■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回:Chungking express (前編)
第2回:Chungking express (後編)
第3回:California Dreaming(前編)
第4回:California Dreaming(後編)
第5回:Cycling(1)
第6回:Cycling(2)
第7回:Cycling(3)
第8回:Cycling(4)
第9回:Greyhound (1)
第10回:Greyhound (2)
第11回:Greyhound (3)
第12回:Hong Kong (1)
第13回:Hong Kong (2)
第14回:Hong Kong (3)
第15回:Hong Kong (4)
第16回:Hong Kong (5)
第17回:Hong Kong (6)
第18回:Hong Kong (7)
第19回:Hong Kong (8)
第20回:Hong Kong (9)
第21回:Hong Kong (10)
第22回:Shanghai (1)
第23回:Shanghai (2)
第24回:Shanghai (3)
第25回:Shanghai (4)
第26回:Shanghai (5)
第27回:Shanghai (6)
第28回:Shanghai (7
第29回:Shanghai (8)
第30回:Peking (1)
第31回:Peking (2)
第32回:Peking (3)
第33回:Peking (4)
第34回:Peking (5)
第35回:Peking (6)
第36回:Peking (7)
第37回:Peking (8)
第38回:Guilin (1)
第39回:Guilin (2)
第40回:Guilin (3)
第41回:Guilin (4)
第42回:Guilin (5)
第43回:Guilin (6)
第44回:Guilin (7)



■更新予定日:毎週木曜日

第45回:Guilin (8)

更新日2007/02/15


桂林を発った夜行バスは山間部をひた走り、深夜遅くに町明かりの見える場所に止まった。ここがどうやらそのバスの終点ということらしく、乗客はみんな手に手に荷物を持って外へ降りだした。南寧へ行きたかった我々であるが、こんな時間にバスが到着するというのは、どう考えても時間が早すぎる。

ここでもまた状況がよくわからないままに、他の乗客と同じようにドライバーにバスを降ろされたのだが、こんなところで降ろされてバイバイされたのでは我々だって困ってしまう。中国語を話せたらどれほど楽だろうかと考えながら、例の手書きのチケットをドライバーに見せると、それならあのバスだと何台か周りに止まっているうちの一台を指で示してくれた。

乗り換えてみると、寝台車ではなく通常の座席があるだけのバスであったが、今度のバスは先のポンコツバスが信じられないような綺麗なバスで、これならアメリカのグレイハウンド程度のクオリティーはあるなと思わせてくれる座席をしていた。

揺れの酷いバスで、頭をぶつけながら時間をやり過ごしていたせいもあって、このバスに乗り換えた瞬間には眠りに落ちて、気がつけばもうバスは南寧の大きな街に着いていた。中国の南の端にこんなに大きな街があることにも驚きだったが、大きな街の割には自分の中にある中国の大都市のイメージとは違って、トゲトゲしさはほとんど感じられないような和やかな雰囲気が漂っていた。

できれば初めて訪れるこの街でも、もう少しゆっくりしたかったのだが、何しろビザの有効期限切れは今日までである。そういうこともあって、とにかくどうしても今日中に中国を出て、ベトナムへ抜けなければならないというわけであった。

南寧の巨大なバスターミナルから、さらにバスを乗り継いで到着したベトナム国境の町凭祥は、南寧の賑わいとは打って変わって、静かな田舎町といった感じであった。

バスターミナルに降り立つと、これまでの中国では見かけることのできなかった、バイクタクシーが待ち受けていた。これだけでも、「ああ中国とはいっても、ここはすでに東南アジアなんだなあ」と実感させてくれたが、バイクタクシーに国境までの料金を値引交渉すると、なんとメイヨーではなく、困ったような笑顔で多少値引いた額を提示してきた。

とりあえず、国境までの相場というのを知らないままに決断するのもあれだということで、一旦そのバイクタクシーの提示する値を蹴り、バックパックを担いでバスターミナルの中へ入った。バスでの長旅の後ということもあって、バスターミナル脇のトイレへ入ったのだが、そこでは中国最後になるトイレを思う存分に味わうことができた。

しかし中国のトイレというものは、どうしてあれほどに恐怖なのであろう。他の国でもそれなりに不潔なのは、トイレというものの機能上当然といえば当然なのだが、この国のトイレのそれは、個人的には世界でも際立っていると思えてしょうがない。

中国でも最南部に位置する、蒸し暑い町にあったそのトイレは、息をするのも苦しくなるような強烈な臭いと、大量のハエ、人口がやたらめったら多い国ならではの溢れかえるような糞便に、そこら中に散乱する痰や汚物の飛沫、そして一列に並べられた壁なしの溝に腰掛けて、大の男たちがズボンを下げて一列に腰掛けている姿・・・、こうやって文章にするだけでもぞっとするが、現実のそれは本当にできれば遠慮させてもらいたくなるものである。

中国最後のトイレを味わった後は、バスターミナル前で待ち受けていた乗り合い小型バスで、国境へ向かった。結局、この乗り合いバスの方が、バイクタクシーよりも値が安いということに気がついたのはよいのだが、まったく英語を理解しないドライバーと地元の乗客に、中国では散々使った漢字での筆談で、国境のバス停を聞き出すのには、それなりにてこずった。ただしこの凭祥という町の人々は、なかなか意思の疎通がスムーズにいかないにもかかわらず、絶え間ない笑顔でそれに付き合ってくれたのが印象深かった。

小型バスは国境から程近い丘の下で我々を降ろし、笑顔で手を振ってくれる乗客と共に去っていった。小型バスの乗客たちは、降りたら歩けと伝えてくれていたのだが、実際に小型バスを降りてみると、そこには新たなバイクタクシーたちが待ち受けていた。

ただし驚いたのは、このバイクタクシーの運転手たちが、揃いも揃ってまだ小学生くらいの男の子たちだったということだ。小型バイクの座席から、どう考えても両足が着かないような年端のいかない男の子たちだったが、その商売人振りは立派なもので、歩いていくといっても、乗れ乗れとしつこく付きまとう。値段は一人1ドル程度のものだったが、その値段がどうのこうのというよりは、こんな小さな子供の運転するバイクに重いバックパックを背負って乗せてもらう方が心配である。

自分で運転させてくれとも話してみたが、それだけは駄目だと言い張る。歩いて国境まで行ってもよかったのだが、桂林からのバスの長旅で疲れていたこともあって、この小さな男の子のバイクに、ちょっと不安ながらも乗ってみることにした。

意外にも正確なハンドリングで走る彼らのバイクで、スムーズに山道を5分ほど走ると、城のような形をした威圧感のあるゲートが見えてきた。ゲートには友誼関という字が大きく刻まれており、中越戦争以降におけるベトナムと中国のフレンドシップを記念する記念碑のようなモニュメントとして、現在は観光地にもなっているらしい。

そのゲートを歩いて潜ると、そこには中国側のイミグレーションがあった。ここで出国手続きを済ませれば、いよいよ中国の旅も終わりというわけであった。

…つづく

 

 

第46回:Vietnam (1)