東京駅から品川に出て京浜急行に乗り換える。次の目的地はJR横須賀線の横須賀駅だ。ならば品川から横須賀線で行くほうが素直だが、通勤電車風のロングシートなので味気ない。京急の快速特急は前向き二人がけのクロスシートだ。時速120キロを出すスピード感も考えると、鉄道趣味的には京急が楽しい。携帯電話でチェックした乗り換え案内サービスも京急久里浜経由を示していた。運賃が安いか、到着が早いか、その両方かもしれない。確かに三浦半島へ行くには大船駅回りは遠いだろう。
京急品川駅でいくつか電車の写真を撮る。雨が強くなっているので紙面に使えるかどうか不明だ。しかし京急の話題を扱った記事もある。そこへちょうど1000形の最新版がやってきた。京急初の銀色車体を採用した編成だ。中央線で銀色の電車が走り始め、ついに都内で全塗装車両のこだわりを維持している会社は京急だけになった。そんな記事を書いた矢先にこの車両が登場し、先日、大慌てで書き換えた。
京急のステンレスカー。
銀色電車は横浜方向から快特で到着し、品川のひとつ先の泉岳寺で折り返して、ふたたび快特で三浦半島へ向かうようだ。これに乗ってもいいかな、と思ったけれど、1000形は横須賀線と同じロングシートである。私は快特をもう1本見送って、全席クロスシートの2100形に乗った。車両の片側に二つの扉、車内はズラリとクロスシートが並んでいる。他社の有料特急に劣らず、横須賀線のグリーン車並みの快適さだが、京急は特別な料金を取らない。京急はこういう列車を高速に走らせることで、並行する東海道線や横須賀線と張り合ってきた。
今日は東京近郊の電車ばかり乗るけれど、こういう席に座ると旅に出た気分になる。リゾート特急とは違って展望席やトイレ、車内販売はない。しかし都会から下町を経由し、森を抜けて海へ向かう列車というだけで気持ちが高ぶる。京急品川駅のホームで崎陽軒の弁当を買っていれば完璧だったな、と思う。
発車してすぐに少し後悔した。そういう大事なことに、いつも後から気づく。杉山さんは詰めが甘いと知り合いの女の子によく言われる。その場の誰もが否定してくれないから、それは本当のことなのだろう。弁当の話題ではなかったが。
京急の快特はまさに快い特急である。品川を出ると蒲田まで停まらない。途中の鮫洲と平和島で先行列車を追い越し、蒲田に付くまでに前を走っていた急行電車も羽田空港行きの支線に退く。こうして前方に道が開けると川崎まで猛進する。川崎を出るとしばしば東海道線と併走し、運がよければJRの列車を次々と追い越すシーンが見られる。その間も京急の各駅停車をいくつも追い越している。次が横浜。ここから先の市街地を低速で走りぬけ、再び全開走行になる。
こちらは全席クロスシートの2100形。
不覚にもうたた寝をしてしまい、目覚めると日差しが痛い。金沢文庫駅。いつの間にか空は快晴であった。この駅には車庫がある。電車好きには良い眺めだ。隣の金沢八景にも車庫があり、しかも隣の敷地には東急車輛という鉄道車両工場もある。ここは全国各地へ出荷される新型電車が見られる場所として鉄道ファンに有名だ。しかし、最近は顧客の意匠を守るためか、敷地のほとんどが帆布で覆われてしまった。もちろん快特の車内からも見えない。ちょっと寂しい。
街も木々も雨に洗われたせいか、車窓は爽快感を増している。快特列車は軽快に走り続けて京急久里浜に着く。このまま三崎口まで乗って行きたいけれど、横須賀線に乗り換えなくてはいけない。私は赤い電車を見送ってホーム中央の階段を下りた。ホーム2面、線路4本の立派な駅で、高架線路の下はショッピングモールになっている。JR久里浜駅方面という案内看板にしたがって歩くと、グレーのスカートを履いた女学生と何度もすれ違う。どこかに学校があるようだ。
