第44回:Guilin (7)
更新日2007/02/08
午後までのんびりと西街で過ごした後、夕方の南寧行きバスに乗るために陽朔を発って桂林の街中へ戻った。ここで数日前に買ったチケットは、紙切れに鉛筆で行き先を書いてくれただけのものであったのが心配で、場合によってはまたひと悶着あるかもしれないなと考えていたのだが、予想に反してそのチケットを見たチケット売り場のにこやかなおばさんは、大丈夫だから出発の6時を待ちなさいというようなことを仕草で知らせてきた。
結局、予定出発時刻を30分ほども回った頃に、チケット売り場のおばさんが、あれに乗れと右の方を指差した。慌ててバックパックを担いでバスのほうへ向かった我々だったが、バスのチケットをチェックしている男性は、我々のチケットを見てこれは駄目だと無碍もない表情で知らせてきた。
やはりあの人のよさそうなおばさん、あの笑顔で観光客を騙し慣れていたのかと怒りが込み上げそうになっていたところへ、別の男性がこっちへ来いというような仕草で我々を呼ぶ。また他のチケット売りが来たのかとも思ったが、例のチケット売り場の方に目をやると、あのおばさんがその男について行けと相変わらずの笑顔で知らせてきた。
このまま騙され続けるのも不味いとは思いながらも、南寧行きのバスを今逃すとビザの問題もある。もうしょうがないやと半ば諦め気分で、その呼びに来た男性について行くことにした。確かにその男性は、例の手書きのチケットを見て大丈夫と笑顔で知らせてきたのだが、その男性が案内してくれたのは、なんと我々が予想していたようなバスではなくて、8人乗りといった感じのバンであった。
そこへ荷物を大量に抱えた先客の中国人が、ぎゅうぎゅうに乗り込んでいたのだ。確かにチケットの値段は他の売り場よりも安かったが、いくらなんでもこの車内状態で桂林から南寧の長旅をやり過ごすのはきついものがある。そこで、これじゃあ話しが違うじゃないかと英語と、漢字の筆談で知らせようとするのだが、急いでいるのだから早く乗れというような仕草で、その男性はまともに取り合おうともしない。
まったくどうしたものかわからないのだが、ここは旅人の勘とでもいうのか、中の乗客を見ても別段焦った顔はしていないし、とりあえずはなるようになれという気持ちで乗り込んでみた。この定員オーバーの狭いバンの中では身動きもできないほどで、薄暗くなった見知らぬ街の中、いったい何処へ向かっているのかもわからないという不安があったが、15分ほど走ったところでこのバンは、何事もなかったように大型の寝台シート付のバスの前で止まった。
こうなってみると、なんだあのバンはこのバスまでの乗り継ぎだったのか、ということになるのだが、中国語の話せない我々と英語の話せない彼らの間では、こんなことですら全く意思の疎通が難しい状況になってしまう。確かにメイヨーはこの国での個人旅行の大敵であるが、このような状況で英語をまったく理解しない人が多いというのも、この国での個人旅行が難しいことの原因のひとつには違いなかった。
別に中国に限ったことではなく、アジア全般に言えることなのかもしれないが、バスの運転手というものはひたすらに暴走するのが義務になっているらしい。というわけで、この南寧行きのバスも、狭いスペースの寝台ベッドは備え付けられていたのだが、あまりの暴走運転にまともに横になっていることもできない状態であった。
もともとが舗装状態もままならない道路の上に、山道続き、さらには坂道に差し掛かるとエンジンがウインイウイン唸るオンボロのバスである。そのバスを強引に吹っ飛ばすものだから、横になっていると頭をゴツンゴツンとあちらこちらでぶつけてしまうことになるのだ。いったいこれほどの猛スピードと荒い運転で、大丈夫なのかと乗っている方は気になってしょうがないのだが、窓の外の状況を見ようにも真っ暗闇で明かりひとつない道続き。じゃあしょうがないからというので、横になって寝ようとすればゴツンゴツンである。
まあこればっかりは、乗ってしまった以上、後は運を天に任せるしかない。というわけで、一度でも中国の山間部を走るバスに乗ってみれば、どうしてこの国ではバスの大事故が多いのか、すぐに納得できるだろう。
-…つづく
第45回:Guilin
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