第366回:廃線跡散歩 - 黒部峡谷鉄道 1 -
黒部峡谷鉄道の列車は定員制で、繁忙期は予約が必須。私が14時14分発の列車をインターネットで予約していた。いまはまだ9時前だから、たっぷり5時間もある。この間に黒部峡谷鉄道の鉄道の日イベントを見物する。宇奈月駅前では廃品の即売会をやっていて、信号機や連結器、パタパタとめくる行き先表示器がある。欲しい、と思うけれど、ぐっと耐える。コレクション癖は強く抑えている。集め始めたら資金も置き場所もキリがない。ただでさえ仕事場はモノがあふれて困っている。「あの世に行くときに棺桶に入らないものは要らない」と自分を戒めている。
宇奈月駅
昼過ぎから黒部峡谷鉄道の車庫見学会が行われる。その前に、黒部川電気記念館を見物した。黒部峡谷のダム開発の歴史を学べる施設である。黒部ダムの難工事は、石原裕次郎の映画『黒部の太陽』などでも紹介されており、最近は香取信吾さん主演でドラマにもなった。この話は黒部第四ダムと発電所の工事を描いた作品だが、そこに至る前、黒部の開発の当初から、大変な苦労の積み重ねだったようだ。崖に張りついて荷を運んだ水平桟道の模型をみる。現代のとび職でも気が引けるだろう様子である。当時の人力は執念で奮い立っていたと思う。
黒部川電気記念館に保存されている電気機関車EB5型
なにしろたっぷり時間があるので、すべての展示物を丁寧に拝見した。この地方に伝わる民話や、江戸時代の山回りを伝えるビデオなどを見ていると、建物の外から選挙の宣伝カーの音が伝わってきた。候補者にとっては、鉄道の駅員や土産屋など、観光産業従事者も大事な票田なのだろう。峡谷に入ってダムや発電所まで訪問しようとする候補者はいないようだ。車の窓から手を振るだけ。道路のないところに行かない。そんな姿勢で黒部の票は得られるか。黒部開発の苦労を知ったばかりだから、この候補者たちは先人の苦労をなんだと思っているんだ、と腹立たしい。物申したい気もするけれど、私はこの地に投票権がない。
黒部開発の初期、大勢の人夫が道なき道を通った
車庫見学会は30分ほどで終わった。凸型電気機関車や保守車両など、ふだん見られない車両を見て、触って、車内に入れた。珍しい体験をして満足だった。残り1時間で黒部峡谷鉄道の線路沿いにできた遊歩道を歩く。この道は、黒部峡谷鉄道の線路を付け替えたときの旧線を再利用したものだ。人気のスポットで、たくさんの観光客が歩いている。もっとも、予約した列車の時間を待つにはここくらいしか行くところがない。
車庫見学会で公開された機関車
旧鉄橋はレールをはずされ歩道に変わっている。その途中で、足元を繰り抜いて金網掛けとし、下が見える場所があった。半畳より小さくて恐怖感はないけれど、その金網の上に立とうとする人はいない。
新旧のやまびこ橋、奥が新線、手前が旧線の歩道
警笛に誘われて、隣の新しい橋を見上げた。トロッコ列車がやってきた。車体は小さいながら、たくさんの客車を連結している。これがどの列車も満席だから、昭和の鉄道黄金時代といった趣でもある。黒部峡谷鉄道のポスターにも登場する赤い橋は、残念ながら緑色のシートで覆われている。紅葉シーズン本番を控えてペンキを塗り替えるのだろう。
トロッコ列車がやってきた
橋を渡りきると今度はトンネルだ。もちろんここも廃線跡である。速度の遅いトロッコ列車でも数分で通り抜けそうな長さだろう。しかし、徒歩だとかなり長く感じる。トンネル歩きに飽きた観光客のためだろうか、壁に発電所の一覧やトロッコ車両の一覧が写真入りで掲示されていた。興味深いけれど、一つひとつ丁寧に読めば、その時間だけトンネル内に留まるわけで気持ちが急いてくる。
旧線のトンネル。手掘りである
トンネルを出ると、黒部川沿いの遊歩道になる。今度は鉄橋を反対側から眺める。その鉄橋を背景に女性の二人連れが写真を撮り合っていた。私がシャッターを押そうかと話しかけると、海外の方だった。韓国か台湾かは分からなかったけど、日本語でお礼を言われた。旅先でアジア系外国人を見かける機会が増えている。アジア全体が豊かになっているのだろう。良いことである。
冬季用の作業員通路
遊歩道は宇奈月ダムの手前まで続いていた。そこで引き返し、宇奈月ダム展望台という、ベンチの並んだところで休憩する。年寄りを連れた家族連れが二組いて、お孫さんだけが元気で動き回っていた。親子三代で旅行とは、これもまた良いことだ。が、こうした場所は独り者には居心地が悪いので駅に引き返す。
遊歩道から鉄橋を眺める
その途中に、人一人がやっと通れるトンネルがあった。厳冬期の列車運休時に、歩いてダムへ向かう交代通勤者や、逓送さんと呼ばれる連絡担当者が通う道である。こんな道を何十キロと、6時間かけて上っていくのだと、記念館のビデオが伝えていた。寒いし、寂しいし、大変な仕事だ。でもダイエットにはいいかな、と思ったりもする。現代なら携帯プレーヤーで音楽を聴きながら、意外と楽しく歩けるかも知れない。なにしろ列車が走るところである。きつい勾配はないだろう。
宇奈月ダム
宇奈月駅は相変わらず長い行列ができていた。しかしこれはチケットを入手済みで改札を待つ人の列である。チケット売り場の窓口は空いていた。訪れる人々は団体客ばかりで、手続きは済んでいるのだろう。私は自宅のプリンターで印刷した予約票を渡した。窓口には小さな引き出しがたくさんあって、その中のひとつに私のチケットが入っていた。調剤薬局のようだ。
行きはリラックス客車、帰りは特別客車。予約時にそれしか選択肢がなかった。本当はトロッコらしい吹きさらしの客車に乗りたい。空いていないかと窓口氏に聞いてみたら、しばらく奥へ引っ込み、戻ってきて、「すみませんが満席です」と言った。
-…つづく
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