■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回:Chungking express (前編)
第2回:Chungking express (後編)
第3回:California Dreaming(前編)
第4回:California Dreaming(後編)
第5回:Cycling(1)
第6回:Cycling(2)
第7回:Cycling(3)
第8回:Cycling(4)
第9回:Greyhound (1)
第10回:Greyhound (2)
第11回:Greyhound (3)
第12回:Hong Kong (1)
第13回:Hong Kong (2)
第14回:Hong Kong (3)
第15回:Hong Kong (4)
第16回:Hong Kong (5)
第17回:Hong Kong (6)
第18回:Hong Kong (7)
第19回:Hong Kong (8)
第20回:Hong Kong (9)
第21回:Hong Kong (10)
第22回:Shanghai (1)
第23回:Shanghai (2)
第24回:Shanghai (3)
第25回:Shanghai (4)
第26回:Shanghai (5)
第27回:Shanghai (6)
第28回:Shanghai (7
第29回:Shanghai (8)
第30回:Peking (1)
第31回:Peking (2)
第32回:Peking (3)
第33回:Peking (4)
第34回:Peking (5)
第35回:Peking (6)
第36回:Peking (7)
第37回:Peking (8)
第38回:Guilin (1)
第39回:Guilin (2)
第40回:Guilin (3)
第41回:Guilin (4)
第42回:Guilin (5)
第43回:Guilin (6)
第44回:Guilin (7)
第45回:Guilin (8)
第46回:Vietnam (1)
第47回:Vietnam (2)
第48回:Vietnam (3)
第49回:Vietnam (4)


■更新予定日:毎週木曜日

第50回:Vietnam (5)

更新日2007/03/22

 

ハロン湾での2泊3日の旅を終え、一旦ハノイへ戻った我々は、先日出会ったカナダ人旅行者から仕入れておいた情報をもとにキムカフェへ向かい、そこでサイゴンまでの途中下車可能な格安片道バスチケットを購入した。

普通ツアーと聞くと、大手の旅行会社が現地の土産屋などと組んで、格安のパック料金を作り上げているというような、ある意味きちんとした金払いのよい客が高級ホテルに泊まるツアーでもない限りは、自分でローカルの交通機関を乗り継いで旅をする方が安いというイメージがあるものだ。だが、このベトナムという国では、外国人価格というものが官にも民にも満ち溢れていることもあって、この手のツアー会社を通してチケットやツアーを組んだ方が、貧乏旅行者ですら地元民と一緒にローカル路線を乗り継ぐよりも遥かに安く上がるのである。

ちなみにベトナム全土に展開しているこれら外国人旅行者向けの格安ツアー会社には、キムカフェ、シンカフェの両巨頭をはじめとして、カフェという名がついているものが多いのだが、別段コーヒーを飲むだけのカフェというわけではないのが面白い。

チケットを購入した店の前から小型のバンで街外れまで移動し、そこで次の目的地であるフエへ向かうためのバスが来るのを待った。もうすっかり日も暮れて、バスが来ることになっていた予定時刻である6時を2時間半も過ぎた8時半頃、一緒に待ちぼうけを食らっていたフランス人カップルの男性が苛立ちを隠しきれずに、連れ合いの女性にあたり散らし出した。その苛立ち振りが他の待ちぼうけ客にも伝染し、皆が皆いったいどうなってるんだよと呟きあうなか、予定時間を3時間ほど過ぎた午後9時頃になってやっとバスは到着した。

バス自体は一見すると普通の中古バスといった感じだったのだが、そこから始まったバスの旅は、なかなかどうして中国でのバスの旅に負けず劣らず酷いものだった。一切シートの倒せない、狭苦しい車内を満席に埋めた外国人バックパッカーたちは、暑さと湿気でムンムンとしたクーラーもない車内で、蚊の襲撃を受けながら眠れない夜を過ごすことになったのだから。

そしてそんな窮屈で蒸し風呂のようなバスの長旅を、もっと苛立たせる旅に変えたのは、バス待ちの間に苛立ちを隠せずガールフレンドに八つ当たりしていたフランス人が男性が、我々のシートの横に陣取っていたことだった。

バスの最後部一つ前に席を割り当てられていた我々と、そのフランス人カップルは、ちょうど横並びになる形で旅を共にすることになったのだが、最後尾は乗客全員のバックパック置き場と化していたために、実際のところ我々が最後尾といってもよかった。

そんな状況では、どうしてもそのカップルの仕草から逃げ出すわけにはいかない状況なのであるが、そのフランス人男性、どうもかなりの自分勝手な輩らしく、暑いというようなことを言っては女性に当たり、狭いといっては女性に当たりといった感じで、いつもなにかしらブツブツと文句を垂れている。おまけに、靴を脱いで通路へ放り出した足の臭気といったら、世界一足が臭いと思っていた中国人男性もびっくりといったものだった。

途中で3度ほどトイレ休憩と食事を兼ねた小休止があったのだが、それ以外の17時間ぶっ通しで走り続ける旅の間は、ずっとこの男性が女性にぶちぶちと文句を垂れるのを小耳に挟み続けなければならないという、うんざりするような時間が延々と続いた。

