第619回:ロビーカーの記憶 - 寝台特急北斗星 2 食堂車 -
6号車のミニロビー。ソファも椅子も埋まった。記念乗車が叶って喜ぶ人々。私も同じ心境だ。会話を盗み聞きする。定期運行の北斗星は3月のダイヤ改正で終わり。上野札幌間のカシオペアは残る。4月から、北斗星は臨時便として個室中心の編成になり、カシオペアと交互に走る。カシオペアはいつまで続くだろう。バス代行の岩泉線は、やっぱり廃止か……。
ロビーカーの片隅に残る電話室。公衆電話は撤去されていた
東日本大震災から2年半。北斗星は東北方面に向かっている。話題のタネは北斗星、そして復旧が進まない三陸の鉄道だ。暗い話題だけではない。BRTの感想。被災した山田線の海岸区間はJR東日本から三陸鉄道に譲渡されるらしい。釜石線のSL銀河の蒸気機関車が、東北本線で試運転……。そうかと思うと、おばちゃんたちが普段と同じような世間話をしていたりする。鉄道ファンも、そうでない人も、列車の旅は好きだ。ここには夜行列車の特別な旅情があり、楽しみ方はさまざまだ。
私の悪いクセで、小耳に挟んだネタで他人の会話に混ざってみる。少年と母親。どこから来たかと訊ねると、なんと仙台だという。わざわざ新幹線で東京に行き、日中は観光をして上野から北斗星に乗った。北斗星の仙台着は23時28分だ。しかし、そこで降りるつもりはなく、札幌まで乗り通し、飛行機で仙台に帰るという。北斗星は東北の人々にも誇らしい列車らしい。
パブタイムの食堂車も満席
Sさんと私も旅の話で盛り上がる。しかし声は少し小さめに気をつけている。Sさんと北斗星の逸話は新書の一冊にまとまる量ではない。収まらなかった話、書けなかった話がある。読んで気になったところを質問すると、「実は……」と話が返ってくる。何十年か経って、すべて笑い話にできる頃に、またSさんが書いてくださると期待する。
シャワーカードの行列が終わり、土産物販売の行列になったらしい。結局は行列だ。通り過ぎる人々も多い。ディナータイムを予約して、食堂車へ行き来する様子。私とSさんはディナーのフランス料理コースを予約しなかった。Sさんは好きな料理を選べるパブタイムが好きだという。私は魚介が苦手で、ディナーコースの半分の料理は食べられない。パブタイムに賛成だ。
ハブタイムのメニューから、コースメニュー
ただしパブタイムは先着順だ。混雑していた場合を想定して、上野駅で食料を買っておいた。これはSさんの助言だ。さいわいにも二人用テーブルに着席できた。Sさんはメニューを開き「あ、ここが変わったかも」と言う。たいていの人は一度きりの乗車だけど、常連客のSさんは違いがわかる。スタッフとも顔なじみ。北斗星の楽しみは食堂車だ。
アラカルトメニューのパスタとピザ
Sさんはパスタ。カニのトマトクリーム。私は煮込みハンバーグセットを頼む。Sさんの話は続く。車窓、テーブルクロス、ランプシェード。それぞれに思い出がある。どれを切り出しても話題に事欠かない。書きにくい話も多い。相づちを打ち、笑いつつ、私はちょっと心配になっている。今回の旅をコラムで書こうと企んでいるからだ。しかし料理はうまい。この空間は楽しい。胃袋が満たされると、もう仕事はどうでも良くなった。
スナックメニュー
食堂車は予想より混雑しておらず、私たちは1時間半ほど過ごした。デザートのリンゴシャーベットを味わう頃、Sさんが「そろそろ白河城が見える頃です」と言った。なにしろ457回目だ。風景とタイミングは頭の中に入っている。暗やみの中、ライトアップされた城が通り過ぎる。それを合図に私たちは席を立った。
かにクリームソースのパスタ
もうすぐ仙台駅に到着だ。まだまだ個室に引きこもってはもったいない。ロビーに移って話の続きである。さすがにこの時間は空席がある。眠る人もいれば、夜の車窓を楽しみたい人もいる。ロビーの照明は明るく、窓ガラスに室内が反射する。車窓を眺めるなら個室で消灯したほうがいい。
私にとって北斗星は二度目だ。前回は2000年、たしか5月頃だ。PC雑誌に向けて地図ソフトを紹介する記事を書いた。地図ソフトの機能を説明するために、広尾線の廃線跡を眺めていたら、現地に行きたくなった。近所の駅で聞いてみたら北斗星に空席があって、そのまま北へ旅立った。
ハンバーグステーキコース
この時、北斗星は函館本線の小樽経由だった。有珠山噴火の影響で室蘭本線が不通だったからだ。上野発は夕方で、しばらくは車窓が明るかった。ロビーカーで時刻表をめくり、翌日からの旅程を考えていた。
「それは北斗星1号ですね。ロビーカーはこれと同じ半室でした」とSさんが言う。
そうだったかな。ロビーカーは1両まるごとロビーで、もっと広かった気がする。しかし、後で調べてみると、当時の北斗星は2往復あり、1号と2号はJR北海道の半室ロビーカー編成、3号と4号はJR東日本の全室ロビーカー編成だった。そして有珠山噴火の頃、3号と4号の函館~札幌間は運休していた。
北海道産ソーセージ盛り合わせ
私の乗車記録地図は函館本線小樽経由が塗りつぶされており、室蘭本線は未乗だった。室蘭本線の初乗車は2009年のトワイライトエクスプレスである。記録地図が正しいなら北斗星1号に乗っており、その時、ロビーは半室ということになる。
全室ロビーカーの記憶が正しいならば、時期を間違っている。記録も間違えたことになる。通常の室蘭本線経由となり、函館本線小樽経由ルートに乗っていない。残念ながら、あの頃はハードディスクを何度か壊しており、写真などの記録が残っていない。乗車路線が塗りつぶされた地図しか残っていなかった。
デザートで締めくくる
私にとって、北斗星のロビーカーが半室か全室かというより、函館本線の小樽ルートに乗ったか否かが重要だ。記録が正しいと信じているけれど、なんだか気持ち悪いから、いつか函館本線を乗り直そう。小樽市総合博物館は鉄道の展示も多く、行きたいと思っている。石原裕次郎記念館もある。
Sさんも小樽経由に乗ったという。そのほか、室蘭本線経由で札幌から小樽へ延長運転された時も、夢空間という特別車両が連結されたときも乗ったそうだ。北斗星という列車の歴史は興味深い。1988年に誕生し2015年に定期運行を終えるまで27年間。経由地が変わったり、車両を組み替えたり、さまざまな出来事があった。
東日本大震災で運休し、復活したとき。Sさんは復旧初日の北斗星に乗った。乗務員も乗客も喜びと悲しみが交錯する。食堂車の完全復活には時間がかかったという。大雪などで遅延すると、食堂車では臨時にカレーライスを出してくれたことがあるという。「遅延カレー」と呼んでいたそうだ。北斗星の特別な時間を、Sさんはすべて見届けている。彼が語る食堂車の逸話、ひとつ一つに心が温まる。北斗星の魅力の大部分は食堂車にあった。
-…つづく
|