あおなみ線の終点金城埠頭からふた駅戻り、稲永駅で降りた。改札を出て辺りを見渡すと、道路を渡った左方向にバス停がある。そこに掲示されている時刻を調べているうちにバスが来た。バスの終点は小さなバスターミナルである。併設された建物が地下鉄名港線名古屋港駅の入り口だ。乗り換えの首尾が良く、こちらが予想したとおりで満足する。
他の路線に接続しない終着駅は旅情あふれる存在だが、乗り潰しを趣味とする旅人にとっては扱いに手こずる。たいていはそのまま来た路線を引き返すことになる。しかし、効率よく載るためには単純往復を避けたい。例えば、ある路線で終点A駅まで行ったとすると、近くに別の路線のB駅があるなら、徒歩やバスもいいから利用したいものだ。今回のあおなみ線の場合は、名古屋に戻り、名鉄で金山に出て、名港線を往復するよりも、終点から近い稲永駅からバスに乗って、名港線の終点の名古屋港駅に向かい、ここから金山へ向かえば二つの路線を往復しなくて済む。
地下鉄名港線に乗り継ぐ。
インターネットでバスの路線図を探しだし、稲永と名古屋港にバスが通じていることが判ったとき、私はパズルを解いたように嬉しくなった。鉄道好きはおとなしく鉄道に乗っていれば幸せである。しかし、こうしたルートを発見することも楽しみのひとつだ。登山家が新しい登山ルートを発見したときの喜びもこうだろうと思う。そして発見したルート通りに乗り継ぐたびに、私は無表情の仮面の下で喜びをかみしめている。それは同時にインターネットの便利さを再認識することでもある。もしインターネットがなかったら、電話番号を調べて尋ねるか、路線図を取り寄せるか、そうした情報の文献を探さなくてはいけないところだ。
次の目的地は名鉄築港線である。名鉄常滑線の大江が起点になっているので、地下鉄名港線で金山駅に出て名鉄に乗り換える。常滑線に直通する各駅停車は、なんとかつての特急パノラマカーの車両が使われていた。あと4年ほどですべて廃車となるらしい。これもインターネットで知ったことだ。もちろん先頭車に行った。これで乗り納めかも知れないと思いながら。
大江駅は優等列車が追い越しできる大きな駅だ。常滑線にはふたつのホームがあり、その両側に電車が停められる。西側のすこし離れたところにもうひとつホームがあって、それが築港線の乗り場であった。階段を上がって築港線のホームへ行こうとすると、途中に改札口があり、築港線側出口と書いてある。これから電車に乗るのに出口とはどうしたことかと思うが、築港線は駅の出口にホームがある。たったひと駅の築港線は、ホームに行くことがすなわち終点の東名古屋港駅まで行くことである。だから、あらかじめここで出口用の改札を済ませてしまうのだ。珍しい方式だが、関東では東武大師線もこの方式になっている。
金山-大江間の各駅停車はパノラマカーだった。
築港線の次の発車は20分後。ホームに2両編成の電車がいた。時間があるので電車の写真を撮ろうと思い、ホーム先端へと歩いていく。ホームにはスーツを着た黒人の男性がいて、なぜかハローと声を掛け合う。彼はヘッドホンで音楽を聴いていた。私が電車にカメラを向けると、彼は車内に消えた。とくに邪魔だとは思わないけれど、気配りをしてくれたようだ。車内で目があったので、私はサンキューとお礼を言った。彼はヘッドホンをしたままニコリと笑って会釈を返した。日本の習慣がすっかり身についているようだ。故郷を離れて何年経つのだろうか。あるいは日本生まれで、ここが彼の故郷なのだろうか。
名鉄築港線はユニークなダイヤで運行する路線だ。駅はふたつ、線路は一本で、電車は単純に往復している。運行形態としてはシンプルだ。しかし、時間帯が絞られている。朝7時台と8時台に8往復、夕方16時台から19時台までに11往復するだけで、日中の9時から15時まではまったく走らない。工場地区への通勤のために存在する路線として割り切った営業方針を貫いているようだ。遅刻や早退する工員さんは乗れないことになり、工場の守衛さんよりも厳しいと言える。工員さんだって体調不良で早退したり、所要で勤務時間中に外出することもあるだろうと思うけれど、そういう場合は並行して運行されているバスがある。
築港線の時刻表。日中は走らない。
あれ、並行するバスがあるのか。それなら路線長たったの1.5キロ、2両で一日17往復しかしない電車など要らないではないか、という疑問もある。名鉄は近年、不採算路線を次々に廃止した。思い切った路線整理のため、私鉄の路線網全国2位の座を東武鉄道に譲ってしまったぼどだ。なぜ小さな築港線を維持するのか。乗ってみれば、通勤には逆方向とはいえ、私と黒人の彼しか乗客はいない。折り返す電車にはかなりの乗客がいるのだろう。こればかりは訪れてみないと解らない。
