愛子駅は"あやし"と読む。その由来が駅前広場に面した看板に書いてあった。ここは元々"横町"と呼ばれていたが、近くに子愛観音があったので、"こあやし"に因んで村の名前を愛子村にしたそうだ。子愛観音は安産を守護する観音様だと書いてある。その子愛観音への道筋は、隣の看板の地図にあった。徒歩10分とある。往復20分。その場の雰囲気に浸ればさらに10分。30分の小さな旅だ。時計は16時22分。次の電車は28分後である。残念ながら間に合いそうにない。電車を降りてから10分経っていた。もっと早く気付けば良かった。
駅前散策地図。
この地図には愛子観音への道筋だけではなく、短距離と長距離の散歩コースが紹介されていた。短距離コースは愛子観音とハーブガーデンを組み合わせた徒歩50分の道のり。長距離コースはさらに諏訪神社とさいかち沼散歩道を組み合わせた1時間50分の道のりだ。このような看板は今朝に訪れた女川駅にもあって、私はそのコースに沿って港を見物していた。私のような旅人が、駅でちょっと時間を潰すにはちょうど良い内容だ。こうした看板がJR東日本仙台支社の各駅に置かれているかもしれない。これはかなり好印象だ。
愛子からは秋口温泉へ向かうバスが出ているが、この付近には土産物屋など観光地らしい施設がない。このあたりで土産物屋を見物し、仕事をさぼったお詫びの饅頭でも買おうかと思っていたのに当てが外れた。キヨスクに愛子観音にちなんだこけしのような携帯電話ストラップがあるけれど、私や私の友人たちの趣味ではなかった。出産が近づく知り合いもいない。私の腹は妊娠中のようだと冷やかされたが、最近はメタボリックという格好良い名前を頂いている。もちろんそんな洋風な名前の病気に子愛観音の御利益があるはずもない。
仙台から山形行きの電車が到着し、かなり人が降りた。その人々と入れ替わりに電車に乗る。今度はかなり空いていた。仙台で用を済ませて帰る人は少ないということか。あるいはクルマを使うのだろう。県庁所在地同士を結ぶとなればビジネス特急が走っても良さそうだ。大手私鉄ならきっとやる。しかし、かつては「仙山」という急行列車も走っていたが、現在は快速列車に格下げされ愛称もなくなった。山形新幹線の工事中はエル特急「つばさ」が仙山線を経由したけれど、その時も仙台山形間の需要は小さかったと思われる。
ニッカウィスキー醸造所。
愛子を出るとやはり風景が変わった。住宅街が終わって工場が点在するようになり、陸前白沢で山が近くに迫ってくる。学校と農協倉庫のようなバラック、家は数軒ずつ寄せて国道沿いに点在している。列車は熊ヶ根駅の先で農業地域に入り、作並街道に沿って山越えに挑む。林の向こうにちらりとヨーロッパ風の建物群が見えた。なにかのテーマパークだろうか。その疑問は作並温泉駅に停車したときに解決した。ニッカウィスキー宮城峡醸造所という看板がある。ウイスキーを作るところなら、空気も水もきれいなところなんだろうと思う。
作並温泉駅には興味を引く看板があとふたつある。美女作りの湯という作並温泉の看板で、イラストの美女が湯につかり「つるつる、すべすべ、すっぴんぴん」と喜んでいる。しかし、残念ながらその成果を見せてくれる乗客の姿はなかった。もうひとつは「交流電化の由来」という簡素な白い立て札で、こちらは鉄道好きとして見逃せない。
作並駅。
仙山線は1954(昭和29)年に仙台からこの作並まで交流電化が完成し、試作電気機関車による実験が行われた。日本最初の交流電源による電化だった。それまで日本の鉄道電化は直流式で、これは鉄道車輌のモーターが直流だったからである。ただし、一般家庭で使う電灯電力は交流だから、直流専用の発電所や交流を直流に変換する地上設備が必要になる。鉄道電化には大きな投資が必要になる。
