第25回:Shanghai (4)更新日2006/07/13
アジアへやって来ると必ず克服しなければならないもの。それがどんなものかというと、それは交差点や通りの向こう側へ渡る儀式のことである。この観点からいくと、シンガポールや日本などのように整然とした国でなくとも、香港ですらそういった意味では、本来のアジアとは言い切れないのかもしれない。
とにかく信号などはお構いなしの暴走ドライバーの群れが、いったいどういったルールで走っているのかまったく検討もつかない混乱振りで、乱雑に途切れなく通りを行き来しているのである。
そこを渡る時の恐怖感といったらない。とにかくただ途切れるのを待っているのでは、いつまで経ったって渡れるわけはないのである。取れる手段はただ一つ、思い切って暴走してくる車やバイクの群れの中に、流れを切るように飛び込む以外はないのだから。
そしてこのアジアン・ルールの凄いところは、歩行者が暴走ドライバーの群れの中を横切りだしたからといって、誰もスピードを緩めてくれたりはしないところである。とにかく一切スピード落とさず、自分へ向かって一直線に向かってくる彼らに怯むことなく、向こう岸までジワリジワリと渡り切ってしまわなければならないのだ。
そういうわけで、ここ上海でその蟻か蠅の大群のようにブインブイン排気ガスを撒き散らしながら突っ走る、トラフィック・カオスの洗礼をこの旅で初めて受けることになった。何度経験してもこればっかりは、気持ちのよいものではない。なにしろアジアを旅していれば、交通事故を起こしてひっくり返った車やバイク、倒れている人を路上で見ることは決してまれではなかったりするのだから。
上海の経済発展の勢いは、旅行者の目から見ても驚かされるものがあった。観光客や上海のカップルがそぞろ歩く外灘をしばらくうろつき、黄浦江の地下にある観光トンネルを通って、世界第3位の高さを持つビル金茂大厦をはじめとした高層建築が立ち並び、中国の経済発展の象徴でもある浦東地区へ向かった。
シカゴからやって来ると格別にこの街の摩天楼が凄いとかいう気持ちは起きないが、そのシカゴや香港に比べてもなお、そこかしこに満ちている活気というものには勢いがあった。
それを象徴していたのは、通りを行き来する人々の目がギラギラしていたことだった。何かしら落ち着かず、それでいてどこか遠くを夢見ているような光が眼には宿っていた。アヘン戦争に敗れた清が、南京条約(1843年)を締結したことにはじまる英(1845年)、米(1848年)、仏(1849年)、続く日本の日清修好条約(1871年)による租界設置の頃の混沌とした活気が、ようやく長い眠りから目覚めつつあるようだ。
-…つづく
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