電車は17時10分に発車した。左手に名鉄の車両基地を眺めつつ、線路は緩やかに右へ曲がり、広い道路に沿って直進する。車窓は右も左も工場と駐車場だ。その殺風景を和らぐためか、道路沿いに並木が植えられている。鉄道ファンとしては平面交差も必見だ。名古屋臨港鉄道の単線と直角に交わる場所がある。自社同士ではなく、他社の線路と形成する交差点は全国でもここだけではないか。築港線が日中に運行されない理由は、その時間帯にこの交差点を名古屋臨港鉄道が通行するからかもしれない。臨海の工業地帯だから、貨物用線路も張り巡らされている。
たった3分の乗車で終点の東名古屋港駅に着いた。終着駅だが、線路はさらに伸びている。名鉄築港線も貨物用として作られた経緯があり、線路はこの先の沿岸まで達している。ただし、現在は名鉄に一般貨物の扱いはない。しかし、船で運ばれた名鉄の車両はこの先で陸揚げされ、築港線で名鉄に納品されるそうだ。名鉄以外の鉄道会社も、回送経路として築港線を利用しているという。築港線を訪れるとき、運がよければ他社の電車が走る姿も見られるだろう。ほとんど夜間だろうけれど。
車窓は工場ばかり。意外に緑が多い。
東名古屋港駅に駅係員はいない。改札口も無い。大江駅で改札を出る手続きは済ませているし、ここから乗車したとき大江駅で清算する仕組みになっている。私はふらふらと歩き出した。ほんとうに工場ばかりで商店の類は一切無い。食事も工場内の食堂を使うだろうし、売店もあるだろうから、外にお店はできないのだ。ということは、工場に入れない旅人には、駅を出ても歩き回るしかない。労働組合の掲示板がある。なにか労使で紛争でもあれば面白いのにと不謹慎な気持ちで覗いてみたが、簡単な活動報告の一覧を書いた紙しかなかった。労使関係は良好だ。
さて、どちらに向かって歩き出そうか、と周囲を見渡せば、ひとり、またひとりと駅に人がやってくる。わずか数分でその人数が膨れ上がり、あちらこちらの建物から人が湧き出てくる。そしてとうとう人の波となって駅に押し寄せた。静かな無人駅だったあたりが、大都市並みのラッシュアワーに変化した。人々は2両の電車に吸い込まれ、漫画家なら車体を膨らませて強調したくなるかもしれない。
どんどんお客さんが集まってくる。
なるほど、これが築港線の真の姿だったのか。これだけの人々をバスで裁くなら、たぶん一度に10台でも足りない。私の当初の予定は、帰りの電車を1本遅らせて、もうすこし歩いてみようと思っていた。しかし、これだけの人が電車に向かう様子を見て、慌てて私も電車に乗ってしまう。この心理はどういうものか。ほしいものが無いのに、ブランド商品のバーゲンセールに飛び込む女性の心境に近いかもしれない。
とにかく私は群集に紛れ込み、乗ってきた電車で引き返した。帰りの1.5キロはギュウギュウ詰である。しかし乗客はみな、一日の仕事を終えて頬が緩んでいる。明るい時間に帰る人々は早番の人たちなのだろう。年配者は飲みに行く場所を相談している。若手はゲームの話だ。まるでこれからが一日の始まりだといわんばかりで、車内も活気がある。東京の疲れたお父さんたちとは違い、元気だなあ、と感心する。
築港線には乗客にも面白い習慣がある。大江駅に到着し、扉が開いても、すぐに降りる人は2割くらいなのだ。残りの8割のお客さんは車内のに残り、平然と会話を続けたり、ぼんやりと座っていたりする。座っている人が降りると、立っていた人が座ったりする。その様子を見て、私は、この電車は常滑線に乗り入れて、さらに先へ行くのだと勘違いした。しかし、かなりゆっくりと時間をかけて、乗客は確実に減っていく。やっぱりここで電車は折り返すのだと判って、私も外に出た。
どうしてすぐに電車を降りないのか。その理由はすぐにわかった。出口に向かう階段が狭く、殺到すると危険だからである。乗客は自主的に時間差降車を実施していたのであった。急ぐ人と急がない人で、降りるタイミングを変えることで、階段を上る人の数を減らす。その工夫は、長い時間をかけて定着し、新たに工場に通う人へ暗黙のうちに引き継がれているのだ。たった1.5キロ、2両の電車の築港線はとても面白い路線だった。この帰宅風景は平日の光景ならばこそだろう。築港線の活躍を見たいなら、平日の訪問がお勧めだ。
帰りの電車はすし詰めになった。
第165回からの行程図
(GIFファイル)
2006年9月20日の新規乗車線区
JR: 0.0Km 私鉄:103.1Km 累計乗車線区(達成率) JR(JNR):16808.8Km
(74.20%) 私鉄: 4268.9Km (65.86%) |