■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。月刊文藝春秋「乗り鉄うまい旅」連載。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回~第150回まで

第151回:左に海、右に山
-予讃線 今治~多度津-
第152回:平野から山岳へ
-土讃線 多度津~阿波池田-

第153回:吉野川沿いのしまんと号
-土讃線 阿波池田~後免-

第154回:吹きすさぶ風の中
-土佐くろしお鉄道 阿佐線-

第155回:自然が創った庭園
-室戸岬・阿佐海岸鉄道-

第156回:阿波踊りの夜
-牟岐線-

第157回:鳴門海峡曇天景色
-鳴門線-

第158回:阿波の狸大将
-高徳本線-



■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第159回:京急電車との再会 -高松琴平電気鉄道琴平線-

更新日2006/09/14

うずしお12号の高松着は12時36分。ぐるりと四国を巡る旅は予定通りに終了した。ロープウェイをふたつ逃したが、あれは鉄道ではないから悔しさも薄れてしまった。今日は高松空港を17時35分に出発する飛行機を予約している。接続するリムジンバスは高松駅前を16時08分に出る。あと3時間半。さて、どうしよう。

とりあえず何か食べよう。そうだ。讃岐と言えばうどんである。東京では3年ほど前から讃岐うどんが流行っている。香川式といって、うどんの入った丼を受け取り、自分で具材や汁を入れるという店が人気だ。しかし鉄道ファンは、もっと前から讃岐うどんを認知していた。本州の宇野と四国の高松を結ぶ宇高連絡船の売店で供されるうどんが評判だった。青函連絡船の海峡ラーメンと共に、汽車旅好きの共通体験のひとつであった。今はもう、どちらもないけれど。

その"幻のうどん"が、なんと高松駅構内にあった。行き止まり式ホームを改札口へ歩いていくと、左側に「連絡船うどん」という看板がある。私はうれしくなって、さっそくうどんを注文した。おばちゃんが手際よく、茹で上がったうどんを湯せんで温めてくれた。あれ? これではどこにでもある立ち食い蕎麦屋と変わらない。まずくはないが、やっぱり普通の立ち食いうどんである。私が今まで食べた讃岐うどんはコシがあり、歯に弾力を感じ、飲み込むときに喉の奥でふるふると踊っていた。しかしこれは違った。どうやら、連絡船うどんは讃岐うどんではなかったようだ。昔の味へのこだわりも考え物である。


高松築港駅。

改札を出て駅前を歩いてみた。駅前広場が大きい。かつては岡山県の宇野駅と高松駅を結ぶ鉄道連絡線があったから、もっと港に近い駅だと思っていた。しかし調べてみると、連絡線廃止後に駅を西へ移動したそうだ。2001年までは改札口を出た正面、今は高層ビルの全日空ホテルが建っている辺りまでが駅だった。連絡船時代が終わり、高松は新たな顔を作ろうとしているらしい。

空港行きのバス乗り場を確認し、広場を進歩すると、幅広の道路の向こうに高松琴平電鉄の高松築港駅が見えた。横断歩道の信号が青だったから、私は無意識に道を渡り、平屋の小さな駅に近づいた。この時まではちょっと覗いてみるつもりだった。しかし構内に黄色い電車が見えると気が変わった。あの形には覚えがある。つい最近まで私の家のそばを走っていた京浜急行の車体だ。東京を引退して、ここで第二の仕事に就いているのだ。旧友に再会したような気分である。よぉ、元気そうじゃないか、と声をかけてやりたい。初めての土地にいるからなおさらだ。

私は携帯電話でネットの乗り換え案内サイトを検索した。ここから終点の琴平までは1時間ほどだとわかった。往復で2時間、となれば現地で1時間ちょっとは滞在できる。空港行きバスが出るまでの暇つぶしは、“ことでん”で琴平を往復し、金比羅神社をお参りしよう。私は発車のベルを合図に慌ててきっぷを買い、改札口に駆け込んだ。


元京浜急行700形。

ボディに"しあわせさん、こんぴらさん"と描かれた黄色い電車が走り出す。左手に高松城を見ながらカープする。高松城趾を見物するという手もあったな、と思った。今回の旅はバースディパスで乗れる範囲を優先し、土佐電鉄や伊予鉄道などは乗らなかった。次の機会に各都市に腰を据え、じっくり観光しようと思ったからだ。ことでんも同じで、いずれ高松に滞在して楽しむつもりだった。でも高松城趾の手前に駅があったのだから、これは仕方のないことである。いや、私は誰に言い訳をするつもりなのだろう。電車好き、結構ではないか。

