第44回:いざ、コンサートに挑まん…
聖トーマス教会のバッハ・コンサート(2015年)
ドイツのホテルは通常朝食が付いています。最近、別会計になっているビジネスホテル的なところも増えたにしろ、コーヒー、紅茶、数種類のハム、ソーセージ、ベーコンに卵料理、ヨーグルトなどなど、実に盛大なビュフェ、ヴァイキング方式だ。それは安いプリヴァートハウス・ツィンマー(Privathaus Zimmer;個人宅の一部屋、間貸し)でも同じだ。貧乏バックパッカー時代に身に染みてしまった貧しい根性なのか、生まれつき食い意地が張っているせいなのか、私はツイツイ食べ過ぎてしまう傾向がある。これは良くない。どころか満腹はバッハを聴く妨げになる、と偉そうなことを言えるのは、痛い経験を味合されたからだ。
バッハ音楽祭は各教会持ち回りのような形式で午前9時半に“音楽ミサ”が行われる。その中にバッハの時代なら想像もできないことだが、カトリック教会でのバッハ演奏、コーラスも含まれていたりする。それが小1時間、それから11時に旧市庁舎の裏、アルテボーゼ(旧証券取引所)の2階で、主にその年のバッハ・コンクールの入賞者などのリサイタルがある。その年にもよるが、ここが蒸し暑い。もちろん、バッハ音楽祭に使われる他の会場同様エアコンなどはない。このあたりで睡魔が襲ってくる。朝食を詰め込み過ぎたバチだ。
経験上、やっと少しは学び、コントロールできるようにはなったが、老化と伴に音楽を聴くための肉体条件、身体のコンディション作りが難しくなってきているのだ。そうかといって、お腹を空かし過ぎていては、腹が鳴り音楽に集中できない。その中間、満腹でもなく、そうかといって空腹でもない状態に胃袋を持って行かなければならないのだ。
もっと重要なのは、出す方だ。70歳半ばを越すと、自然だと思うのだが、小用が近くなる。2時間から3時間のコンサートの間、もたせるのが困難になってくる。これは実に由々しき問題で、小便を堪えながら、いかなる音楽も耳に入ってくるもんじゃない。音楽鑑賞に当方の肉体的条件が大きな比重を占め始めたのだ。
外国を旅していて、緊急事態に陥った時、日本の街ならデパート、駅、パチンコ屋などに駆け込めといった、一般に当てはまる解決策はない。公衆トイレが要所要所にあるのだろうけど、緊急時には見つからないものだ。駅のトイレでさえ有料のところが多い。
ライプチッヒでは、聖トーマス教会脇の地下に大きな公衆トイレがある。あとは大学構内、聖ニコライ教会と聖トーマス教会の中間点にあるデパート『ガレリア・カウフホーフ(Galeria Kaufhof)』の4階にあるが、これも近年0.7ユーロ取るようになった。もっとも、デパート内で買い物をする時、そのトイレのレシートでその分を割り引いてくれるのだが…。
ゲバントハウス、オペラハウスなどには立派なトイレがある。他の教会に申し訳程度の小さなトイレがあるにはあるが、こちらが焦っている時はいつも誰か先人が立て篭もっているものだ。
奥の手は、市中にあるホテルに堂々と入って行き、レセプションでトイレはどこだと如何にもそのホテルの泊まり客然として尋ねるか、歩道に大きく張り出しているレストランのトイレを借りることだろう。私は何度もその手を使って救われた。
それにしても、驚くのはヨーロッパ人、とりわけドイツ人らの膀胱の大きさだ。巨大な汚水タンクを持っているとしか思えないほど、貯水が効くようなのだ。6月初旬のバッハ音楽祭の期間、異常に寒くなる日もある。エアコンを備えた教会はまずない。バッハの時代、冬の寒さにどうやって耐えていたのか、しかも祝祭日のミサは軽く3時間を超えるのが当たり前だった。
ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』で知ったことだが、当時というより最近まで教会の門の前に熱々レンガ、砂袋屋がいて、何ペニッヒかの小銭を払うと所定の席まで熱源を大きなヤットコで挟み、運んでくれていたようなのだ。そのレンガや砂袋に足を乗せ、女性なら何枚も重ねて穿いたスカートの内側から暖を取っていたようなのだ。もちろんだが、現在、バッハ音楽祭の最中、教会でそんなサービスはない。
出す方のことばかり書いてしまったが、食べる方、これは共産主義国の時代には外食産業が育たず、学食様様だったのが嘘のような賑やかさになった。混乱するほどありとあらゆる国のエスニック・レストランが乱立するようになった。その変わり様は唖然とするくらいのものだ。
偶然から持っていた旧東ドイツのマルク紙幣とペラペラのアルミのコインで、冗談にこれで払えるかとフランクフルト・ソーセージ屋で尋ねたら、しばらく裏表をひっくり返しツブサに観てから、「これ、どこの国の通貨だ?」と切り返された。
ピッツァ・レストランだけでも旧市街に10軒はあるのではないだろうか。前述した日本食屋も数軒あるし、中華の食材店、麺屋もオープンした。
ライプチッヒにはその場で焼いているベーカリー、パン屋が多く、どこで食べてもとても美味しい。しかも種類が多く、どこでもコーヒーも飲ませるので、大きなカップのミルクコーヒーに焼きたてのパン、アメリカで言うデニッシュ(パンの上、あるいは巻き込むように、中に色々なものを挟んだもの)で一食済ませることもができる。
前述したカフェ・バウム(Coffe Baum)だけでなく、どこに入ってもコーヒーとケーキは美味しい。午後のひと時を道路に張り出したカフェで道ゆく人を眺めながらのコーヒーとケーキはいいものだ。もっともB級どころかCかD、Eクラスのアンチグルメの私が言うことだから、数あるカフェを各自網羅し、自分の好みの店を見つけるのがいいだろう。ランチタイムには軽食を取ることもできる。
カフェの筆頭は前述した『バウム』と『カンドラー(Café Kandler)』、それに『リケット(Kaffeehaus Riquet Café)』だろうか。コンサートの合間に摂るケーキとコーヒーは、如何にもヨーロッパの古い町に来ているという感慨が湧く。
カンドラー(Café Kandler)
旧市街に二軒あり、一軒は聖トーマス教会の脇、もう一軒は
聖ニコライ教会の真前と、何だかバッハファンのためのようなカフェだ。
リケット(Kaffeehaus Riquet Café)
象の鼻が目印、コーヒー、紅茶をポットで出してくれるのが嬉しい。
-…つづく
第45回:終曲 その1
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