福岡空港は公営地下鉄が乗り入れる日本で唯一の空港だ。1993年に空港地下に駅ができた時は、鉄道と航空が連携する空港として話題となった。長い間、鉄道と航空はライバルだったからだ。飛行機と鉄道はスピードも乗り心地も異質なものだけれど、長距離輸送では激しく競合していた。飛行機は速いが運賃は高い。鉄道は遅いが運賃は安く都市に直結している。飛行機が高価で特別な乗り物だった頃は鉄道のシェアが高かった。しかし、航空運賃が下がり、普段着で乗れるようになると乗客たちの人気は拮抗した。そして鉄道と航空はシェアを奪い合う関係になる。したがって空港は鉄道にとって不可侵の場所だった。すでに羽田空港にモノレールが乗り入れていたけれど、それは空港アクセス専用の乗り物であり、空港施設のように思われていた。
その流れが劇的に変わり、鉄道と航空の連携が始まるきっかけは、国鉄が分割民営化されてJRが発足したことである。JR各社は受け持ち区域内の輸送改善を重視し、JRの境界をまたがる列車については見直しを行った。つまり、長距離輸送よりも短距離、中距離輸送を重視する戦略を取った。その象徴が1992年の新千歳空港駅だ。国鉄時代は東京・大阪-札幌間の旅客を新幹線乗り継ぎや夜行列車に誘導していたが、北海道の窓口として千歳空港を重視した。新空港ターミナルには鉄道駅が設けられ、従来の函館起点のダイヤ編成は札幌中心に転換した。鉄道と航空はもはやライバルではなく、互いに手を取り合う仲間になった。
航空旅客に新幹線をアピール。
しかし、競争が完全に無くなったわけではなかった。福岡空港駅のホームに下りると、そこはJR西日本の広告で埋め尽くされていた。新大阪、名古屋、東京へ、1時間に"のぞみ"を2本運行と大書され、往復割引運賃もハッキリ明示していた。駅とはいえここは空港内で、お客さんは飛行機を利用した人だ。なんと大胆な"挑戦状"だろうか。一時の旅人の私でさえ、こんなに安いなら次は新幹線にしようと思うほどだ。
福岡市営地下鉄空港線は、福岡空港から博多、天神を経由して姪浜に至る13.1キロの路線だ。福岡市営地下鉄の屋台骨といってもいい。福岡市のメインストリート、天神付近から開業し、両側へ延伸して現在の姿になった。国鉄筑肥線は博多と佐賀県の唐津を結んでいたが、空港線が姪浜に到達すると、地下鉄へ相互乗り入れする道を選び、姪浜-博多間を廃止した。筑肥線は天神を経由せず、単線・非電化で不便なため人気がなかった。だいいち、国鉄の経営は破たんしており、複線電化して対抗するほどの力も無かった。競合する路線を維持するよりは、地下鉄経由で福岡空港と直結したほうがメリットがあると判断したのである。
前面と扉が真っ赤に塗られた電車に乗った。これは相互乗り入れしているJR九州の筑肥線の電車である。派手な色使いだと思うけれど、実はJR九州はこういう奇抜な塗装や形が大好きな会社だ。この車両の形式は103系で、ステンレス車体化される前の昔の山手線電車と同じ系列なのだが、そうは見えない。JR九州は元国営とは思えないほどのハジケっぷりで、JR各社の中でもっとも民営化を謳歌しているようだ。いい年をした私でさえJR九州の電車たちを見ると楽しくなる。きっと九州の子供たちは電車や電車のおもちゃが面白くて仕方ないだろうと思う。
筑肥線の赤い電車。
こちらは地下鉄の電車。
乗ったからには全区間乗り通したかったけれど、今回の旅の目的は西鉄宮地岳線である。その起点、貝塚駅へ向かうため、中洲川端で降りて地下鉄箱崎線へ乗り継く。こちらは福岡地下鉄の標準的な車両だ。ステンレス製の車体で、前面の左に寄ったところに非常口の扉があり、ひと目で地下鉄用とわかる車体である。
さっそく乗り込んだけれどなかなか発車しない。車内放送によると、接続列車が遅れたため3分遅れて発車するそうだ。しかし私は慌てない。いつもギリギリの行程を組むけれど、今回はかなりゆとりを持っている。欲張らず、行動範囲を日帰りで回れる範囲で留めた。格安航空便だからこその余裕だ。通常の航空券を買っていたら、1分を惜しんで乗車距離を稼いだかもしれない。
