第630回:母に捧げる時速500km - 山梨リニア実験線 1 -
2015年8月25日。新宿駅07時30分発の“あずさ3号”に乗った。大月まで約1時間の乗車だ。青春18きっぷを使って鈍行で行きたい距離だけど、今回は老母が同行する。70代の年寄りは早起きとはいえ、始発で出発させるには酷だろう。乗り継ぎで焦って走るなんて仕儀は避けたい。
あずさ3号、E257系だった
“あずさ3号”は東京発だ。東京から乗りたい。しかし、東急田園都市線沿線に住む母は渋谷経由で、新宿駅で待ち合わせた。近距離でも旅の情緒を盛り上げるべく、朝食用の駅弁を買って乗り込む。今回、息子はかなり気を遣っている。車中でも窓際を母に譲り、母と同時に駅弁を開く。なにしろ母のおかげで“超電導リニア体験乗車”に乗れるのだ。
「なすび弁当おいしいね、母さん」
「そうね、でも茄子は漬物で入っているだけね」
「そうだね。でも小さく“鶏つくね親子丼”って書いてあるんだよ」
ちなみに、なすび亭は東京・恵比寿の和食料理店である。
なすび亭弁当。なすびのカタチに親子丼
JR東海は2014年11月から“超電導リニア体験乗車”を始めた。山梨県の実験線で、営業用車両L0系を使い、時速500kmを体験できる。有料の予約制で、年に何回か10日ほどのスケジュールが組まれるようだ。
リニア試乗会は今までも行われていたけれど、山梨県民限定だったり、親子限定だったりと、一般の人々には参加しづらい仕組みだった。そういえば、甲府に住む母の弟が体験する機会があり、自慢された。あれは2年くらい前だったか。
大月駅着 普通列車に211系が導入され始めた
“超電導リニア体験乗車”は、インターネットで抽選に申し込む仕組みが作られて、オープンな催し物になった。リニア建設の見通しが立ち、理解を得たいという気持ちだろうか。ところが、座席数が少なくて抽選に当たらない。子連れや若い人が優先で、中年の男一人は後回しだろうか。そんな勘ぐりもしたくなる。
そこで私は一計を案じた。申し込みのご意見欄に「75歳になる母が冥土の土産に乗りたいと申しておりまして」というようなことを書いた。当選した。そうか、年寄り優先か。いや厳正な抽選だろうけど。
大月駅、和風の佇まい
それはともかく、母に連絡し、乗車日に他の予定を入れるなと釘を刺した。近所の寄り合いだの、友達と温泉に行くだの、なかなか忙しい人である。当選の経緯を説明すると母は言った。
「わたし、まだ74歳ですよ」
「身分証を見せることはないと思うよ、大丈夫だよ」
「そういう話ではありませんよ」
気を遣わざるを得ない。
路線バスでリニア実験センターへ
大月駅から路線バスでリニア見学センターへ。リニア中央新幹線は開業していないから駅も在来線接続もない。クルマで来たかったけれど、体験乗車会の告知サイトに「駐車場はない」とあった。実は、隣接する山梨県立リニア実験センターには140台分の無料駐車場がある。帰りに見学するつもりだからそこへ停めても……と思った。しかし、万が一満車になったら困るし、首都高から中央道へ向かうルートは渋滞しやすい。やはり電車とバスが正解だと思う。
リニア実験センターに到着
一緒にバスを降りた人々の流れに混じって歩くと“どきどきリニア館”という建物に着いた。しかしここは体験試乗会の受付ではなかった。このバスを降りた人は全て体験試乗会に行くものだと思っていた。受付の人に道順を聞いて戻る。バスを降りた目の前の壁に、実験センターを示す逆方向を矢印があった。さっきは人が多くで見えなかった、と母に言い訳をする。言わなくていいことのような気がするけれど。
人の流れに従って行く。
正面は山梨県リニア見学センター“どきどきリニア館”
バスが走ってきた道を戻り、リニア実験線の下をくぐり抜ける。立ち入り禁止のフェンスにリニアL0系と新幹線500系を比較するイラストが掲げられている。ここはJR東海の施設で、500系はJR西日本の車両だ。500系は好きだから嬉しいけれど、なぜだろう。添えられた数字が360km/hで、これが500系の最高速度記録だろうか。
リニアの高架下。
地下区間の多いリニアで高架下を通る体験も貴重かも
上り坂道の途中に実験センターがあった。まだ門は閉ざされたままだ。私たちの試乗列車は10時25分発。いまは09時14分。あと1時間もある。しかし、この坂を下って“どきどきリニア館”に行き、また1時間後に坂を上るという気分ではない。老母と縁石に腰掛けていると、実験センターの職員が現れる。開門はまだですが、と前置きしつつ、プラスチックの椅子を並べてくれた。
実験センターに到着するも……
だんだん人が集まってくる。椅子が足りないので、年寄りが座り、若者が立つ。譲ろうとする仕草がなく、自然にこういう形になった。マナーの良い人たちだ。私は母のそばに立った。あなたも座りなさいと言われたが、腰を伸ばしたいと言って断った。
開門まで1時間
母の隣に老夫婦が座っている。飯田から来たという。一瞬、沿線の人々のほうが当選しやすいのかと思うけれど、2度目の応募とのこと。私は信州大学の出身で、飯田にもアルバイトに行ったことがある。その話をきっかけに話が盛り上がる。信州大学は長野県内で四つのキャンパスに分かれ、ほとんどの学生が地元でアルバイトをし、買い物をする。学生もいろいろだろうけれど、良くも悪くも信州大学は知名度がある。
ご主人が言う。
「リニアは東京からずっと地下を通りますでしょう」
「そうです。景色は期待できませんね」
「ところが、ずっと地下を走ってきて、やっと地上に出るところが飯田でね」
「あ、そうでしたねぇ」
「まあね、リニアが地上に顔を出す頃には、私らは土の下ですわ。わははは」
「あ、ああ、あは……」
なんてシュールなギャグなんだ。釣られて笑って良いのか。いや、母を出しにした私は笑ってはいけないような気がした。母は涙を流して笑っていた。
-…つづく
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