JRの久里浜駅は京急の駅に比べると寂しい建物だ。駅前のロータリーにも賑わいはない。ただし構内は広い。電車の車庫があるからだが、軍事輸送の拠点だったという歴史の名残かもしれない。日中の電車は1時間に4本。しかもほとんどが逗子止まりである。目指す横須賀駅は逗子の手前か向こうか失念している。思い返せば横須賀線久里浜駅の訪問は、小学6年生の頃以来、実に28年ぶりである。
久里浜からJR横須賀線に。
売店で買ったパンをかじって電車に揺られる。ロングシートだから飲み食いする気分になりにくいけれど、ありがたいことに他に客がいない。久里浜駅に関して言えば京急の圧勝という状況だ。東京への直通列車が少ないところを見ると、JRは競争するつもりもないらしい。スピードもゆったりして、快特に比べるとのんびりしている。
ようやく横須賀駅にたどり着いた。ここは路面電車を除くと全国でも珍しい"バリアフリー駅"として知られている。なんと駅構内に階段がまったくないのだ。駅舎に入り、コンコースから改札口を通ってホームに行くまで段差なし。平らな地面が続いている。意外にもこういう構造は珍しく、横須賀駅はもっとも歴史あるバリアフリー構造となった。その様子を写真に収めるべく、駅の外側からコンコース、改札口、ホームを貫くアングルを探した。あいにく逆光の時間帯になってしまい、欲張って駅名看板も入れようとしたため、構図としては美しくない。しかし、説明のための挿絵として使うには十分だ。
横須賀駅。
カメラを構えた場所から右へ向くと、そこはもう海だった。休憩してもいい頃合だと思い、海岸へ歩いていく。海岸は公園として整備されていた。ベンチもある。座ろうかと思ったときに軍艦を見た。そうだ。横須賀は米国艦隊と海上自衛隊の基地の街だった。左手の米軍の港は逆光で判別しがたいが、右手の自衛艦隊基地は船が良く見えた。ドーム状のレーダーをたくさん載せた船がイージス艦だろうか。よく見ると手前には潜水艦の黒い影が海上に顔を出している。ここに住んでいる人にはいつもの景色だろうけれど、私には珍しくて仕方ない。
海浜公園のウッドデッキを歩きながら、いろいろな角度で何枚も撮影した。紛争地域ならスパイと勘違いされてもおかしくないけれど、平和な日本には咎める人はいない。ベンチに座っている老人たちもじっと海を見つめていた。ベンチの向きがそうなっているせいもあるけれど、誰もが一方向に海を見ていた。そのしっかりとした視線は退役軍人に特有なものかもしれない。私はなるべく彼らの視線を妨げないように歩き、自衛艦を撮りつづけた。歩いていくとアングルが変わり、潜水艦と自衛艦がいい感じでフレームに収まった。
公園から自衛艦が見えた。
ずいぶん長い距離を歩いてしまった。もう横須賀駅よりは別の駅のほうが近いはずだ。ショッピングモールなど大きな建物が並んでいる。公園の出口で、散歩を始めたばかりという子犬と遊びながら街を観察した。大きな道路を渡る歩道橋があって、そこは人が流れている。私は人々とすれ違うように歩いた。当たり。京急の汐入駅が見えた。改札口の前に数人の少女がいて、誰もがスケッチブックやノートに「チケット余っていたら買います」と書いて立っている。今夜、この街でロックグループのコンサートがあるらしい。横須賀にはこんなにかわいい美少女ダフ屋がいるのかと思ったが、そうではないようだ。誰もが真剣で、商売顔の笑みはなかった。
あと3カットほどでノルマが終わる。私は彼女たちの幸運を祈りつつ、赤い電車で東京に戻った。
-…おわり
第199回の行程図
(GIFファイル)
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