■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回~第150回まで

第151回:左に海、右に山
-予讃線 今治~多度津-
第152回:平野から山岳へ
-土讃線 多度津~阿波池田-

第153回:吉野川沿いのしまんと号
-土讃線 阿波池田~後免-

第154回:吹きすさぶ風の中
-土佐くろしお鉄道 阿佐線-

第155回:自然が創った庭園
-室戸岬・阿佐海岸鉄道-

第156回:阿波踊りの夜
-牟岐線-

第157回:鳴門海峡曇天景色
-鳴門線-

第158回:阿波の狸大将
-高徳本線-

第159回:京急電車との再会
-高松琴平電気鉄道琴平線-

第160回:未来へのトンネル
-本四備讃線-

第161回:タナボタつくば
-首都圏新都市交通・往路-

第162回:森の中のケーブルカー
-筑波観光電鉄-

第163回:水田の海
-筑波山ロープウェイ-

第164回:田んぼアートと鉄塔銀座
-つくばエクスプレス・復路-

第165回:夜行バス旅情
-ドリーム名古屋1号-


■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第166回:隠された航空基地 -名鉄各務原線-

更新日2006/11/02

JRバスターミナルは建物の1階にあった。ここは名古屋駅全体のどの位置にあるのだろう。名古屋駅には何度も訪れたはずなのに、未だに慣れない。しかし迷うことはなかった。案内表示に従って真っ直ぐ歩くと名鉄名古屋駅の入り口がある。名鉄名古屋駅は名鉄デパートの白い建物の地下にあり、地上から見ると地下鉄の出入り口のようで地味である。手近な階段を下りると小さな改札口がある。しかしそこは改札ゲートが狭く、有人窓口もない。近距離きっぷしか購入できない。また階段を上り、少し先へ行くと広い階段をみつけた。そこを降りると大きな改札口があって、どうやらこちらが表玄関のようだ。有人窓口で『まる乗り1DAYフリーきっぷ』を買う。名古屋鉄道が1日乗り放題。しかも10時から16時までは特別車にも乗れる。


オープン直前のトヨタタワー。
右端のビルが名鉄百貨店。

名鉄名古屋駅の壁に閉幕1周年記念事業というポスターがあった。愛知万博から1年ということは、私はちょうど1年ぶりに名古屋に来たことになる。見覚えのある駅構内の風景や、岐阜へ向かう車窓にを見て、帰ってきたような錯覚を感じる。名鉄名古屋駅から四方八方へ向かう名鉄電車にも迷わず乗れた。一宮からは玉ノ井行きが出る。笠松からは新羽島行きの電車がある。すぐに乗ったときの風景を思い出す。名鉄岐阜駅は名鉄本線のホームと各務原線のホームがVの字状に配置されている。各務原線のホームへと迷わず進む私を、旅人だと気付く人はいないだろう。

各務原線の次の発車は07時10分発の中部国際空港行きだった。中部国際空港に行くなら本線側を一直線に南下すればいいと思うけれど、この列車は各務原線と犬山線を迂回して名古屋を経由し、中部国際空港へ向かう。なるほど"すべての路線は名古屋に通ず"の名鉄らしい列車だ。中部国際空港にチカラを入れており"すべての道は空へ通ず"に発展しているらしい。車内放送によれば犬山線から快速急行になるそうで、こんな車両の使い回しぶりも名鉄ならではのことだ。


中部空港行きに乗る。

空いた電車の進行方向左側に立つ。名鉄岐阜の次は田神。岐阜-田神間は、かつて名鉄田神線という路面電車が乗り入れる珍しい区間だった。私は2年半前に田神線を訪れており、このコラムの第57回で書いている。田神線の痕跡を探してみたが、名鉄岐阜駅の路面電車用ホームは取り壊されていた。田神駅はどうだろう。たしか、踏切を挟んで低いホームがあったはずだ。田神駅を発車。低床ホームは既に取り壊されたようだ。自転車置き場になっているあたりだろうか。

その先に路面区間の分岐点がある。レールはあった。路面電車の車庫となっていた線路群も見えた。しかし、レールは途中で幅3メートルほどバッサリと切り取られ、通路になっていた。電車が来ないから踏切にする必要はないわけだ。必要のなくなった線路は道となり、あるいは家が建つ。こうして廃線跡は街に紛れ込んで行く。


田神線の廃線跡。

電車は強い日射しを浴びて走っている。岐阜の街並みはすぐに終わり、もう畑が目立っている。だから見通しが良く、少し離れたところを高山本線の列車が併走していた。名鉄は複線電化。高山本線は単線非電化で、なんだか対照的な構図である。高山本線が見える車窓左側は畑が多く、反対側の車窓右側は建物が多い。各務ヶ原線が街の境界になっているようだ。もうすこし街が浸食して高山本線まで広がってくれたら、あちらも儲かったのに、と思う。いや、高山本線が30分に1本しか来ないから、町の発展が届かなかったと言うべきだろうか。

各務原線は1926(大正15)年に各務原鉄道によって開業し、1928年に現在の路線の形になった。陸軍の各務原飛行場のそばを通るため、兵員や資材の輸送を担った。各務原は基地の街、軍需産業と航空産業の街として栄えたところだ。岐阜県第2位の工業都市であり、各務原線はその街に隣接して走っている。町外れの高山本線がその6年前に開業しているところを見ると、当初官営鉄道の建設に反対した人々が民間鉄道を誘致したのかもしれない。

