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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第14回:バッハを聴く資格 その4

更新日2022/02/24

 

ドイツ人が、ドイツ語文化を誇る気持ちは分かる。と言っても、それはフランス語、英語に始まり、ヒンドゥー語、スワヒリ語にも優れた言語文化があるというレベルにおいてのことだ。

バッハが大いに傾倒していたペルゴレージ*1の『スタバート・マーテル(Stabat Mater)』コンサートがドレスデンであった。バッハがラテン語、イタリア語にどれほど造詣が深かったのか、分からない。が、バッハはドレスデンに駆けつけ、ペルゴレージを聴きいている(オペレッタ的な“奥様女中”だったと思われるが…)。

私たちが聴きに行こうとしたのは、たしか2010年、大戦後再建されたドレスデンの聖母教会(Dresdner Frauenkirche)でのコンサートだったが、どうにも切符が手に入らず、後でYou tubeで観た、聴いただけだが、この『スタバート・マーテル』を聴きに詰め掛けた多くのドイツ人、ヨーロッパ人の大半、殆ど全員と言い切って良いと思っているが、13世紀に書かれたラテン語の歌詞が分かっていない、少なくとも語感を感じ取っていないと思う。

第一、死語に近いラテン語の感覚を現代の生活の中で感じ取れ、ということ自体、ドダイ無理な話だ。これペルゴレージのコンサート入場券が手に入らなかったグチ、悔しさが何パーセントか混じっているかもしれない意見ではあるが…。

言ってみれば、日本人がドイツ語の語感、響き、感性を分からないままバッハのミサ曲、受難曲を聞くのは、ドイツ人がイタリア語、ラテン語でイタリア人が書いた膨大な量の宗教音楽、オペラに親しむのと同次元のことだ。 

ドイツ人よ、驕ることなかれ。

 

■信仰 1

楽譜は読めない、ドイツ語も分からない、それに加えて私にはキリスト教、バッハが全身全霊で打ち込んでいた…と言われるキリスト教、ルッター派のプロテスタントを信奉していない。信仰心ゼロだ。肝心な三つの資格を見事に三つとも持ち合わせていないのだ。

バッハの音楽を嘆賞し、胸を揺り動かされはするが、それによってモトモトない信仰が芽生えるはずもない。プロテスタント、ルッター派に帰依しようとは想像もしたことがない。それでもバッハのミサ曲や受難曲を繰り返し聴き、感動する、できる、していると思う。

バッハの信仰がどのように作曲に影響していたか、根底にあったかの論文、著作は膨大な数に及ぶ。バッハの遺産目録に神学書が多数含まれており、バッハ自身、常に求道的精神を持っていたと思われる。というのは、当時の本はとてつもなく大型の皮の装丁で非常に高価だった。趣味で買い集め、ツンドク(積読)するものではなかった。だから、購入した以上、必ず目を通していたと考えてよいと思う。またまた磯山さんに登場してもらいますが、彼の博士論文はバッハの蔵書についてではなかったか…。

バッハが深くルッターに信奉していたことは疑いないと思う。宗教戦争、魔女狩りで分かるように、当時、信仰は命を賭けた、生きるか死ぬかの問題だったことは想像できる。 

バッハがその当時の若いオルガン奏きとしては破格の条件で迎えられたミュールハウゼンの仕事をたったの9ヵ月で去ったのは、シュペーナーの敬虔主義と純ルッター派のいわばプロテスタント内での宗教論争に巻き込まれたからだとされている。それがどのような論争だったのか、微に入り細に入った膨大な研究書が存在している。が、それがどうしてバッハを立ち去らせるほど重要な問題であったのか、私にはよく分からない。

23歳の青年バッハは、単なる教会のオルガン奏きだったから、契約通り日曜、祭日、式典でオルガンを演奏さえしていればそれで済みそうなものだ。プロテスタント内の争いは突き詰めれば宗教論争というより、権利に結びついたエゴの問題の面があったように思えるのだ。少なくとも、ミュールハウゼンの宗教論争はそのように聞こえる。説教で批判されたら、攻撃し返す、相手を遣り込めるだけが目的の論争、ディベートになってしまっているように観えるのは、私に宗教心がないせいだろうか…。