箱崎線は中洲川端から貝塚までの4.7キロの路線だ。途中には千代県庁口、箱崎九大前という駅があって、官学の中心を貫く路線らしい。日本三大八幡宮のひとつ、箱崎宮もこの路線で参詣できる。そこに寄りたいけれど、もとより信心深いほうではないし、今回はもっと興味深い寄り道がある。終点貝塚駅のそばにある貝塚公園だ。電車は箱崎九大前の先で地上に出た。八幡宮に近い場所だからか、車窓に緑が多くてほっとする。住みやすそうな所だな、と思っているうちに貝塚駅に着いた。
私は鉄道趣味人が集まるオンラインコミュニティサイト『++RAIL』で日記を公開している。日記といっても鉄道の話題だけなので更新頻度は少なく、内容も日程のメモ程度のものだ。そこで今回の旅の予定を公開したところ「宮地岳線に乗りに行くなら、貝塚公園の20系客車の様子を見てもらえませんか」という情報を頂いた。
20系客車は1958(昭和33)年に誕生した国鉄の寝台特急用客車である。東京-博多間の寝台特急"あさかぜ"に投入され、全車両の塗装を青色に統一し、白い帯を巻いた姿は、後のブルートレインの原型となった。編成両端部の丸い形状が特徴で、その丸い客車が貝塚公園に保存されているという。
貝塚公園。フィリピンの3輪タクシー展示コーナー。
その青い車体を探しつつ、公園を散歩する。交通公園らしく小さな片側1車線の道路がいくつも伸びている。最初に目に付いた展示車はフィリピンの3輪タクシー。なぜここに、と説明書きを見れば、1989年に福間で開催されたアジア太平洋博覧会の展示車だ。かなり朽ち果てているが、ここだけはフィリピンのガレージのようである。
そこから再び歩くと20系客車がいた。しかも蒸気機関車と並んでいる。機関車1両、客車1両。遠くから見ると玩具のようだが、近づいてみれば堂々たる姿である。やさしい曲線を描いた車端部の美しさ。私が生まれる10年前の出生とは思えない。必要な機能を満たすことに苦心する時代から、容姿や快適性などを重視する時代へと移り行く。そんな時勢の変化を感じさせる逸品だ。ステップが取り付けられていて、そこに上って室内を覗くと、特徴的な3段寝台が残されていた。
車体側面の行先方向幕には"かいもん
門司港-西鹿児島"とあった。これも懐かしい列車名だ。鹿児島本線の夜行急行列車で、私は高校時代に乗ったことがある。アルバイトで貯めたお金で九州ワイド周遊券を買い、宿代を節約するため夜行"かいもん"の座席車に宿泊していた。日豊本線側にも夜行があって、それは"日南"だったと思う。貧乏旅行だから寝台車は使わなかったが、当時の夜行急行にこれが繋がっていたのだろうか。あまりにも昔のことで、もう記憶からは薄れている。
20系客車。元祖ブルートレイン。
9600形蒸気機関車。
さらに公園をひと回りする。カートを貸し出す建物があった。火曜日の今日は休みと書いてあった。休日は子供たちがこれでドライバー気分を楽しむのだろう。交通公園は子供が交通社会を学ぶための施設で、ミニチュアの道路で自転車やカートを走らせるのだ。
しかしこの貝塚公園はユニークだ。道路交通だけではなく、鉄道や航空も眺められる仕組みになっている。鉄道は貝塚駅周辺の西鉄宮地岳線や地下鉄箱崎線、そして駅はないけれど鹿児島本線も見える。航空はというと、たしかに公園内にも小型機が置いてあるけれど、実は先ほどから上空を本物の飛行機が頻繁に通過している。ここは福岡空港のアプローチの直下なのだ。私もさっき、ここの上空を通ってきたらしい。
線路と航空路を借景に交通公園を企画するとは、うまいことを考えたものだ。そんなことに感心しながら駅に戻る。私はミニチュアの道路を歩き、車路で左側通行していることに気づいた。クルマになったつもりで交通ルールに従っている。まっすぐ出口に行けばいいのに、無意識に社会に順応している。そんな自分が妙に可笑しかった。
公園上空を飛行機が通過する。
-…つづく
第175回からの行程図
(GIFファイル)