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■新・汽車旅日記〜平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第608回:ひとりで観覧車 − 伊予鉄道 花園線 −

更新日2016/11/17


城の天守に上って景色を見渡すと、この土地を征したようで高揚する。城という建物の雰囲気だろうか。いや、城だけではないな。展望台、高層ビルの最上階展望ロビーもそうだ。高みの見物は気分がいい。私は上機嫌でロープウェイに揺られて戻ってきた。マドンナさんたちに別れを告げ、店を冷やかしながら雨の街路を歩き、大街道電停に戻った。


大街道電停、松山市行きを選んで乗る

環状線の外回り側で電車を選ぶ。松山市行きに乗りたい。本町6丁目行き、JR松山駅前行きは見逃す。ボール、ボール、松山市行き3系統、道後温泉から来た電車、ストライク。車窓には豪壮な建築の愛媛県庁舎があり、お堀端の並木の紅葉があり、坊っちゃん列車とすれ違う。短い区間でも楽しい眺めである。


松山市庁舎、歴史を感じさせる

南堀端の丁字路を左折して未乗区間最後の支線に入った。正式な路線名は花園線という。おとぎ話のようだけど、このあたりは花園町といって、かつて松山藩の花畑があったところである。天守から城下の花畑を見ようという粋な仕掛けか、戦の時に見通しを良くしようとしたか。いまは花畑はなく、広い通りに華やかなショーウィンドーが連なる。


南堀端交差点、花園線への入り口だ

正面に松山市駅が見えて、電車は突き当たりを左折。そこが松山市電停だ。ホームに小さなかまぼこを並べた屋根がある。洒落た作りである。伊予鉄道完乗。心の中でガッツポーズ。しばらくホーム周辺を観察していたら、坊っちゃん列車が到着した。車止めのかなり手前で停まり、機関車が切り離されて進み、ジャッキですくっと立ち上がる。道後温泉駅と同じ手順だ。車掌と機関士が手押しで機関車の向きを変えてポイントを渡る。また車掌と機関士が客車を押して車止めまで動かして、反対側に機関車をつなぐ。見届けた。お疲れ様。


松山市駅到着。坊っちゃん列車がいた

観光案内の看板を見て子規堂を探す。郊外線駅舎を兼ねたデパートの向こう側であった。晴れやかな場所を通り抜けると、裏口のような地味な風景になった。線路沿いを歩き、踏切が見えたら右折。すぐそこが正宗寺。臨済宗妙心寺派。ここに子規堂がある。正岡子規が上京するまで暮らした建物を復元した。正宗寺の住職が正岡子規の文学仲間だった縁で立てられた。


伊予鉄道松山市駅、郊外線の駅ビルに高島屋が入っている

本堂の並びにあって、自由に入れる。無料かと思って見渡すと、本堂の向こう側に見学料の窓口がある。お守り売り場を兼ねているようだ。目的は子規堂ではなく、その向かいにある坊っちゃん列車の客車だけれど、おそらくその維持費も込みであろう。料金は50円であった。もっと払ってもいいような気がして、本堂の賽銭箱に財布の小銭をすべて差し出した。気前がいいのか悪いのか。


子規堂までは徒歩数分

子規堂と客車を見物する。子規堂は近代文学ファンなら感涙するであろう資料が展示されている。三畳ほどの勉強部屋がある。正岡子規は松山藩士の子である。恵まれた幼少時代だったようだ。日本の近代文学創世の原点。そういえば、野球という言葉も正岡子規が作った。この机で思いついたかもしれない。


坊っちゃん列車の客車

坊っちゃん列車の周りはガーデンテラスのように手入れされている。客車の保存も目的だろうけれど、参拝客や子規堂の見学者の休憩所としても使えそうだ。夏目漱石の言うマッチ箱である。客車の中に入れた。板敷きの床、木製のロングシート。窓の日よけは鎧戸だ。すべて焦げ茶色で、丁寧に塗装され、ニスの匂いかする。復元されて実際に走っている客車に比べると窓が大きく、見通しが良い。しかし狭い室内である。マドンナと乗り合わせたら、視線を避ける方が難しい。


客車の内部

伊予鉄道を完乗し、坊っちゃん列車の客車を見物した。松山市訪問の目的は果たせた。しかしまだ16時前だ。今日は高知で泊まる予定で、19時33分の特急に乗ればたどり着ける。あと3時間は滞在できる計算だ。いや、3時間か。意外と短いな。とりあえず駅ビルに戻りつつ、屋上の観覧車を見て思い出した。一日乗車券で1回無料だ。

観覧車は一人で乗りにくい。同じゴンドラでも、ロープウェーはまだ「目的地へ行く」という用事がある。家族や恋人同士と相席になり、一人異端の者がいても、お互いに諦められる。そりゃあ家族は水入らずで過ごしたいし、恋人同士は空中でお楽しみもあるだろう。しかし個室料金を払ったわけではないし、私だって気まずい。お互い様だ。

しかし観覧車は違う。移動しないから公共交通ではないし、景色を見るための乗りものというより、誰かと狭い空間を共有するための装置であろう。行列が長くない限り、相席にはしないという暗黙の掟がある。そもそも、目的からして、1人で乗っても楽しくない。だいたい、皆が並んでいる前で、中年親父が一人だけゴンドラに乗り込むザマは恥ずかしい。お台場や横浜の観覧車に、心から乗ってみたいけれど、見えないバリアがあって近寄りがたい。


観覧車からの景色

しかしここは松山。閑古鳥が鳴きそうな乗り場であった。せっかくの無料特典だから行使しよう。デパートの最上階に上がる。イベントスペースと飲食店のフロア。平日の夕方のせいか人通りは少ない。観覧車乗り場も行列なし。若い女性の係員が空っぽのゴンドラを見送っている。チャンスである。こんにちは、と普通に挨拶したら、思い出したように笑顔を作った。

おじさん1人だけど乗ってもいいかい、とフリーきっぷを見せる。どうぞどうぞ、と迎えられる。気恥ずかしい。しかし、この光景を見る人は少ない。見られても知り合いではないから気にしなくていい。私はわざとカメラを出して、景色の写真を撮りたいんですよ、という体裁を作った。なんだか言い訳がましくて情けない。


郊外線の電車が走り出した

ゴンドラがぐんぐん上がっていく。良い眺めだ。松山城の天守も良かったけれど、こちらは町の真ん中。賑やかである。松山は都会だ。ここからだと、夜景も良さそうだ。夕景も見事だろう。しかし雨に濡れた町並みも良い。東京を逃れて、いきなり田舎暮らしは厳しいけれど、松山はちょうどいい規模かもしれない。住みたい。現代版の坊っちゃんになりたい。マドンナを探したい。マドンナと観覧車に乗りたい。

静かなゴンドラの中に一人、前後のゴンドラにも客はいない。私は一人です。叫んでいいですか。泣いていいですか。いやちょっとまて、ゴンドラが下降を始めた。地上という現実が近づいてくる。係員の女性は笑顔で迎えてくれるだろう。いまはそれだけが救いだ。

しかし、出迎えた係員は男性であった。年頃は乗った時の女性と同じくらい。さっきの女の子はどうしたの、と聞くと、交代しました、と言った。なぜそんなことを聞くのか、という顔をする。全くその通り。私はなんでそんなことを聞いたんだろう。

-…つづく

 


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。京浜急行沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動する。「新汽車旅日記」をきっかけに鉄道方面にも進出した。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員

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■著書
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