第359回:終点間際と終着駅の景色 -富山地方鉄道 上滝線-
黄色と緑のツートーンカラーの電車が、平坦な線路を走っている。不二越線と上滝線はひとつの路線として運行されている。いっそ『不二滝線』とでもすればいいと思う。なぜ途中で路線名が変わるかといえば、両者の出自が異なるからである。不二越線は今でこそ約3kmの短さであるけれど、かつては笹津線といって、富山軽便鉄道が南富山から南下し笹津に達する路線を運営していた。しかし、国鉄高山本線が開業すると客を奪われて廃止となった。後に富山地方鉄道が復活させたものの、今度は越中東街道が国道41号線として整備され、クルマに客を奪われた。
北陸に来ると、なぜか雲の形が気になる。
上滝線のほうは富山県営鉄道が建設した路線である。立山鉄道に乗り入れたため、かつてはこちらが富山-立山のメインルートだった。だから富山軽便鉄道の不二越線区間は生き残ったといえる。これらの鉄道会社が後に富山電鉄に合併された。のちに立山線は現在の新ルートが作られて、不二越線と上滝線は稲荷町-岩峅寺間の支線となった。富山地方鉄道は、このように散在した富山地域の民間鉄道を統合してできたという経緯があって、その遺稿がいくつか見られるらしい。
10月半ばだというのに汗ばむ気候で、車内は冷房が入っていた。車窓は建物と畑。都市の郊外によくある風景だ。庭の木にオレンジ色の実がなっている。柿か枇杷のようだ。線路際に洒落た形のアパートが多い。宅地化が進んでいるのだろう。どのアパートも広い駐車場を備えている。しかし、駅のそば、線路のそばに建ててているということは、やはり鉄道に近いという安心感もあるに違いない。新幹線が開業すれば企業の進出や起業も期待できるわけで、そうなると笹津線の廃止が惜しい。
開発(かいほつ)駅の駅舎。
北陸自動車道を潜って布市駅。小さな神社の脇を通った。線路は県道から少し離れたところにあって、路地裏のような風景である。前方に立山連峰が見えてくる。水田に青い稲がある。こんな時期に稲を植えるのだろうか。わざと収穫を遅らせているのか。隣の水田は刈り取ったばかりで黄色いけれど、こちらは青い。
月岡駅には瓦葺きの小さな駅舎と待合室があった。この路線は無人駅にも古い駅舎が残っていて、建築や建物に興味がある人には楽しいだろうと思う。あまり関心のない私でさえ、降りてじっくり見たいと思わせる駅舎があった。大庄駅のそばには農協の倉庫があり、かきらかに線路を向いた荷役場の跡がある。貨物列車が走ったのだろうなと思う。
この先、線路に起伏がある。山に向かっているから当然で、このあたりはまだ丘ともいえない。建物が増えたところが上滝駅。コンクリート作りの立派な駅である。町があって、座席の7割ほどを埋めていた乗客たちは、ここでほとんど降りてしまった。終点の岩峅寺駅のふたつ手前である。この先へ行く人は立山線に乗るだろう。
大庄駅に貨物輸送の跡。
近郊住宅地の風景はここまで。車窓に自然が増える。生活路線から閑散路線に早変わりである。線路は上り勾配になり、また下る。29パーミルの下り勾配があった。路面電車と直通する計画があるというけれど、この勾配は厳しそうだ。路面電車の乗り入れが実現しても、上滝駅で折り返しになるかもしれない。となると、上滝駅と岩峅寺駅間の行く末が心配である。
大川寺駅はコンクリートに固められたシェルターのような構造だ。無人駅である。こんな辺境ともいえる場所に、ずいぶん大掛かりな駅を作ったな、と思ったら、1996年までここは大川寺遊園という遊園地があったという。高度成長期の1950年代に開園し、観覧車やジェットコースターを備えた本格的な施設だったようだ。経営は大川寺ではなく、富山地方鉄道であった。関東、関西の大手私鉄がたどった道を、ここ富山でも辿っていたわけだ。不二越線・上滝線も遊園地へ行く客で賑わったことだろう。ちなみに駅名の由来となった大川禅寺は石仏群で知られているとの事である。
大川寺駅の先に大鉄橋。
大川寺駅を出ると大きな鉄橋を渡った。地図を見て、鉄橋や川があるとは知っていたけれど、今まで凡庸な生活路線の景色だったから、この景色の変わりように驚く。まるで大自然の景色である。この幅広い川は常願寺川といって、おそらく立山連峰から発しているのだろう。上流方向の景色を眺めれば、川面がこちらに迫ってくるような気がする。傾斜が大きいのかもしれない。この景色を見ただけでも上滝線に乗る価値はあった。
常願寺川を渡る。
いい景色を見たな……という余韻を残すうちに、電車は岩峅寺駅に着いた。立山線と合流する駅である。ここも稲荷町と同じく「ハ」の字にホームを配置している。上滝線も立山線も2面2線。ただし上滝線は線路1本が行き止まり式で、残り1本が館山方面につながっていた。その気になれば立山直通列車を設定できるようだ。
これから立山線に乗り換えて立山に向かうつもりだけれど、少し時間があるので構内に佇む。岩峅寺駅は有人駅で、係員が構内踏切に立って乗客を案内していた。駅員に「撮影したいから、ここにいてもいいですか」と言うと、笑顔で、「どうぞどうぞ、見てってください」と応えてくれた。全体的に古い佇まいで、ホームの待合所や、乗り換え通路の庇などの雰囲気がいい。同じ太さ柱が等間隔で並ぶ。太い梁、屋根を支えようと、まるで手を広げたような斜めの柱。長い間、乗客や職員を雨や風から守ってきた。そこには神社仏閣とは別の風格がある。本当は、こういうところに神様がいるんじゃないかと思う。
岩峅寺駅の連絡通路。雨が似合いそうな屋根。
駅舎に入ると無数の写真が展示されていた。この駅が昨年に公開された『剣岳 点の記』という映画のロケ地だったという。明治時代の末期、測量のために未踏の剣岳に登った男達の話だ。私も観たいと思いつつ時期を逃した。この駅は当時の富山駅として使われたらしい。外から眺めると、小さいながらも鬼瓦を載せた和洋折衷の作りで、たしかに明治の頃の主要駅かもしれない。映画を観ていれば、もっと違った感慨もあったことだろう。私は少し後悔した。いずれDVDをレンタルして、画面の中で再会するとしよう。
富山駅として映画出演した岩峅寺駅舎。
-…つづく
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