第19回:Hong Kong (8)更新日2006/04/27
カオルーンの夜の街へ繰り出して、いつものようにワンタンメンと青菜の夕食をとっていると、ローカルの女の子ニ人組みが、向かいのテーブルからわざわざ席を移してこっちへやって来た。
こういう中華系の人たちのこちらの都合をまったく考慮しないやり方には時々びっくりさせられてしまうのだが、この時も朝からいろいろ動き回っただけに、内心そっとしといてくれよというのが本音であった。
しかし自分も旅へ出て日が浅いだけに、まだまだそれを跳ね除けるほどにはずうずうしくなり切ってはおらず、断る理由もないままに結局は一緒に夕食を摂ることになってしまった。
彼女たちは慣れない英語をたどたどしく操りながら我々に自己紹介をした後で、明日からの予定を聞いてきた。もちろんここですべての素性や行動を気安く喋ってしまうと、後でどんなストーリーが待ち受けているか分かったものではなかった。
私たちはのらりくらりと適当に答えながら、彼女らの話しを聞き流していたのだが、話しを聞いているうちに彼女たちはアメリカへいつか移住を考えているらしいということが分かってきた。
そういうわけで白人を見かけると話しかける機会を作っては、英語の勉強と人脈作りに励んでいるのだという。だが、街中でいきなり話しかけて、それはないだろうと思ってしまうのは日本人の考えで、彼らにとってはそんな小さなことを考えているよりは、行動あるのみといった感じなのであろう。
こういうアジアの人たちのバイタリティーには、ときどき本当に感心させられる。日本のようにのほほんとしていても暮らしていける国で育った我々の国の経済が、これから先、ハングリー精神に溢れる彼らと立場が逆転しないという保障はどこにもないんじゃないだろうか。
彼女たちは自分たちの自己紹介を終えると、この店のお勧めを我々に伝えつつ、気がつけばテーブルの上に次々と新たな料理を注文しては、それをとって分けてくれた。
正直これは不味いことになったぞと思った。もちろん、ここは安食堂なので、それぞれの単価は知れている。しかし、目の前に並んだ料理を散々食べた後でトンずらされたのでは、内心やられたという気持ちで後々まで腹が煮え繰り返ることにもなりかねなかった。
しかしその杞憂は、単なる自分の勘違いに終わった。いろいろ話して、食事も終えると彼女たちは、自分たちのアドレスを紙に書いて渡し、ペンパルになってくれと言い残して勘定を済ませた。
こうなると彼女たちを疑った自分が恥ずかしいが、それでもまだ心のどこかにひっかかる、勘定を済まされたことで後で何やら見返りを求められても嫌だなあという気持ちから割り勘にしようと提案したのだが、頑として聞き入れてくれようともしなかった。
こういう場合の彼らの頑固さといったらない。一旦、好意を見せようとする時の彼らの態度には、絶対に譲らない強い意志が見受けられるのである。
こんな旅人への好意がうれしいながらも、結局、最後まで自分は心を開ききれずに、自分のアドレスも身の上も話しきらず、この後、東南アジアを旅するということだけを告げた。
彼女たちはそんな自由気ままな自分たちの境遇を羨ましそうに聞き入るとともに、いつかは自分も世界を旅できる身になってみたいと答えた。
そうなのだ、貧乏旅行とはいっても彼らにとってはこんな風に自由気ままに旅など続けられる身分は、信じられない境遇に違いないのだ。
-…つづく
第20回:Hong
Kong (9)