山形鉄道フラワー長井線の終点、荒砥駅から荒砥郵便局前まで歩く。郵便局前の東横町バス停から山形行きのバスが出ている。この情報は"終着駅のない旅"というWebサイトで見つけた。インターネットは知恵と経験の宝庫で、先達が公開してくれた体験談に感謝。
片側一車線ながら、広い歩道が整備された道を歩いていく。天気が良くて、風が心地よい。すこし汗ばみながら歩くこと15分あまり。インターネットの地図サイトからプリントアウトした地図に従い、3つ目の信号を左折すると郵便局が見えた。その向かいにバス停があり、大きなショッピングセンターもある。バスの発車まで時間があるので、フードコーナーで弁当買い、バス停に座って食べた。
1日に8本だけ運行されるバス。
バスは真っ直ぐに山形駅を目指す。白鷹山のトンネルを通り、庄内平野へ降りて山形市内に入る。建物の隙間から、ゲンコツのような獅子の顔のような形をした山肌が見える。覇王の玉座にも見える。なるほど、あれが蔵王の名の由来だと思いこむ。しかし実際は蔵王権現を祭ったことに由来するそうだ。私と同じように、この姿が蔵王を祀る場所にふさわしいと思った僧がいたのだろう。市内の道路が渋滞したため、山形駅着は5分ほど遅れた。しかし、次に乗る列車は約1時間後の発車だから問題ない。私は左沢線のホームへのんびりと歩いた。
こんどの左沢線は寒河江行きだ。左沢線の終点は左沢だが、日中は全区間を走行する列車は少なく、途中の寒河江止まりである。しかし寒河江からはバスが出ており、左沢を経由する。左沢で小一時間待つと、左沢線の上り列車に乗れるという日程だ。山形駅で時間を潰し、左沢行きに乗ってとんぼ返りするより、バスを使えば盲腸線の終着駅周辺を散策できる。今回はローカルバスの効用を充分に活用している。
左沢線の列車は水色の新しいディーゼルカーだ。八高線や水郡線のキハ110系に似ているが、この車両はキハ101と表記されている。左沢線専用の仕様だ。車内はすべてロングシートで、通勤や通学で満員になることを意識したようだ。動力性能は同じでも、クロスシートが設けられている110系とは内装が違う。やや旅情に欠けるともいえる。
左沢線の山形寄りは宅地開発中。
14時11分。2両編成の列車が走り出す。次の北山形までは奥羽本線と並んでいる。複線区間のように見えるけれど、実は単線が2本並んでいる。奥羽本線は山形新幹線を建設するときに線路の幅を広げたので、ふたつの線路の幅は異なり、列車の運行も別々になっている。互い交わることのないふたつの線路は、仲良く並んで山形城址の右をすり抜けた。しかし仲良しの時間はすぐ終わり、北山形駅でハの字型に別れた。
列車は北山形を出ると新興住宅地を走っていく。なるほど、これなら通勤需要も見込めそうだな、と思う。しかし左沢線は1時間に1本しか走らない。毎朝同じ時間に登校する高校生ならいいけれど、会社づとめには都合のつけにくい列車かもしれない。簡易な造りでもいいからもっと駅を増やし、運行本数もせめて30分間隔にしたいところだ。列車が市街地を走り抜けると、建物はだんだん離れていき、線路の左右は畑になった。しかし遠くに住宅街が見える。その奥に雪をかぶった山が並ぶ。急ぎすぎず、ゆったりしすぎず、そんな落ち着いた風景が続いている。
左沢線は1921(大正10)年に軽便鉄道として開業し、延伸を重ねて大正11年に左沢まで全通した。さらに荒砥へ延伸し、長井線と接続するという計画もあったが実現しなかった。実現していれば山形を起点とした環状鉄道となり、私の旅の日程も悩まずに済んだと思う。しかし、需要が無いところに無理やり線路を敷かなくて正解だ。赤字がかさめば共倒れになっただろう。現在も左沢-荒砥間にバスの便が無いので、やはり需要は無いともいえそうだ。人は山形を中心として放射状に動いている。
朝日山地へ向かって走る。
列車は山形から出発するが、正式な起点は北山形である。左沢までは24.3キロ。所要時間は45分。フルーツ左沢線という愛称はフラワー長井線と合わせたもので、沿線の果物畑に由来するようだ。山形といえばさくらんぼが知られている。りんごやもも、ぶどうなども盛んらしい。住宅が減って果樹園が目立つようになる。冬枯れの季節だから、木を見ただけではどんな実がなるか判らない。