元々キリスト教自体は“和”求めるものではない。そこには、他人の存在を認め、異なる意見に耳を傾ける寛容の精神はミジンもない。マアマア、そんなに言いなさんな、相手の考えにも少しは利があるのだから…という中庸を尊ぶ態度は全くない。もっとも、寛容や中庸をもってして、信仰が成り立つはずもない。自分の信仰以外のモノを認めた時、彼、彼女の信仰が崩れる性格がある。とりわけ、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は、攻撃的な宗教なのだ。

No.14-01
ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会(Divi-Blasii-Kirche)
バッハはこの教会のオルガン奏きだった

元来、あらゆる伝説、神話、建国説話などは荒唐無稽なものだ。ギリシャ神話のように人間臭い神々が大らかに活躍するのもある。北欧のエッダ、サガ、アイヌのユーカラ伝説とおよそどこの民族も伝説、伝承を持っている。ユダヤ人の間だけで広がっていた民族伝承は膨大な量に及び、それじゃマトマリがつかないというので旧約聖書という形に長い年月をかけて編纂され、イエスの死後(最古のマルコの福音書でさえ、イエスの死後40~50年と言われている)、聖書ライターが奇跡物語を加えたり、イエスの言動をあたかもその場にいて記録したように肉付けして、作り上げたのが新約聖書だ。当然、福音書作家たち、マルコ、ルカ、マタイ、ヨハネは、イエスに会ったことも、見たこともないはずだ。

私は人並み程度の知識として、ギリシャ神話やエッダ、サガ、ユーカラ、そして聖書を読み、馴染んできたが、それを信じるかどうかは全く別の問題だ。セルマ・ラーゲルレーヴの『キリスト伝説集』、遠藤周作の『イエスの生涯』『キリストの誕生』『私のイエス』など一連の聖書モノ、椎名麟三、三浦朱門、曽野綾子、三浦綾子など、俗に言うキリスト教作家の本は読み易く、美しい日本語で書かれている。私はそれなりに楽しんだ。だが、聖書に書かれていることをそのまま信じるかどうかは別のことだ。

イエスが人類の罪を背負って十字架に掛けられた? そして復活した? こんなお伽話、空想はまったく信じていない。ただ、それを信じている膨大な人間がいることに呆れ、認めているだけだ。

No.14-02
古典的名作至宝といわれているフラ・アンジェリコ*2の「受胎告知」
ディオチェザーノ美術館所蔵

天使ガブエルが舞い降りてきて、マリアに神の子を懐妊、受胎したと告げる場面。カトリックではこのオハナシがよほど好きだったのか、レオナルド・ダ・ヴィンチ、エル・グレコ、ティツィアーノ、ボッティチェッリ、テイントレットをはじめ、何百という宗教画家が『受胎告知』を描き、処女懐妊談を広げている。

だが、この場面、天使ガブリエルが舞い降りてくるハナシは新約聖書のルカによる福音書にしかなく、マタイの福音書では、マリアのダンナのヨゼフの夢の中に天使が現れたことになっている。ダンナのヨゼフがどう思ったか、彼の反応、言動は何も書かれていない。

第一、マリアの処女懐妊、出産の話を読み、私などが最初に思ったことは、よくぞマリアの夫のヨゼフがそんな“言い訳”を信じたものだ…ということだ。彼は寛容な夫というより、間抜けに近いのではないか、自分の妻が処女のまま妊娠したのを、神の啓示と信じるお人好しがこの世の中にいるものか、と思ってしまう。

No.14-03
ご存知、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」
フィレンツェ、ウフェツエ美術館所蔵

この絵は、ダ・ヴィンチがアンドレア・デル・ヴェロッキオの下で徒弟時代を過ごしてた時に描かれたもので、長いことドメニコ・ギルランダイオの作と伝えられていたのを、1867年になってから、ドイツ人グループの鑑定家が、これはダ・ヴィンチの修業時代、師匠と合同で描いたものだとし、今では、ダ・ヴィンチ路線が主力になっている…ようです。

 

 

*1:ジョヴァンニ・B・ペルゴレージ<Giovanni Battista Pergolesi>1710- 1736年:イタリアのナポリ楽派オペラ作曲家;『スターバト・マーテル Stabat Mater』(悲しみの聖母)を余力を振り絞って書き上げてまもなく、26歳で死去。

*2:フラ・アンジェリコ<Fra Giovanni da Fiesole>1395-1455年;初期ルネサンス期のイタリア人画家;現代イタリアではBeato Angelico(福者アンジェリコ)と呼ばれているようだが、英語での通称Fra Angelico(修道士アンジェリコ)に従う。

 

 

第15回:バッハを聴く資格 その5

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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