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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第31回:バッハの戦いと苦悩の連続

更新日2022/06/23

 

バッハはライプツィヒに来てからの7年間に80曲のカンタータを作曲して演奏し、至宝ともいえる『マタイ受難曲』『ヨハネ受難曲』を作曲、演奏したことなど、市参事会にとっては何ほどのことでもなかったのだ。市参事会の決定をボルン市長助役自らがバッハの元に行き、告げたとされている。バッハにとっては、このライプツィヒ市の決定は寝耳に水だったろう。市参事会は、バッハの欠席裁判のように、バッハの背後で密かに追放決議が行なわれていたのだろうか。

ライプツィヒ市は、何百年に一人の大天才を抱えていることに気が付いていなかったのだ。知ろうともしなかったのだ。たとえ、天才という人種は扱いにくい人種だとしても、市参事会がバッハを正当に扱ったとはとても言えない。恐らく怒髪天を突くほど憤ったであろうバッハは、市参事会宛に『教会音楽を優れたものにするための簡単な提案、および教会音楽を衰退させる要素』という長ったらしい副題の請願書をしたためている。

この請願書は、元々自分を弁護するために書き始めた弁明書であり、今読むのが骨なほど(英語でだが)微に入り細をうがった教会音楽全般に及ぶ、ほとんど論文のように長大なものだ。この請願書は短期間に書き上げられたものらしく、はじめの方は、バッハ自身がカントルに就任してからのことを細かく並べ立て、自分を弁護するための弁明書のつもりだったようだが、でき上がった文章は、ライプッチッヒ市参事会を弾劾でもするかのような論文になってしまっていた。

いかにもバッハらしく、具体的に教会音楽を優れたものにするにはどうすべきか一々例を挙げ、聖歌隊の構成、そして能力、適性により、聖楽隊をどのように分け、管轄下の四つの教会に派遣しているか、55人いるトーマス学校在籍者(寄宿生)で歌えるのが17名、可能性があるのが20名、残りの17名は全く歌えない…。そして、楽器の演奏家についても、バッハ独特の微に入った具体性で、ヴァイオリン、ヴィオラ チェロなどなど、各パートで何名が必要で、それまでは大学生の応援で間に合わせてきた。旧来依然とした、決まり切った音楽を奏でるだけなら、それでどうにか間に合うだろうが、音楽自体が変わってきている。バッハの音楽は、その時代には耳新しく、斬新なものだった。それを演奏するには、もっと高度な演奏技術が必要で、そのためにはもっと練習時間を持たなければならない、と何からなにまでごもっともな意見ばかりだった。だが、応援に駆けつけてくれる大学生でも、練習に余分な時間を費やさなければならないトーマス学校の生徒でさえも、タダでそんな膨大な時間を費やすわけにはいかない。早く言えば、もっと教会音楽のために援助金を増額して欲しい…というのが趣旨なのだろうか。

そして、金銭を巡る争いが始まった。ここにその概要を書くのも煩わしいくらいだ。バッハは、フィリップ侯がトーマス学校に遺してくれた寄贈金の分割から締め出された、完全に外されたとだけ言っておこう。

親の七光りでトーマス学校の校長になったエルネスティーは、バッハより22歳も若かった。このバッハの天敵になった青年校長は、個人的には優れた学者ではあったようだ。ただし、音楽、教会音楽を軽蔑するほど嫌っていた。バッハとエルネスティー校長との確執は、教会音楽のあり方の問題ではなくなり、個人的な怨恨のようにさえ見える。

当時、体罰は当たり前のように行われていた。どんな仕事の徒弟に就こうが、親方が一発かますのは弟子を鍛えるために欠かせないことだと信じられていた時代だ。バッハは最年長の生徒で優秀な生徒に、音楽のトレーナー、代理の指揮、そして寮長のような役割りを与えていた。そうでもしなければ、悪ガキ集団になっていたトーマス学校の生徒たちをとてもコントロールできなかったからだ。

バッハが信任を置くクラウゼという代理指揮者の生徒が、酔った悪ガキ集団で、トーマス学校の生徒に囲まれ、持ち歩いていた籐の棒で悪ガキを打ち据えたことに端を発し、エルネスティー校長は断固としてクラウゼを退学処分にした。それを知ったバッハは、例によって例のごとく怒り狂い、市参事会に抗議の上告書をしたためた。

