小国駅。午前8時。駅舎に「白い森の国、小国」という看板が掲げられていた。ブナの原生林と雪の色がその由来と書いてある。たしかにここは白い町だ。私と駅舎の隙間にも白い空気が流れている。停車時間の残りは13分。ちょっと改札を出て町並みを眺めようか、と思ったが、下腹が重くなってきた。私の体調は快調だ。毎朝の兆しがきちんと訪れる。車内のトイレで用を足すなら、停車中のほうが安定的でよろしい。
私はホームの先端から列車へ向かって歩いた。ちょうどそのとき、階段を下りてきた女性が会釈をしてくれた。もちろん知り合いであるはずはなく、そういう習慣のある土地柄か、彼女の育ちがよいか、サングラスの私が怖かったかのいずれかだろう。その女性はスーツを着ていた。駅か小国市役所か観光協会の職員かもしれない。
仲良くなった女の子。
それ以上のよそ見をするゆとりはなかった。私は車両連結部近くのトイレに入り、紙が備えられていることを確認すると和式便器にしゃがみこんだ。一瞬で用を足し、紙をちぎり、尻を拭こうとしたところで、私は背面の壁の大きな鏡に気付いた。ゾウのような不細工な尻がアップで映っていて、その向こうにこちらを向いた私がいる。グラビアアイドルの定番的な美尻ポーズである。これにはさすがに息が止まった。私の尻は男子高校生のにきび跡のようなものがたくさんあって、ちっとも美しくない。それに、汚い菊門までよく見える。なんとも情けない気分であった。
誰に見られたわけでもないのに恥ずかしい気分で席に戻る。斜め右の席に先ほどの礼儀正しい制服の彼女が座っていた。進行方向に背を向けているのでこちらに向いていた。役場でも観光協会でもなく、スーツというより学校の制服だった。幼さを残しつつ、大人に近づく少女の顔だ。美しくもあり、可愛いらしくもある。なかなかきれいな顔立ちである。
列車が走り出した。景色は相変わらず白い平野だが、太陽が高くなったせいか、霧はすっかり晴れている。いや、それよりも制服の彼女である。車窓を眺める美少女の写真を撮りたくなった。しかし盗撮はいけない。あらぬ誤解を受けたら、どこぞの大学教授のように逮捕されてしまう。しかも私は来年から大学の非常勤講師に内定しているのだ。方々に迷惑をかけてしまう。でも私は恥ずかしながら、見ず知らずの女性に声をかけた経験がほとんどない。さて、どうしたものだろう。
雪の海原をゆく。
逡巡の末、私は思い切って席を立ち、少女に話し掛けた。旅の恥はかき捨てというではないか、と、いまどき誰も使わないような言葉が脳裏に浮かんだ。そしてたぶん、緊張して声が変わっていた。
「あの、写真を撮らせていただけませんか。あなたがきれいなので」
「えっ、わたし?」
「はい。あ、わたしはこういう者で、旅をして記事を書いているものです。ア、でも写真はあなたがキ綺麗だからコ個人的なキ記念にと、写真、使いませんから」
今思うと、使わない写真をどうして撮る必要があるのかと思うけれど、とにかく私は名刺を渡してお願いした。私でよかったら、と彼女は小さな声で応じてくれた。私は礼を述べて、すぐにファインダーを覗いた。応諾されたら落ち着いたもので、ここから先は日頃のインタビュー取材と同じ要領だ。
この方向を見てください。なるべく遠く、そう、あごは少し引いて。あ、緊張しちゃいますね。ごめんね。えーと、深呼吸をしましょうか。吸って……はいて……、今度は普段の呼吸で吸って、口を少し閉じてはきましょう、そう、はき終わる直前を撮ります……。そのほうが頬が自然に緩むんですよ。今度彼に撮ってもらう時に試してみて……(笑)。うん、その笑顔いいです……。
それがきっかけで彼女と話をした。今年、高校を卒業して、福祉大学に進学するそうだ。仙山線の新しい駅を作っているところかと聞くと、そうだという。ちょっとした鉄道関係のネタが意外にも役に立つ。卒業式を目前にして、今は自由登校期間だという。ふだんは下宿しているが、最近は実家に戻り、巫女さんのアルバイトをしている。高校ではバンドを組み、メンバーの紅一点。しかし、ボーカルではなくギター担当。
「男の子に大人気でしょう。きっとそうだ」というと、「そうかも」と言って笑った。クラブ活動は吹奏楽部。そういえば、今泉で接する山形鉄道は、映画『スイングガールズ』の舞台だった。彼女の高校は山形鉄道沿線だから、もしかしたらモデルになった学校かもしれない。
その後、彼女が今泉で降りるまで、私たちはおしゃべりを続けていた。いまどきの高校生は、卒業式で制服のボタンをやりとりすることはないらしい。そのかわりネクタイを交換するそうだ。学校生活の話、兄弟の話……。彼女は中学まで東京に住んでいたと聞き、山形弁にならないわけが判った。
山形の名産、観光名所などのなどの話は少なくて、東京の話題で盛り上がった。いまでも長い休みには上京して、友達の家に滞在するそうだ。私はさすがに東京で会おうとまでは言わなかったけれど、名刺のアドレスにメールを送ってくれたら、今日の写真を送ると約束した。大学では学生にノートパソコンが支給されるそうだ。
鉄道の旅人にふさわしい話題も投げてみた。私にとって米坂線の景色は予想以上に良かったけれど、地元で毎日使う人は見飽きてしまうのだろうか。彼女はそんなことはないという。米坂線の景色は四季によって変わっていくから飽きないし、楽しい……。そんな話をしながら、雪の原っぱに点在するウサギの足跡を、互いの指先で追って遊んだ。彼女は病院内学級の先生になりたいそうだ。良い先生になれるに違いない。
ポイント部分のみ雪が解けている。
そんなふうにおしゃべりで楽しく過ごしてしまったため、正直なところ小国から今泉までの車窓はよく覚えていない。景色は視界に入っていたし、楽しい出会いがあったから良しとする。その路線の思い出があればいい。私の記憶の中で、米坂線と彼女は強く結びついた。
小国から今泉までの1時間は短かった。今泉で彼女が降りた後、私も列車を降りた。24分の停車時間のうちに駅前広場を見物に行く。今泉駅前は汽車旅ファンなら誰もが知っている聖地のひとつ。鉄道紀行家の宮脇俊三先生が玉音放送を聞いた場所だ。
宮脇俊三先生が自伝的に昭和の鉄道風景を書いた名著『時刻表昭和史』の今泉駅のくだり、「時は止まっていたが、列車は走っていた……」は名場面である。昭和20年8月15日正午。玉音放送が予告されたにもかかわらず、列車は任務を止めなかった。
しかし、そういう思い入れがなければ、ここはただの駅前広場だ。記念碑が建っているわけでもなく、面白みのない景色である。私は5分も立たずに列車に引き返した。跨線橋にのぼり、広場を見下ろす写真を撮っていたら、保線のオジサンが親切に、「こっちの山が蔵王でこっちがなんとか山だ」と教えてくれる。しかし、言葉がいまひとつわからない。
今泉駅にて。
今泉から米沢までは約30分。車窓は盆地の平野部になり、白い野原が広がっている。しかしだんだんと建売住宅が増えてきた。このあたりは米沢や山形への通勤圏かもしれない。地面を覆っている雪も薄くなっている。
「毎年、2階まで雪が積もるのに、今年は雪かきも少なかった」
さっき別れた少女との会話を思い出した。
今泉駅前広場。
-…つづく
第182回からの行程図
(GIFファイル)