貝塚駅構内の立ち食い蕎麦屋『やりうどん』でうどんを待ちながら、店のオバちゃんに話し掛けた。
「やりうどんの"やり"ってどういう意味?」
「屋号です」
「なんで"やり"なんだろう」
「さぁ」
丸天うどんとかしわ飯のおにぎりが出てくる。丸天は円形のさつま揚げ、かしわ飯は鳥の炊き込み御飯である。かしわ飯はしょうゆ味がしっかりしてうまい。うどんは昆布出汁で、関東人にとっては珍しい澄んだ味がする。うどんを啜れば、熱いものが喉から腹に落ちていく。そうか、この突き刺すような熱さが槍か、と思う。
改札口から奥へ伸びるように島式ホームがあって、左側の乗り場にクリーム色の電車が停まっていた。地下鉄のホームは私の背後にあり、改札口を取り払えば1本のホームになりそうだ。ならばいっそのこと、線路を繋いで西鉄と地下鉄の相互乗り入れをすればいいと思う。インターネットで調べたところ、実は数年前に相互乗り入れさせる予定はあったらしい。しかし地下鉄は6両、宮地岳線は3両で運行され、運行頻度も違うので見送られたようだ。宮地岳線を6両編成で運行するためにはホームの延伸など多額の投資が必要になる。宮地岳線にその投資に見合う価値があるか、というと、それがどうも怪しいのだ。
ユーモラスな顔をした電車。
2006年3月30日、西鉄は宮地岳線の赤字を公表し、特に利用客の少ない新宮-津屋崎間の廃止を表明した。翌日には国土交通省に廃止届を提出。これで1年後の廃止が確定した。廃止反対運動が起こり、地元自治体は第三セクター転換を模索したが、結局鉄道は残せなかった。赤字だから地下鉄乗り入れの投資を拒む。赤字だから地下鉄乗り入れの起死回生を狙う。どちらの考え方が正しいのだろう。ビジネスは賭けではない、と思えば、廃止やむなしということだろうか。全線廃止ではないことが不幸中の幸いとも言える。
古い電車で、正面はなんとなく人の顔のようである。車内にはいるとツンとした匂いがする。小便臭いとも言うけれど、これはアンモニア消毒駅の匂いだ。この臭いは久しぶりだ。昔は全国どこでも、特急やブルートレインでさえこんな匂いがしたものだ。運転台にはレバーが2本。これも今となっては珍しい。昭和時代をテーマにした映画を作るなら、そのままロケで使えそうな車体である。動き出すと、予想したとおりのうぉぉんという音が響いた。懐かしい。
電車は右手に車庫を眺め、単線の線路をトコトコと進む。すぐに多々良川を鉄橋で渡る。右手に鹿児島本線の鉄橋も見える。振り返ると左手にも別の線路が寄り添っている。赤い電気機関車が1台だけで走っていたから貨物線のようだ。貨物線はこちらをまたいで右手に移動し、宮地岳線と鹿児島本線に割り込んだ。
貨物線が並ぶ。
単線の路地裏電車という風情から一変し、線路や架線柱などが新しくなった。途中で高架線になって千早駅に付く。すれ違い可能な駅である。ホームは短いけれど、延長しようと思えばできそうだ。地下鉄乗り入れのためにゆとりを持たせているのだろうか。終点側は廃止だというのに、貝塚側は高架化工事で近代化されている。付近には高層マンションもある。過疎と集中、廃止と投資。皮肉な対比だ。
JRの特急とすれ違う。鉄道好きには楽しい眺めだ。香椎宮前を過ぎてJRの線路は別れ、西鉄香椎駅。やはり高架線に作られた新しい駅である。その真っ白なコンクリートを見て思い出した。香椎駅と言えば松本清張の小説『点と線』で重要な場面となったところ。その西鉄香椎駅が高架化で取り壊されるというニュースがあった。映画にも登場した西鉄香椎駅は大正時代の建築で、歴史的な価値もあったはずだが、残念ながら取り壊されてしまった。そしてこの高架駅がある。
新しい街作り。
単線のままとはいえ、ここまでリニューアルが進むと、本当に末端区間は廃止されるのかと不思議に思う。しかし、トカゲの尻尾切りのような廃線はいくつも前例がある。広島県の可部線がそうだ。南海電鉄の和歌山港線、名鉄の三河線も。鉄道会社は地域の隅々まで路線を延ばし、その結果、便利になって人々が中央に流動する。そして過疎化が進み、線路は役目を終える。なんだ、因果応報ではないか。