クラウゼが持ち歩いていたのは喧嘩用の棍棒ではなく、軽い指揮棒であった。怪我をしたと言う生徒を検分した床屋(当時床屋は外科医を兼ねている場合が多かった)は、怪我の痕すら発見できなかった。悪がき集団は相当酔っ払っており、罰せられるのは彼らの方でクラウゼではない…云々と、市参事会に申し立てたのだ。直接市参事会に訴えるのは、エルネスティー校長を無視し、頭の上を跳び越す行為だとバッハは知っていたはずだ。そうでもしなければ、若い校長に対処できなかったのだろう。アンチ・バッハに固まっていたライプツィヒ市参事会ですら、バッハの言い分を認めないわけにはいかなかった。

だが、一敗を期したエルネスティー校長は、そのまま引き下がるような男ではなかった。エルネスティー校長はバッハ弾劾にまで及んでいる。断固として自分の権限を守り、トーマス学校のあり方(音楽を無視するほど軽く捉え、学問、神学、ラテン的古典を重視する)、カリキュラム全体を決めるのは校長の職分であり、そのためには一カントルに過ぎないバッハは校長たる自分の下で分際を守って職務を果たすべきで、それができないならバッハを追放すべきだと言うのだ。

古い文献を調べていていつも思うのだが、よくぞこんな些細な嘆願書やクレーム、上申書などをしっかりと保存しているものだと感心させられる。また、それを300年も経ってから、ほじくり返すように調べ上げる人間がいるものだと思う。そんな研究者のおかげで、私のようなドイツ語文盲が、バッハのイメージを膨らますことができるのだが…。

バッハとの間の軋轢が激しくなり、うんざりする応酬があったが、その間にもバッハは作曲を続けている。一体、バッハはどんな神経を持っていたのだろう。彼は切れ目ない内紛に明け暮れていながら、あのような透明な音楽を創作し続けたことに驚嘆するばかりだ。

バッハはザクセン、リトアニアおよびポーランド国王であるアウグストに対して、またも嘆願書を出していたのが、アウグストが死去し、息子の皇太子の代になって初めて返答が認められ、カルル・フォン・カイザーリンク伯爵がその書面をバッハにもたらした。

バッハは”ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家にして、ライプツィヒ市楽長兼合唱音楽監督“の称号を得たのだ。バッハは国王宮廷作曲家になったのだ。ザクセン国王のお墨付きを得たのだ。これは、一商業都市ライプツィヒの市参事会の遥かに上を行く肩書きだった。

それは、1736年、バッハ52歳の時のことで 実に14年もの歳月を政争に費やしたことになる。不眠症気味であったカイザーリンク伯爵のお抱え音楽家、テオフィール・ゴールドベルグに弾かせ、伯爵を安らか眠りに就かせるために作った子守唄が『ゴールドベルグ変奏曲』だ。そのお礼として、カイザーリンク伯爵は100ルイ金貨を盛った盃をバッハに贈ったと言われている。

No.31-01
ヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク
(Hermann Karl von Keyserling)
当時、ポーランド・ザクセンと一緒の支配下にあったラトヴィアに生まれた。
アウグストⅢ世の時にはロシアへ大使として派遣されている。
ゴールドベルグをバッハの元に送り、チェンバロ、オルガンを学ばせようとした。
今では音楽家としてのテオフィール・ゴールドベルグの存在は忘れられ、
バッハの『ゴールドベルグ変奏曲』は不朽のチェンバロ曲として残った。

ドイツ、ザクセンだけではなかったが、当時の教会付きのオルガニスト、音楽家、カントルはいずれも薄給で、その町で行われる結婚式や葬儀、貴族の生誕記念などで出稼ぎをしなければとても食べていけない状態だった。言ってみれば、条件はどこの町でも五十歩百歩だった。ライプツィヒ市だけが特別ケチだったわけではなさそうだ。だが、バッハの場合は子沢山であり、トーマス学校の聖歌隊の訓練という義務を負っていた。今流に云えば、大変なストレスの下で作曲活動をしていたということになるだろう。

バッハが他の町のカントルと隔絶していたのは、重く厳しい制約を受けながらも、矢継ぎ早に見えるほど作品を生み出し、しかもそれが永遠の高みに到達し、我々人間の真性にまで訴えかけるものであることだ。

私は、バッハが教会音楽(ムジーカ・サクレ)と、世俗の音楽(ムジーカ・フォルク)というジャンルの垣根を取り払い、ただ純粋音楽を作り出していたと思う。彼自身、そんなことは全く意識していなかったにしろ。


-…つづく

 

 

第32回:バッハと作詞家の関係

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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