これに対して交流電化は、商用電源の交流をそのまま使う。交流と直流の変換は鉄道車輌側に搭載された整流器で行い、直流のモーターを回すのだ。この方式では車輌の製造コストがかかるけれど、地上の設備投資は少なくて済む。交流電力は直流電力に比べて長距離送電による減衰が押さえられる。したがって、車両数が少なく、発電所から遠いローカル線を電化する場合は交流が適している。
小さな渓流が連続する。
交流電化は日本の鉄道を隅々まで電化するために急がれた技術であった。その先駆けとなる任務に抜擢された路線がこの仙山線だったというわけだ。どんないきさつで仙山線が選ばれたかは知らないけれど、早期に電化されたおかげで、作並の自然は石炭の灰から守られた。ニッカウィスキーの醸造所は電化の14年後に作られている。線路のそばでも空気がきれいだったからではないだろうか。
列車は作並街道と別れてトンネルに入った。ここから奥羽山脈越えが始まる。トンネルを抜けると地面が白かった。八ツ森という駅を通過する。この列車は快速だが、時刻表を見るとすべての列車が通過していた。人里離れた場所にぽつんとある駅で、なんでここに駅を作ったのか判らない。あるいは廃駅なのだろうか。愛子から仙台側は駅を増やし、山形よりは駅を減らしている。待遇が違いすぎる。
仙台から作並までは交流電化が行われたが、作並から山形方向はもっと早くから直流で電化されていた。仙山線の交流電化は作並で交直流の接続テストをする目的もあったのだろう。いずれにしても仙山線は日本でも早くから電化されたローカル線であることは間違いない。そのせいと言うにはこじつけかもしれないが、仙山線沿線の自然はよく保たれたと思う。この先、面白山トンネルまでは小さな景色が連続する。雪解け水をあつめたような小川が次々に現れて目が離せない。
面白山高原駅。
盆栽の元祖は中国の盆景だと言うが、そんな小さな風景をいくつも続けて見ているようだ。しかし、自然に任せているだけではなかった。林は手入れが施されているようだ。雪の地面に切り株が目立つ。間伐の跡である。この景色は楽しい。乗り直して良かった。昨日は面白山トンネルからこちら側の景色が暗く、見えなかった。
その面白山トンネルに入った。トンネル内は下り坂だ。列車はジェットコースターで駆け下りるような大きい音を立てて突っ走る。信号機が車窓を過ぎった。昨日は気付かなかったが、トンネル内にすれ違い設備があるらしい。列車の運行本数を増やす努力である。このトンネルが分水嶺の下にあり、宮城県と山形県の境目である。面白山という名前は、山の中腹にある滝が上に向かって水を吹き出す様子の面白さという説と、面が白く見えるからという説があるそうだ。私にとってはトンネルの中にすれ違い設備があると言うだけで充分に面白い。対向列車が待っていたらもっと面白かったけれど。
日が落ちて、景色が暗くなってきた。肉眼ではまだまだ景色を楽しめるけれど、カメラはもう捉えられない。窓ガラスに映る車内しか写せなくなってしまった。手をかざして車窓の手前を見ると、見事な渓流に沿って走っていた。建物の窓には明かりが見えない。雨戸を閉めてしまったのか、あるいはカーテンを閉めたのか。灯りの漏れない建物群の眺め。街全体が眠っていた。山形に近づくに連れて建物が増えていく。しかし、夕暮れの空を黒く切り取り、影絵のように見えた。言いようのない寂しさが募る。直近のつばさ号で帰ろうと思う。
街は眠ろうとしていた。
第182回からの行程図
(GIFファイル)
2007年2月20-21日の新規乗車線区
JR:290.1Km
私鉄: 71.0Km
累計乗車線区(達成率)
JR(JNR):17,098.9Km (75.76%)
私鉄: 4,465.6Km (67.18%)
|