やっとそのバスの旅の苦痛から開放されて降り立ったフエは、古都らしくハノイに比べるとずいぶんと落ち着いた感じのする町であった。とりあえず安宿に荷物を降ろし、自転車をレンタルしてフエ観光の目玉であるグエン朝の王宮跡へ向かった。

この場所は19世紀にベトナムを支配していたグエン朝の本拠地であり、現在でもかなり大きな王宮跡を見学することができるのだが、ベトナム戦争当時にこの街は最激戦区のひとつとなってしまったために、そのほとんどが破壊されてしまったのだという。

そういうわけで、大きな正面門を潜って大和殿の向こうまで行くと、そこには何もない瓦礫が点在する野原になっていた。もちろん、それでもまだかつての栄華を偲ばせる面影を十分に感じることができる王宮跡であったが、何よりも驚かされたのは、王宮の周りに残る城壁などにも、ベトナム戦争時の砲撃や銃撃戦の痕がはっきりと見て取れることであった。それらの銃痕は、この静かなフエの街が、いかに過酷な歴史を経てきたのかをひしひしと伝えてきた。

この王宮がある地域は、狭い路地の入り組むフエの旧市街になっており、フォン川を挟んだ対岸が新しいホテルやカフェの集まる新市街になっていた。我々はその新市街側に宿をとっていたのだが、その宿の周りにあるカフェには、こんなに静かな街なのにもかかわらず、やはりハノイと同じく東京やシカゴにあってもおかしくないようなお洒落な店があって驚かされてしまう。

ベトナムという国は、フランス時代の名残なのか、こういう西欧的なセンスに関してはかなりレベルの高いものが息づいているようだ。もちろん、そんなお洒落なカフェのすぐ隣には、うどんのような米ヌードルのブン・ボー・フエの庶民的な店もあったりするところはベトナムらしいといえばらしかった。

翌日は朝からグエン朝の王族が眠る帝廟巡りに行くために、フォン側を下る小さなボートに乗った。しかし、ほぼ1日がかりのこのボートツアーの値段にはまたまた驚かされてしまった。何しろランチまでついて、1人2万ドンほど(US1ドルちょっと)なのだから。ただし、ボートの中に積み込んだ炭火で炊いてくれるご飯や汁物のランチは、濁ったフォン川から汲み取った水で調理していたが。

漁船のような小さなボートには、我々以外にもカナダ人女性1名とイギリス人男性2名の同乗者がいた。イギリス人男性2名は、ボートが泊まる各名所でせっせと入場料を払って忙しく観光地巡りをするのだが、我々はこのボートに乗ってのんびりと川を下れればそれだけで満足という気分が強く、無料で入れる帝陵や外から眺めることのできる塔を垣間見るだけで、後の時間は川原で遊ぶ子供たちや景色を眺めていた。

そうやって川を下りながら何箇所か帝廟巡りをしているうちに、一人でボートツアーに参加していたカナダ人女性も、やはり入場料を払う帝廟には入場せずに、川原で腰掛けて読書したり、帝病の敷地の周りを散策したりして時間を過ごしていることに気がついた。

我々も旅に出てまだ2ヶ月といったところではあったが、いろんな名跡名所を見て回っているうちに、そういうものも興味深いのだが、そこの周りに流れる時間をただのんびりと楽しむという過ごし方に少しずつ変化していた。

この旅がもし3泊4日とかいう短期旅行で、何かを見に来たという明確な目的があるのであれば、それはまず間違いなく入場料を払ってでも見学しに行くのであろうが、こうやって毎日のように移動を続ける日々の中で、いろんな人の営みの中を通り過ぎていくうちに、そのあたりの旅の時間の過ごし方というものもやはり変化するものなのだろう。

この物静かなカナダ人女性に興味を持った我々は、川原で腰掛けている彼女に話しかけてみた。レイチェルという名のこの女性は、今まで働いていた仕事を辞めたのを機に、一人でアジアを巡る旅に出たのだという。話を聞いているうちに、レイチェルが通ってきた道程は、かなり我々と重複することが分かってきた。

カナダから北京入りしたレイチェルは、その後雲南省を通過して桂林へ、そして我々と同じ憑祥の国境を越えてハノイ入りしたのだという。さらにはハノイから2泊3日のハロン湾ツアーに参加した後、キムカフェのツアーでこのフエの街へ来たというではないか。このボートツアーにも我々と同じように参加しているというのはもちろん尋ねるまでもなかったが、上海と雲南という訪問地の違いはあれども、かなりの部分が重複する旅のルートであった。

そうなのである。パック旅行ではない、こういう明日の宿も決めていないその日の気分次第で行き先を決めながら進む旅であっても、やはり国境を陸路で越えるポイントというのはどうしても限られてくるわけだし、観光地や安宿が集まる地域というのも、やはりそれなりに限られてくるものなのだ。

みんないろんな思いの詰まった線を引きながら旅を続けても、その線が交差する点というものは、どうしても重なるものなのだ。旅を続ければ続けるほどに、世界というのは広いようでやっぱり狭いのかもしれないと思う。

-…つづく

 

 

第51回:Vietnam (6)