今度は右に大きく曲がって片原町駅。そこから線路は一直線だ。しばらく走るとコンクリートのトンネルが暗い口を開けている。瓦町駅である。大きな建物の1階部分が駅になっている。コンクリート壁の寒々しい構えで、昼間なのに地獄の入り口のように見える。そう思ってしまうのは、この建物がことでんを経営危機に陥れたからである。

高松市の中心部にある瓦町駅を近代化し、大きな駅ビルを建ててデパートにする。それは高松琴平電気鉄道の社運を賭けたプロジェクトだった。建物は1996(平成8)年に完成。翌年にコトデンそごうが設立されて営業を始める。しかし、運がなかった。わずか4年でそごうグループが破綻。コトデンそごうに債務保証をしていた高松琴平電気鉄道も経営危機に陥った。

2001(平成13)年、電鉄は民事再生手続きを申請した。しかし、町のシンボルを守ろうという気運があったのか、本来ならライバルであるはずの自動車販売会社や、香川の出世頭の冷凍食品会社の支援を受けて再生事業が進められ、2006(平成18)年に再生計画が完了した。現在、駅ビルには岡山県に本社がある天満屋というデパートが入居している。


瓦町駅へ進入。

瓦町駅はことでんの志度線と長尾線の起点にもなっている。しかし今回は時間がない。曰く付きの瓦町駅ビルも見物できない。ただひたすら琴平を目指すのみである。見物するなら次の駅の栗林公園もある。関ヶ原の戦いの頃から100年にわたって築かれた庭園だそうだ。東京ドーム16個分の広さに、いにしえのままの風景が広がっているという。これも見てみたいが、今回はパス。香川と言えばうどんと金刀比羅様くらいしか思い浮かばないけれど、訪れてみると見所が多い。

栗林公園から先は単線になり、いくらかのどかな風景になった。線路は真っ直ぐに伸びている。色とりどりの花も咲きそろっている。黄色が多い。菜の花らしい。線路のずっと先のほうの踏切をネコが渡っている。運転士は警笛を鳴らさない。ネコが去ってから電車が踏切にかかるまでにたっぷりの時間があった。私が乗っている電車は、かつては京急線で12両編成を組み、時速100キロで爆走していた。それがここでは2両編成でのんびりと走る。穏やかな余生である。


沿線の菜の花。

三条駅付近に新しい高架橋が沿っている。高架化計画があるらしい。線路は複線分あるような気がする。しかし距離は短いから、完成まではかなり時間がかかりそうだ。三条駅も次の太田駅もホームがふたつあり、列車がすれ違えるようになっていた。その次の仏生山駅には車庫があった。私が乗っている電車は京急から来ているが、構内には京王線の旧型もいた。支線にも全国からの譲り受けた電車が使われており、ことでんは鉄道ファンから"電車の博物館"と呼ばれている。


仏生山駅。

私が乗っている電車は一宮止まりだった。ホームのベンチに座って、15分後にやってくる電車を待つ。その間、ガイドブックで金刀比羅様の下調べをする。恐ろしいことがわかった。金刀比羅宮は広大で、ひとまわりするだけで4時間くらいかかりそうだ。とても1時間でちょっと挨拶、という神社ではない。後悔したが、もう半ばまで来てしまった。ここで引き返しては面白くない。

私は後続の電車に乗って琴平へ向かった。少しずつ上り勾配が増えてくるような気がする。そして菜の花も多くなってきた。線路の築堤に菜の花が群生しているところがあって、ふと見やると、少し離れた場所に菜の花畑があった。あそこから種が飛んできたらしい。ということは、電車の床下の機器について運ばれた種もあるだろう。このまま時が過ぎれば、すべての線路が菜の花に囲まれるかもしれない。

電車に揺られながら、琴平では何をして過ごそうかとぼんやり考える。そんな気持ちを慰めるように、車窓の菜の花が揺れていた。


花の競演。

-…つづく

第144回からの行程図
(GIFファイル)

 


 
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