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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第2回:ライプツィヒという町 その1

更新日2021/11/04

 

第1回目、初めてのライプツィヒ(Leipzig;ライプチッヒ)詣では、東ドイツがソビエトの最も忠実な弟と言われていたガチガチの共産政権の時代だった。日本のパスポートに北ベトナム、北朝鮮とともに東ドイツが一言で言えば“入ってはいけない国”として明記されていた。外交関係がないから責任を負えないということのようだった。たとえ外交関係があるにしろ、何かコトが起こった時、日本領事館に泣きつくつもりは全くなかったし、外務省が乗り出してきて一バックパッカーを救済することなどハナから期待していなかった。

西ベルリンから日帰り観光、ヴィサなしで東ベルリンに行き、そこのアレキサンダー・プラッツにある“ライゼ・ビューロー”(東ドイツの国立旅行会社)に立ち寄ったところ、日本人旅行者を受け入れることに東ドイツ側には全く問題がないどころか、外貨ドルに飢えていたのだろう、むしろ大歓迎の態だった。

ヴィサの取得は、一応、旅行の行程と宿泊所を事前に予約しなければならない、不自由さはあるにしろ、その場で即時列車、ユースホステルの予約をしてくれ、ヴィサを発行してくれたのだった。その時、共産圏の国際学生証書を、「これを持っていると、とても役に立ちますよ」と、西側の国際学生証に基づき発行してくれた。

共産圏の国々では、大学生はエリートであるらしく、この学生証は絶大な力を発揮した。汽車やバスの公共の乗り物の割引も大きく、馬鹿がつくほど安くなり、ユースホステル、ホテルも激安になり、ヒッチハイクなどしなくても、楽に旅行できる身分になったのだった。この共産圏の国際学生証のおかげで、当時言われていた鉄のカーテンの向こう側を悠々と旅したのだった。

バックパッカーはいつも腹をすかしているのが常だが、この学生証を見せ、大学のメンザ(学食)で異常に安いメシを腹一杯詰め込むことができたのだった。

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聖トーマス教会横の広場に建てられているバッハの銅像

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この有名な銅像は、
バッハの死後158年経った1908年、
カール・ゼフナーが創作

待望のライプツィヒでは、即、聖トーマス教会に直行した。重量感のあるバッハの銅像が据えられている側の教会のゲートを押し、開くと、豊かで圧倒するようなパイプオルガンの音が溢れ出てきたのだ。中は薄暗く、寒く、オルガンのあるところだけ橙色の電灯が灯っていた。

オルガンは二つあるらしく、聖歌隊が陣取る2階席の大オルガンとこれも2階だが、側面にある少し小型のオルガンがあり、演奏はその小型の方から鳴り響いているようだった。小型といっても、冷え切った教会を揺るがす程の音量だった。

大いに孫引きになってしまうのだが、寺田虎彦の随筆(昭和8年9月号『改造』)の中で、“音の触感”に関する論文を紹介している。その実験では、完全に耳を塞いで、指先だけで音楽の振動をどれだけ判別できるか、というもので、指先だけで、二つの発信バイブレーションを捉えることができ、それだけでなく、オクターブか短5度、長6度ことさえ分かるらしいのだ。

音楽、とりわけ教会音楽、パイプオルガンなどは耳で聞くだけでなく、体全体の皮膚、そして体幹への振動で感じ取ることが可能のようなのだ。私は幸い聾唖者ではなく、どうにか普通に聞こえる耳を持っているにせよ、寺田虎彦のこの自筆の一章は我が意を得たりの感があり、うれしくなった。そうなのだ、教会音楽は鼓膜だけでなく、全身全霊をもって体験する種の音楽なのだ。

オルガンを弾いているのは、音楽学校の学生だろうか、同じフレーズを繰り返し練習したり、途中でプツリと演奏止め、楽譜をめくり直したり、何か書き込んでいるなどしている様子が伺えた。その時、教会の残響が恐ろしく長いことに気が付いたのだった。演奏を途中でピタリと止めても、音は教会内に残り、響き渡り、徐々に消えていくのだ。音の高低によるのだろうか、使うパイプによって遠くまで良く通る音があり、あるいは音が長く残るパイプがあることに気がついた。

どんな仕掛けがあるのか分からないが、普通の音でも3秒くらい、長く響き渡る音では5秒ほども教会内に音が残るのだ。これは私が単にイチ、ニイ、サンと胸のうちで数えただけだから、もっと優れた聴覚の持ち主なら、違った数え方をするだろうし、電子的な測定器を使えば全く違った結果になるかもしれない。それに、その時、聖トマス教会にいたのは私一人だけだった。これが満員だったら、全く違う残響効果になるであろうことは間違いない。

現代のコンサートホールは、できるだけ残響をなくし、演奏家が奏でる音が直接聴衆の耳に直接届くことに腐心すると聞いたことがある。できるだけ音が混ざり合わないようにホールを設計し建てるのだそうだ。

厚い紙を円錐状に丸めただけのメガホンで声に方向を与えただけでも、声、音は遠くまで届くし、その方向にいる人にはよく聞こえるようになる。そして、音は上へ上へと昇っていく傾向があるようなのだ。

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ギリシャの円形劇場(デルフィ)

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オペラハウス(天井桟敷から)

ギリシャの円形、半円形劇場を訪れた人なら、あの階段席がトテツモナイほど急な傾斜面にあることに気づくだろう。観光客をその上段の席まで登らせ、現地のガイドが劇場の底にあるステージで新聞紙などの紙をクシャクシャ丸める音が、上段に陣取っている観光客の耳まで届く、よく聞こえる実演をしてくれる。そのようにガイドが古代ギリシャの野外劇場の音響の良さを自慢げに話すのを聞いたことがあるだろう。

オペラハウスもほとんど馬蹄形の穴のような建て方で水平の距離、ステージから一番奥の席までの距離は存外短く、音楽は上へ上へ天まで届けとばかり、5~6層(階)、へたをすると天井桟敷まで8階もあったりする。私がいつも安い天井桟敷ばかりに行っていたから云えるのだが、そこまで音は十分届くし、聞こえる。だけど、豆粒のようなステージの歌手、演奏家の表情などは、何も判読できない。それどころか、天井桟敷の右寄り、左寄りの席ではステージの3分の1が見えない。そうかと言って、正面では大きなシャンデリアを上から眺めることになり、それが邪魔でステージ全体を見ることができない悲哀がある。

ギリシャの野外劇場や古いオペラハウスは、メガホンを縦に立て、その口を当てる場所をステージにして音を上へ上へと響かせているのだ。したがって、音は上に、天上の空へ、天井へと抜け、反響、残響がほとんどないのだろう。

 

 

第3回:ライプツィヒという町 その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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