐の先に出た。工事関係者用の発着場でホームはなかった。その先に使用済みの工事用車両、津軽海峡に棲む魚を飼っている水槽、工事を再現した人形などが展示されていた。どうやらこちらが体験坑道見学コースの
"本線" のようだ。列車の発車時刻よりずっと前に集合させられた理由がやっとわかった。この段取りを先に言ってくれたら集合時刻より早めに戻ったと思う。いや、説明されたけど私が聞いていなかったのだろう。
作業坑の展示はまだまだ続く。
予定の見学コースを終了して竜飛海底駅に戻った。遠くから列車がやってくる音が聞こえて、闇の中からヘッドライトが浮かび上がる。私たち何人かは通路から腕を伸ばして、到着する列車の写真を撮った。暗いので出来栄えは悪いけれど、おそらく二度と訪れない場所の写真だ。
竜飛海底駅に到着する白鳥15号。
ほんの少し前に竜飛岬から見た碧い海。その深い水の底、その下を特急 "白鳥15号" が走った。窓の外が明るくなれば、そこはもう北海道だ。半年前に急行
"はまなす" で走ったところ。今日は昼間だから景色が見える。地上に出て、何度か短いトンネルを潜るところも青森側と同じ。ほんの挨拶のような感じで木古内駅に停車すると、その先で海が見えた。白波の立たない穏やかな海。しばらく走ると、海の向こうに島のような函館山が現れる。
函館湾越しの函館山。
戊辰戦争末期、旧幕府軍榎本武揚は新選組の土方歳三と津軽海峡を渡り、箱館港に入ろうとした。しかし港には外国の船がいくつかあって、軍艦8隻が函館を奪えば諸外国を敵に回してしまう。やむなく彼らは函館山を迂回。その先の恵山も回って森で上陸した。1868年12月4日のことだった。彼らはどんな思いで函館山を見つめただろう。新幕府軍の五稜郭に対抗するために、函館山は最適地ではなかったか。
函館駅 きれいになった……。
私たちは電車で予定通り函館に上陸した。市電の全区間に乗車し、函館山に上って夜景を見るという段取りだった。しかし、荷物を預けようと駅前のホテルにチェックインしたら、母に、「シャワーを浴びてから行くわよね」と念を押された。一人旅なら体臭を放ちつつ電車に乗り回るところ、母親に理性を正される。シャワーを浴びれば体が乾くまで動きたくない。結局1時間の遅れで外に出た。市電の一日乗車券を買ったけれど、函館駅前から湯の川へ向かったらどんどん暗くなってしまい、すっかり日が暮れた。
函館市電で日が暮れて。
それでも一人旅なら、「夜の街見物もよし」と続行するところだけれど、どうも母が退屈そうで、ローブウェイに最寄の十字街駅で降りた。ここからローブウェイ駅までは約600メートル。曲がり角からは上り坂である。暗い道の途中で隠れ家のようなレストランをみつけた。ここに住んでいたら通ったかもしれないと思いつつ坂を登る。昼間はよく晴れていたけれど、ロープウェイ駅につく頃には小雨になり、雨粒が大きくなってきた。山の上の灯火か雲の中のように霞んでいる。
函館山ロープウェイのゴンドラは125人乗りの大型だ。そこにちょっと混んでるな、という程度の客が乗った。つまり約100人となるだろうか。私たちの位置は麓側の窓に近かった。おかげで夜景が見える。しかし頂上駅に近づくとゴンドラは霧に包まれた。展望台には大勢の客が手すりにしがみついていた。霧はそれほど濃くはなく、風が吹けば少し晴れる。霧が晴れて夜景が見えると歓声が上がり、霧が濃くなると人が動く。それを何度か繰り返しているうちに、とうとう雨が降り出した。
霧の夜景もまた美しい。
-…つづく
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