第618回:これが最後の北斗星 - 寝台特急北斗星 1 出発 -
2015年02月24日。18時半ごろの上野駅13番ホームは混雑していた。もうすぐ札幌行きの寝台特急北斗星が入線する。その乗客と見送りの人、そして見物人だ。北斗星の定期運行終了まで残り16日となっている。きっぷは入手しづらくなり、写真を撮る人も増えている。石川啄木の歌碑がある線路終端は、早くも良い場所を撮りたい人でいっぱいだ。
私は13番ホームを進行方向へ進み、6号車の乗車位置で腰を下ろした。新調した旅行鞄は機内持ち込みサイズのキャリーケースだ。強靱なアルミフレーム構造で、平たい上面に座れる。ベンチのないホーム、座席が埋まった列車内で便利だろうと思ったら、さっそく座る機会ができた。今回の旅は、ここで同行者と待ち合わせだ。
上野駅の発車案内板、札幌の表示が異彩を放つ
「ここ、並んでいますか」と若い人に話しかけられた。自由席ではないし、並ぶ必要はない。待ち合わせだと応えたら、彼は私の前に立った。その後、何度か同じことを訊かれ、私の前に並ぶ。列は私を避けて右に流れた。どういうことだろう。6号車は食堂車のとなりだけど、ディナータイムは予約制だ。
私は座ったまま、並ぶ人に訊ねた。
「なぜ並ぶんですか?」
「シャワー券を買いたいので…」
なるほど。寝台特急北斗星にはシャワー室が付いている。しかし列車に搭載できる水量は限りがあるから、シャワー利用券は限定品だ。実際にシャワーを浴びたい人もいるだろうけれど、記念品として購入したいらしい。いや、記念にシャワーを浴びたいという人もいるか。
いずれにしても、私には興味のないことだった。風呂は好きではないし、誰かが使った直後の濡れたシャワー室に入りたくない。シャワー券もいらない。もともときっぷも集めず、記念のためならカメラで撮って終わり。片付けられない性分だから、棺桶に入りきれない物はいらぬと、収集したい気持ちにフタをして生きている。
13番ホーム終端部は大混雑
「お待たせしました」。今度は長身の青年に声をかけられた。
「いいえ、いま来たところです」と、初デートのような返事をする。
青年は今回の旅の同行者、Sさんだ。私は心の中で「北斗星の達人」と呼んでいる。「混んでますね」と挨拶しているうちに青い客車がゆっくりと入ってきた。18時40分。
行き止まり式のホームだから、出発時に先頭になる機関車が、ここだけは後ろになって客車を押す形でやってくる。推進運転といって、この風景も珍しい。私とSさんはもちろん撮った。しかし、私は油断しており、カメラの設定に手間取る。暗いし相手は動いているから、シャッター速度優先にすべきだった。オートモードではブレてしまった。
推進運転も見納めか……
「まずは荷物を部屋に入れましょう」と促されて車内に入る。個室寝台の扉の前で待っていると車掌さんが通りがかる。Sさんがふたり分のきっぷを見せて鍵を受け取った。3番の上段と下段。「どちらがいいですか」「どちらでもいいです」「私も」。私が下を選ばせていただく。キャスター付きの鞄で狭い階段を上下したくなかった。上段は景色がいいけれど、私はすぐに寝付くタイプだ。Sさんは深夜も車窓を撮りたいかもしれない。私は下段で熟睡したい。
私はB寝台個室ソロ下段
SさんはB寝台個室ソロ上段
一眼カメラとコンパクトカメラと財布を持って車外へ。先頭の機関車付近はカメラ持ちで混み合っていた。良い場所が空かないため引き上げて、今度は最後尾へ。こちらは比較的空いていた。青い車体を1台ずつ眺めながら、もう一度先頭へ行くと人並みに隙間ができている。コンパクトカメラを持った手を伸ばして撮影できた。
発車を待つ24系25形客車
発車の瞬間はロビーカーで迎えた。せっかくのふたり旅、個室に収まっていてはもったいない。なにしろ、ようやく念願叶ったSさんとの同乗である。今回の旅は、Sさんがチケットを手配してくださった。いまや大人気の北斗星で、テクニックを駆使してB寝台個室ソロを入手。その旅の相手に私を選んでくださった。ありがたいやら恐縮するやら。
機関車はEF510形514号機 客車に合わせたブルー
Sさんは寝台特急北斗星の達人だ。そう言うと本人は嫌がるようだけど事実である。この北斗星に456回も乗車して旅のエピソードを本にまとめた。私との関わりは、彼の乗車回数が344回の頃だ。私が彼のブログを見つけて、すごい人がいるものだと連絡を取った。彼は札幌在住だったから、メールでインタビューして紹介させていただいた。
彼にとって、北斗星の乗車は余暇の旅だけではない。水彩画家として活躍する現在は、主に出張の交通手段でもあった。東京行きも札幌行きも夕刻に出発し、10時前に目的地に着く。仕事の打ち合わせにちょうどいい。その出張に、片道だけでも同行してみたかった。「いつかご一緒させてください」とお願いした。社交辞令ではなく、一緒に旅してみたいと思った。それを覚えていてくださった。
再集合してロビーへ 私たちの部屋と同じ6号車にある
お誘いのお礼、出版のお祝いを申し上げて談話が続く。ロビーカーの行列は続いている。以前はこんなことなかったんですけどね、とSさんは笑う。少し寂しそうでもある。彼にとって北斗星は日常だった。しかしいま、この列車は多くの鉄道ファンにとって特別な場所になっている。仲の良かった友達がスターになってしまった。そんな心境だろうか。
いや、いまやSさんが時の人になりつつある。「北斗星を愛する人」としてメディア注目し、北斗星ファンの代表として扱おうとする。その戸惑いもあるようだ。きっかけは私の紹介記事かもしれず、そこに私も責任を感じてしまう。お互いに複雑な心境である。
JR北海道仕様の個室はクラシカルな鍵
JR東日本仕様は暗証番号式電子ロック
思い出話ばかりでは葬送列車になってしまう。次の停車駅は大宮。それまでに平行する京浜東北線の蕨駅を通過する。私はなるべく明るい話題を振り向ける。
「……線路沿いに鉄道バーがありましてね。ひと月ほど前に行ったんですけど、店内にジオラマがあって……北斗星とカシオペアが通過するときは、店主も客も外に出て、列車に手を振るという掟があるんですよ……」
車窓左手に注目する。蕨駅の賑わいが一瞬途切れて、次に見える明かり。あの店だ。シャッターを押したけれど流れてしまった。暗いし、列車は速いし、フラッシュは点けられない。店の前にひとり姿があった。店主だろうか。こんどSさんを連れて行きたい。
“BAR 蕨鉄道”が車窓を通り過ぎた
-…つづく
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