高山本線とつかず離れずの距離を保ちながら東海北陸自動車道を潜る。車窓の両側に畑が広がっているけれど、少しずつ建物が増えてきた。各務原の中心部に近づいているのだ。高山本線も各務原に立ち寄るために近づいてくる。速度が落ち、一瞬、小さな用水路を渡った。束の間の水の風景にほっとする。地図には新境川とある。川縁の並木は桜だろうか。もし桜なら、春には見事な景色だろうなと想像する。

市民公園前という駅に停まった。公園は見えない。車窓右側にあるのだな、と思って振り返ると、すべての窓にブラインドスクリーンが降ろされていた。日射しが眩しいせいで、乗客の誰もが率先してブラインドを下ろしているのであった。


新境川。

各務原市役所前という駅は、今年の1月までは各務原飛行場という名の駅だった。航空自衛隊の岐阜基地がある。日本で現在供用されている飛行場としてはもっとも歴史があり、あの零戦の試作機もここで初飛行をした。軽量で運動性に優れた零戦は、その軽量ゆえに、工場からここまで牛車に引かれてやってきたそうだ。

さて、その各務原飛行場は車窓右側にある。さっきからブラインドスクリーンが降りていて景色が見えない。軍事機密だから見えないようにしているのだろうかと疑いたくなるが、日射しのせいである。旅は好天が良いに決まっているが、鉄道の旅では快晴すぎるとこんなふうに困ることもある。滑走路は見えなくても、せめて飛び立つ飛行機くらいは眺めたかった。扉の横に立てばいいけれど、強い光にてらされて、暖かくて眠くて仕方がない。

六軒、二十軒という駅があった。どんな由来だろうか。なんとなく宿場ではないかと想像する。地図を見るとこのあたり、中山道に沿っている。東京から高崎方面に北上する五街道は、軽井沢から諏訪に降り、木曽川に沿って御嵩に至り、そこから西へ進んで関ヶ原、琵琶湖の南を経由して京都に至る。東海道や甲州街道は鉄道が敷かれたが、中山道の鉄道は途中で途切れたところが多い。鉄道では難しい峠があったのかも知れない。東海道を辿る旅は雑誌やテレビで紹介されているが、中山道はあまり聞かない。メディアで紹介するほどの魅力が無いのか、旧街道を辿る旅も面白そうだ。


濃尾平野の北端を行く。

車窓右側は目隠しれてしまったので、しかたなしに左側ばかり見ていた。低い山が現れる。青い空、濃い緑の山。都会住まいには安らぐ景色である。地図には愛宕山とあった。各務原線は濃尾平野の北の縁をなぞるように西へ進んでいた。私は眠気に抗うため、運転室の後ろに立った。サングラスがあって良かったと思う。高山本線がピッタリ並び、前方に大きな駅が見えてきた。あれは高山本線の鵜沼駅である。各務原線はJR鵜沼駅を避けるように右へ大きく曲がった。その先に名鉄の新鵜沼駅がある。

展望席が付いた特急電車が見えた。私が乗っている電車はその隣のホームに入る。そこには既に赤い電車が停まっていた。増結してから快速急行になるらしい。岐阜からのんびり走ってきた電車は、名古屋経済圏に対応するため長くなる。相方の電車には"快急・中部空港"の字幕があり、飛行機のマークがついていた。ホームには名古屋方面に向かう人々が立っていた。いったん停車。ドアが開く。私はホームを降り、なんとなく連結風景を見届けた。


新鵜沼に増結車両が待っていた。

これで各務原線を乗り終えたけれど、私はこのまま電車に乗って、さらにふたつ先の犬山まで行く。そこから広見線というローカル線が出ている。電車は大きな鉄橋で木曽川を渡る。この鉄橋はかつて道路と線路の併用だった。犬山線の前身が路面電車だった名残で、道路の真ん中に路面電車のような線路があり、自動車に紛れてパノラマカーがゆっくり走っていた。その場面は名鉄の名所としてよく知られていた。こどもの頃に見た絵本にも描かれていたような気がする。

犬山橋にもうひとつの道路橋を造ることになり、併用状態が解消されるというニュースは関東でも報じられた。あの時、行ってみようかな、と思いつつ忙殺された。旅を再開する前の話だ。今思えば、このころから名鉄の変革が始まっており、谷汲線などのローカル線が次々に廃止された。あの時に犬山橋に来ていたら……。私は日頃から楽天的に生きているけれど、鉄道に関しては取り返せない過去が悔しい。


犬山橋を渡る。

犬山橋が鉄道専用橋となった今、電車はあっさりと渡って犬山遊園に着く。ホームに覆い被さるようにモノレールの車両が見える。名鉄が運行する犬山モノレールだ。これは後ほど乗るつもりだ。しかし、再訪は何時頃だろうと行程表を見たら、モノレールは含まれていなかった。行程表を何度も作り替えるうちに素通りしてしまったらしい。どうしたものかと思案するうちに犬山駅に着く。次は名鉄広見線に乗る予定だ。犬山モノレール問題は次の車中で考えよう。

第165回からの行程図
(GIFファイル)


-…つづく