鉄道は街を作ったのか、それとも壊したのか、どっちだろう。かつて鉄道は街を作るために延伸した。しかし、いまは街の恩恵を受けられるところしか存在できない。いまや鉄道は都市の利益を享受する商売だ。もはや地域開発のリーダーになる時代は終わったのだろうか。使命感を持ち、身を削り、明日の発展を信じて列車が走り続ける。そんな時代もあった。それが少年たちの憧れる鉄道の姿だった。
香椎を発車するとすぐに下り坂になり、元の地平路線になった。古い電車に似合いの単線で、なぜかこの方が落ち着く。前方にジェットコースターのレールが見えて香椎花園着。すれ違いのため複線になってるが、その区間が妙に長い。長大な貨物列車が走ったわけでもなさそうだし、昔は留置線も兼ねていたのかも知れない。
電車は住宅街を走っている。乗客は1両あたり2、3人だ。右側から単線が近づいた。JR香椎線である。この路線は高校時代に乗った。海の中道へ行く路線で、海の中道と呼ばれる真っ白な砂浜の上を走った。あれから20年以上も過ぎた。あの浜は、あの海はいまどうなっているのだろうか。その線路はこちらの線路を越えて左へ消えていく。こちらは相変わらずの住宅街である。
三苫駅、西鉄新宮の順に停まった。この西鉄新宮までが生き残る区間。ここから先は廃止予定区間である。突然車窓に緑が多くなる。新宮神社、そして防砂林だろうか。古賀ゴルフ場前という駅に着く。ゴルフバッグを担いで電車でプレーするお客は少ないだろうなと思う。
廃止予定区間は緑が多い。
ここから先は駅間距離が長くなる。海の近くを走っているはずだが、車窓からは見えない。しかし建物の密度は低くなっている。そして、とうとう見つけた。「宮地岳線を存続させましょう」という看板だ。赤い幟も立っている。が、控えめである。電車は小さな声援に応えるように速度を上げた。揺れが大きくなる。ちらりと海が見えた。
西鉄福間駅はJR福間駅に近い。これが宮地岳線の低迷の理由でもある。このあたり、急ぐ客はJRに乗ってしまうのだ。東京や大阪の路線なら、地下鉄と直通し急行を走らせて対抗するところだが、それほど鉄道の需要がないということだろう。他の大手私鉄のようなニュータウン開発も行われなかったようだ。西日本鉄道は地域開発というよりも、九州全域へのバス路線網で収益を上げる会社という印象がある。沿線には新築のアパートや建て売り住宅もあり、入居者募集中と書いてある。しかし宮地岳線は廃止される。静かになったと喜ばれるのか。それとも不便になったと嘆いてくれるのか。
路線名の由来になった宮地岳駅を過ぎると終点の津屋崎だ。駅前には自転車が整然と並んでいる。閑散とした電車で訪れた私に、確かに利用客がいるんだと訴えてるような景色である。駅舎の窓口に中年の女性がいた。客がひとり、またひとりと訪れて、キップや回数券を買っていく。窓口の女性は回数券の綴りに丁寧に日付と行き先の判を押していく。ミシン目で繋がった回数券を見るのも久しぶりだ。
津屋崎駅。
せっかくだから津屋崎の海を眺めようと歩き出した。駅前には広い国道があり、整備されたアスファルトの向こうに、古めかしいが風情のある小さな建物が並んでいる。道の広さと建物の低さのおかげで空が広い。いかにも海のそばの街という眺めだ。その道路の左方向、空の青が路面に接している。あそこに海が見えるはずだ。
広い道は左にカーブしていく。曲がらずに道路を渡ると足下が白砂になった。青い海が見える。映画館のスクリーンに映し出されたような、ほんとうに青い海だ。水平線。モーターボート。水上スキーに乗っている人がいた。砂浜に鳥の一群……。驚いたことに、他には誰ひとりいなかった。平日の午後だし、海水浴シーズンでもない。それにしても誰もいない。砂浜を見渡せば、左右の視界の端まで私ひとり。
足跡のない砂浜を歩いた。犬の散歩に相応しい場所だ。しかも足下にゴミひとつ落ちていない。建物のひとつひとつが、海岸を舞台にしたドラマのセットのようだ。なんとなく湘南を連想する。しかも本物の湘南ではなく、ドラマや映画で美しく描かれた湘南だ。宮地岳線が江ノ電のように海沿いを走ってくれたらいい絵になったと思う。
この方角から察するに夕陽はきれいだろう。見てみたいが、鉄道のない場所に再び訪れることもなさそうだ。私は深呼吸してから海に背を向けた。波に洗われた砂の上に、私の足跡だけが残されていた。
津屋崎海岸には誰もいなかった。
-…つづく
第175回からの行程図
(GIFファイル)