第372回:早春の住宅街 - 名古屋市営地下鉄桜通線延伸区間 2 -
新築の徳重駅。ピカピカのコンコースでは写真の展示があった。開業記念の催しのひとつらしい。改札を出るとコンビニがあった。今は空いているけれど、朝夕の通勤通学客には重宝するだろう。私など、いつも出かけるときにボールペンやハンカチを忘れている。昼時ならお弁当を買って散歩するところだ。しかし今日は新幹線の中で朝御飯を食べたばかりである。
ピカピカの徳重駅コンコース
地上に出ると立派なバスターミナルがあった。停留所に係員が立っている。地下鉄が開業してバス路線が再編成されたから、しばらくは案内係が必要だ。バスターミナルから道路へ出ようとしたら、数人のビラ配りに囲まれた。私は反射的にすり抜けて逃げた。不動産屋や飲食店のようだった。私は今日限りの旅人だから、客として期待されても困る。
新しいバスターミナル
駅前から早足で歩くと、ここにも駐車場付きのコンビニがあった。地下とは別のチェーン店だ。今後、地上と地下で競争になるだろうか。ここで私は立ち止まり、携帯端末で地図を開いた。辺りを見渡すと住宅街だ。南にある大きな緑地はゴルフコース。駅周辺にはいくつか水場があって、駅前は要池公園。北へ500mほど行くと神沢池がある。ちょっとした散歩の距離だからと神沢池に行ってみた。
県道に交番があって、その先を右に曲がって水路沿いを歩く。快晴で暖かい春の日である。しかし春らしい緑は少なかった。乾燥した地域だろうか、邸宅の生け垣は濃い緑色であったけれど、水路沿いの草は枯れていた。カサカサと茶色の草を踏んで歩く。風が心地よい。周りは住宅街で人通りは少なかった。しばらく歩くと保育園があり、なんとなく、首から提げていたカメラを鞄の中に入れた。観光地でもないところでカメラを構えたら変質者にされかねない。
水路を遡って散歩
水路の突き当たりに水門があって、そこが散歩道の終点であった。神沢池である。岸辺は枯れた葦で覆われていた。ごく普通の、公園という程でもない風景だ。しかし、犬の散歩には良さそうである。弁当を持って行くほどではないけれど、もっと暖かくなれば、こどもたちがザリガニ釣りをするだろうか。あるいは冬に水鳥が遊ぶだろうか。水辺は心を落ち着かせる。住宅地が連なる中で、この池に面した家はちょっとお得な物件かもしれない。
自然を残す神沢池
水路を戻って県道を渡る。駅の向かい側の池は要池という。四角で人工的だなと思ったらそのとおり。大雨の雨水を溜めるための人工池であった。おそらく神沢池が氾濫したときの備えだろう。こちらは公園が整備されており、周囲に桜が植えられている。この日、東京も名古屋も開花宣言が出たというけれど、ここの桜はまだつぼみが開いたばかりだ。郊外だから都心部より涼しいのだろう。桜の代わりに白木蓮かコブシか、白い鞠のような花が咲いている。
人工の要池
要池をひと回りして、終着駅探索に満足した。駅に戻るとビラ配りの人数が減っている。周囲に私しかいないので、こんどは無視しづらい。ビラとポケットティッシュをいただくと、名古屋市交通局とあった。思わず振り返り礼を言う。今日はこの電車に乗りに来たんですよ、と言うとどちらからと訊くので、東京からと応えた。驚いた顔をされたので、リニア鉄道館の前に寄ってみましたと付け加えた。納得したのか、良い天気でよかったですね、と笑顔を返してくれた。
ポケットティッシュという、ささやかな開業記念品をいただいた。すぐに封を破って鼻をかむ。まだ花粉の時期であった。改札階へ降りて、コンビニに立ち寄る。なんとなく気分が良くて、おにぎりと飴、カップケーキなどを買った。レジで「新しい駅は気持ちいいいですね」と言うと、店長の名札をつけたオジサンがレジを叩きつつ「昨日は賑わっていましたよ」という。それなりの賑わいがあったようで安心した。
改札に入り、先ほど通りがかって気になっていた写真の展示を丁寧に見て回った。この辺りの今昔の風景。市電の姿や航空写真がある。私に続いて、初老の紳士が写真をながめている。ひとつひとつの写真の前に立ち止まり、何かを思い出したように小さくうなずく。この地に住む人なら、懐かしくて涙が出そうな写真だろう。そんな様子から、ひたひたと新線開業の喜びが伝わってきた。
改札内の記念展示
帰りの電車は1両あたり2~3人の乗客だった。もっとも、駅に着くたびに少しずつ増えてきて、野並からは都会の電車らしくなった。私の向かいのロングシートに若い女性が座っていた。濃い色の、新しいスーツを着て、おとなしいデザインの鞄を膝の上に載せている。似たような姿の女性が他にもいる。リクルートスーツだ。3月末。私の時代のこの時期は、ほとんどの友達が卒業旅行を楽しんでいた。今はそれどころではないようだ。就職難の時代だと思う。
東日本大震災の影響で、景気回復は遅れるという。もちろん私たちにも試練の時代が続くだろう。若い人には気の毒だけれど、むしろ、若いうちに試練を経験したほうが良いかもしれない。春から私はまた大学の教壇に立つ。受講者は主に3年生である。年々、私への眼差しに深刻さが加わっているような気がする。
黒いスーツの女の子たちも私と同じく名古屋駅で降りた。早足で私から遠ざかる。その背中に向かって「ご武運を」と祈った。
|