第395回:上部甲板で荒波をかぶる - 伊勢湾フェリー 鳥羽-伊良湖岬 -
船旅は海と空が延々と続くだけで変化に乏しい。しかし、国内の沿岸航路は別だ。陸地や島が見えるから、外洋航路と違って景色が楽しい。読書や昼寝で過ごすより、やっぱり景色を見たい。後部デッキに出ると、上部甲板にも上がれた。ただし、一般客は船体の後部まで。船首方向は特等専用となっていた。前が見たければ320円の特別料金が必要だ。まあ、後ろで十分だろう。所要時間は55分である。
客室は景色を楽しむには不向き
知多丸は接岸時に見事な回転を見せてくれた。だから出港時は前向きになっている。つまり私が立っている後部が陸側を向き、そのまま港がどんどん遠ざかっていく。観光船が接岸し、ミキモト真珠島の海側が現れて、陸地を近鉄特急が駆け抜けていく。出港を寂しく思う理由は、きっとこうした生活の息吹から遠ざかって行くからだろう。まてよ、前部甲板に立てば新天地への希望で胸も高鳴るわけで、向きが変われば気分も変わるか。
人生はよく船に例えられる。会社もそうだ。そしてこの伊勢湾フェリーも荒波を乗り切ったばかりである。昨年の3月、伊勢湾フェリーは航路廃止、会社解散を決定した。伊勢湾岸自動車道が開通して航送車両が減り、さらに高速道路1,000円制度がトドメをさした。乗客の減少だけではなく、燃油価格の高騰の見通しも将来を不安にさせた。廃止日は9月末として届けも出した。江戸時代から続く伊勢参り航路の歴史が絶たれるか。しかし、すぐに自治体が存続へ動き出し、名鉄と近鉄が手を引き、自治体が支援する形で存続が決まった。
出港直後、近鉄の特急が見えた
そしていま、私と知多丸には本物の荒波が押し寄せる。実はこの日、大型の台風12号が小笠原諸島で足踏みしており、北を伺っていた。この影響で太平洋沿岸に高波が押し寄せており、すでに四国と房総で7人が死者または行方不明となっていた。私も昨日の旅立ちの前から台風の動向に注目しており、もしかしたら伊勢湾フェリーの欠航もあるかと思っていた。出発を決めた理由のひとつは、Webサイトに翌日の欠航情報がなかったからだ。今日もたびたびiPhoneで確認していた。
ミキモト真珠島を海側から見た
伊勢湾フェリーというと、湾内の穏やかな水面を行くように聞こえる。しかし実際は伊勢湾の内側ではなく、伊勢湾と太平洋の境界を結んでいる。その太平洋側は西側が熊野灘、東側が遠州灘である。つまりこの航路は、もともと難所と隣り合わせであった。江戸時代に江戸と大阪を結ぶ船が鳥羽に立ち寄った理由は、避難港であるというだけではなく、難所を越えた船員の休息と、荷造りの点検の必要もあったからだろう。
今日の知多丸は、まさに台風の高波が来るという日に難所へと船出していく。もちろん最新の技術によって安心だと判断されたから出航するはずだ。私に不安はない。鳥羽あたりは波も高くない。坂手島をかすめ、答志島と菅島の間を進む。答志島は九鬼水軍の本拠があったというし、菅島は日本で始めて公設の灯台が作られたという。島の海は穏やかなれど、水軍は岩礁を避ける道筋を知り尽くして守りに使っただろうし、灯台も難所だからこそ成立した。
遠ざかる鳥羽港
左舷の答志島の先に大築海島と小築海島が続く。しかし小さな島だから、もう風よけの効果は小さい。風と波が大きくなってきた。出港するときにデッキは私だけ。しばらくして若い夫婦と小さな男の子が遊びに来た。船の速度が上がって彼らが船室に戻ると、今度は私より十歳ほど年上とみられる夫婦が現れ、ひとつだけあるベンチに座って風にあたった。風が強くなり、立つには何かに掴まる必要がある程になると彼らも引っ込んだ。とうとう私ひとりになった。
しばらくは島の間を行く
さて、私も船室に戻ろうか。いや、このまま高波と風を浴びていよう。ちょっとした冒険家の気分ではないか。船の縦揺れがどんどん大きくなる。乗り越えるな、という感覚があって、いまはもうジャンプしているような身体の動きである。手放しでは立てない。危険かな、と思うけれど、きっとどこかに監視カメラがあって、ほんとうに危険ならスピーカーで船室に戻れと言うだろう。
打ち寄せる波は、やはり台風がいる側の右舷が強い。とうとう波がデッキまで届く。きっと客室の窓は波に洗われているだろう。海水が顔を洗うと、メガネをかけているにも拘わらず、水が目に入る。息も止まる。プハーと深く息を吐き、吸おうとすると水が来る。私にとっては十分すぎる冒険である。遊園地のウォータースライダーよりもスリリングだ。手を離したら、たぶん海に落ちるだろう。あ、忘れていた。私は泳げない。それと、これだけ海水を浴びてカメラは無事だろうか。
高波が船に当たって砕ける
しかし私は景色を見たい。右舷には神島が見えている。南北朝時代からの太陽信仰があるという。映画『潮騒』の舞台である……ということは、吉永小百合、山口百恵、堀ちえみが裸になった島である。とくに山口百恵は私が初めて名前を覚えたアイドルであって、これは私も信仰せざるを得ない。
そういえば、潮騒という映画を一度も見ていない。山口百恵のヌードを見たかったけれと未成年だった。原作の三島由紀夫の小説も読んでいない。機会を見つけて読んだり観たりしよう。作品では歌島だという神島を再訪し、上陸したくなるだろうか。
名作の舞台、神島
さて、神島までは鳥羽市、島の向こうから愛知県田原市である。携帯電話の位置情報ゲームで遊んでみると、確かにまだ鳥羽市のアンテナを受信していた。相変わらず波は高くアドベンチャー気分が続く。しかしもう渥美半島が見えている。左舷を鳥羽行の『鳥羽丸』がすれ違った。その向こうの島影は篠島だろうか。あそこは3年前の夏、名鉄知多新線と河和線を船で乗り継ぐときに立ち寄ったところだ。
鳥羽行の船とすれ違う
伊良湖岬に近づく。遠くに霞んでいた陸影が大きくなり、空との輪郭がくっきりしてきた。波も落ち着き、ご褒美のように太陽が顔を出している。なんだか、ほんとうに海の男になった気分である。演歌でも聞いてみたいと思ったけれど、私のiPhoneに演歌はなかった。ここはやっぱり鳥羽一郎の兄弟船だ。いやまてよ、兄弟酒という歌もあったな。漁師が主人公の演歌が多いけど、たしかあの歌で兄はフェリーの船員だった。
伊良湖港へ
-…つづく
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