東金井駅を過ぎて高速道路を潜ると建物が減り、視界が広がる。列車は水田地帯を真っ直ぐ走った。遠くに山脈が見える。あの麓まで行くのだろうか。再び住宅地になって羽前長崎駅。そこからしばらく走ると大きな体育館があった。「歓迎 楽天イーグルス」という横断幕がある。東北を拠点とする野球チームだ。地域密着型の球団活動を行っているらしい。練習キャンプを行うのか、紅白戦の巡業なのかわからないが。
最上川を渡った。
大きなトラス型鉄橋が鉄橋が現れて、ゴーという音を立てて通り過ぎる。最上川である。最上川といえば、"五月雨をあつめて早し最上川"と芭蕉が詠んだ。日本三大急流のひとつ最上川は、たしかに雨が降ると流速が上がるのだろう。しかし、五月雨をあつめるという語句に私は惹かれる。源流の小さな川の流れを見て、これがやがて大きな川となる。芭蕉はおそらく源流の傍を歩いた。そして、険しい道から大きな川の流れる開けた場所に出た。この句からは、峠を越えた旅人の開放感を感じる。
ところで、左の沢と書いてあてらざわと読む。左沢は難読地名として知られているところだ。その由来を文献に求めると、最上川の左側をあちらと呼んだという説と、アイヌ語で大きな川が合流するアテイラに由来するという説がある。いずれにしても川に由来するから、古くから人が住み、農耕に適した場所だったと想像できる。
最上川を渡って、列車は"あちら側"の左沢に入った。沿線に建物が少しずつ増えて南寒河江。そしてこの列車の終点、寒河江である。人口4万4000人の寒河江市はさくらんぼの産地として有名だ。寒河江駅は立派な橋上駅舎である。町の玄関を駅とするならば、ここは豊かな街なのだろうと思う。駅舎の下は引込み線があり、車両基地になっていた。一時間に1本の運行にしては車両数が多い。通学ラッシュ時は6両、8両などと長大編成を組むのかもしれない。
寒河江駅。左沢線専用のキハ101。
駅前広場の右端にプレハブのバスターミナルがあった。室内はむんとするほど暑いので、私はすぐに外へ逃げた。夕方になって気温が下がっている。外は寒いが、狭い室内の暑さは苦手だ。身体を温めようと歩き回るうちにバスがきた。左沢までは約15分。街中を走り、やがて川沿いに出て、ふたたび街に入って左沢駅に到着する。とんがり屋根の洒落た建物だ。2階の窓が大きい。待合室か喫煙所なのだろう。
出発まで1時間ほどある。周りを見渡しても気を引くものはなかった。駅舎に入れば観光案内のポスターがあるだろうと期待して扉を開けた。中に入ると掲示板があり、土産物も並んでいる。その手前に入り口があって、奥に暗い部屋が見えた。ご自由にご覧くださいと書いてある。中に入ると、そこは小さな博物館になっていた。ここは駅ではなく、駅舎に併設された大江町交流ステーションという施設なのだ。
左沢駅。
毎年9月に開催される大江町の秋祭りを再現し、囃子舞台や獅子舞などが飾られていた。順番にライトが切り替わり、丁寧な音声ガイドが流れてくる。ほかにすることも無いので、そこに留まった。はじめは冷やかしだったけれど、いつのまにか真剣に見つめ、聴いていた。秋の収穫の喜びを、この地方はどんな思いで表現し、自然の恵みに感謝したか。それは単なる賑やかしではなく、生きる糧を得た喜びの表現だ。
2階のロビーは休憩所になっており、壁には地元の人々の写真や絵が飾られていた。私は1階の祭りのリズムで気分が高揚していた。2階のロビーをゆっくり歩き、展示物を眺めて気持ちを静めた。時計を見ればちょうど良い時間である。左沢線のホームに行くと、堂々たる4両編成の上り列車が到着した。帰りは中学や高校の帰宅時間にあたるらしい。大勢の高校生が降りて、親子連れと何人かの生徒が乗り込んだ。
列車は左沢を出ると見覚えのある最上川沿いの景色を通った。さきほどバスで通った道だ。ここは川の"あちら側"説を採ったとすると、それは"こちらがわ"の人々が名づけたはず、と気付いた。最上川を挟んで、こちら側とあちら側はどんな関係か。こちら側はさくらんぼの産地。あちら側も収穫祭が行われる豊かな土地。水運によって交流があったか、あるいはライバルだったのか。通りすがりの旅人には知る術もない。
とんがり屋根の下の展示ホール。
-…つづく
第182回からの行程図
(GIFファイル)