第605回:坊っちゃん列車のマドンナ - 伊予鉄道 坊っちゃん列車 -
伊予鉄道郊外線の3路線を完乗し、次は路面電車の市内線を乗り尽くす。とりあえず梅津寺から高浜線で戻り、古町に向かう。行きの車中で見たとおり、古町が市内線と郊外線の接点である。さて、市内線をどのように回ろうか。電車に揺られながら運行系統図を見る。
環状線の内回りと外回り。支線は三つあり、上一万と道後温泉、南堀端と松山市駅、西堀端と本町6丁目。環状線は支線の松山市駅に立ち寄る。支線系統は道後温泉駅を軸としており、本町6丁目と道後温泉、松山市駅と道後温泉、環状線内のJR松山駅前と道後温泉を結んでいる。

古市駅構内に坊っちゃん列車が待機中
まずは環状線の外回りで上一万へ、乗り換えて道後温泉へ行き、折り返しは坊っちゃん列車で松山市へ。正岡子規ゆかりの子規堂を見物する。ただし目的は子規ではなく、そこに保存されている坊っちゃん列車の客車である。次に環状線内回りで大街道へ行って松山城を見物。その後、本町6丁目行きに乗る。本町6丁目支線は環状線を横断するから、終点で環状線外回りに乗り換えて松山市に到着すれば完乗だ。時間があったら観覧車に乗ってみるか。
ざっくりとそんなコースを想定して古町で降りると、市内線用の留置線に坊っちゃん列車が停まっている。運転室に乗務員の姿があり、いまにも発車しそうであった。時計と時刻表の掲示を確認すると、11時01分発の道後温泉行きがある。そうか、当初の予定より1時間半ほど繰り上がっているから、古町から3便しかない坊っちゃん列車のひとつに間に合った。予定変更。まず坊っちゃん列車で道後温泉へ行こう。

予定変更で道後温泉へ
松山市駅行きを見送った。次に坊っちゃん列車が入線する。緑色の小さな蒸気機関車の後ろ、まさにマッチ箱のような客車を2両連結している。すべて復元車両で、蒸気機関車の形をしているけれどディーゼル機関車である。車体は路面電車よりずっと小さい。坊っちゃん列車の現役時代は軽便鉄道の規格だったからだ。現代の景色や路面電車の線路の上で、異彩を放つ存在である。
機関車の直後の客車に乗った。車内は外観からの印象よりもっと狭い。木製のロングシート。着座位置が低く、窓が小さくて高いところにあるから、座ったままだと空しか見えない。少し背伸びして背後の窓を覗けば、やっと町が見える。夏目漱石先生はこんな列車で松山市内に到着した。なるほど少し窮屈で、外観だけではなく中身もマッチ箱である。

マッチ箱客車の車内
乗客は私だけ。曇天だし、JR松山駅から乗る人のほうが多いだろう。発車すると、郊外線の複線を斜めに横断し、右手に別れる線路を進んだ。こちらは単線である。ゴトゴトと列車が走っている。客室向けにひとりの乗務員。扉を開けて機関車を見せてもらった。運転士は二人。大きな建物の裾を通り抜けて宮田町電停を通過。そこから道路併用軌道になってまっすぐ進み、JR松山駅前に着く。
予想通り、ここから乗客があった。私がいる客車は、向かいの席に年配の夫婦と幼児を抱いた祖母らしき人、向かいに幼児の両親、彼らと私の間に20代半ばとおぼしき女性が座った。女性のひとり旅、子規か漱石のファンだろうか。松山は女性のひとり旅が似合うかもしれない。いや、そういえば、“しまんトロッコ”にもひとり旅の彼女がいた。女性のひとり旅はもう珍しくない時代か。
混み具合はこのくらいがちょうど良い。混んでいれば立ち客もあるのだろう。つり革はなく、低い天井にポールが取り付けられている。裸電球の明かりに照らされ、ニスの色が鈍く光る。曇天のせいか窓の小ささか、車内は暗い。訳ありのデートに良さそうな感じだ。

大手町平面交差
車内を眺め続けてはよろしくないから、首をひねって背筋を伸ばし、窓の外を眺める。ちょうど大手町を通過した。郊外電車と路面電車の平面交差を、こんどは軌道側から乗り越える。その先で丁字路に突き当たり、西堀端交差点だ。左から支線が合流した。右、左と曲がって松山城の堀に沿う。初秋の樹木は褪せた緑と黄葉そして紅葉。曇天は惜しいけれども色彩は多い。堀に沿って回り込むと松山城の天守が現れた。

松山城を望む
客室とデッキを仕切る扉が開き、車掌が現れた。次は大街道。松山城の最寄り駅だ。年配の夫婦が降りた。乗る客はない。私の隣にいた女性が、私の向かいに空いた席に座った。うつむき加減でスマホの画面を眺めている。赤い襟巻きが色白の頬を少し染めている。憂いのある美しい横顔。坊っちゃんのマドンナは「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人」であった。こんな人かもしれない。坊っちゃんとマドンナの出会いも道後温泉行きの汽車であった。

大街道に停車像
列車は大通りを走り続けて交差点を右折した。見過ごしてしまったけれど、ここが上一万電停あたりだ。しばらく走ると、こんどは車窓右手に樹木が見える。道後公園であった。公園の景色が終わると道後温泉電停に着く。坊っちゃん列車の終点である。駅は行き止まりではなく、通り抜ける線路配置になっていた。私たちを降ろした列車は、そのまま進行方向に去って行く。両端にデッキが着いたマッチ箱の客車。国鉄時代の貨物列車に付いていた車掌車に似ている。
私のマドンナも含めて乗客のほとんどは街へ流れていく。しかし私は坊っちゃん列車の続きが気になった。機関車と客車だから、帰りは機関車の向きを変えなくてはいけない。転車台があるはずだと思って追いかけてみたら、そこは2本の留置線があるだけだ。もう1本には路面電車が休んでいる。

道後温泉駅の機関車回転
機関車はどのように向きを変えるか。運転士が降りて、なにやら操作すると、車体がひょいと浮き上がり、その場でくるりと回転した。なるほど、ジャッキアップして回転させたか。これなら転車台は不要。小さな車体ならではの仕掛けだ。これはこれでおもしろかった。
機関車が隣の線路に渡った。そのまま客車の反対側につながるかと思ったら、機関車は停止。こんどは運転士が客車を押して、留置線の奥へ移動する。重労働ではないか。手伝いたい。ぜひ手伝わせていただきたい。しかし安全面を考慮しているようで叶わない。乗客も参加させてくれたら楽しいと思う。

客車の移動も手作業
ふと、サンフランシスコのケーブルカーを思い出した。もう40年以上も昔の風景だ。終端駅の転車台で、乗客も車両の回転に参加していた。私が子どもの頃の話で、いまは手伝わせてくれないかもしれない。
機関車が戻ってきて客車と連結した。そして道後温泉駅へ向かっていく。すぐに上り列車になるかと思ったら、温泉街の入り口に引き込み線が作られており、坊っちゃん列車の展示場になっていた。観光客が機関車を背景に記念写真を撮っている。しばらく停めて、広告塔の代わりにしているようだ。鉄道好きではなくとも、見れば乗りたくなるだろう。

道後温泉駅
道後温泉に来たら温泉に入るべきだろう。しかし私は敢えて引き返す。実は風呂嫌いである。銭湯の孫、大学時代に浅間温泉で下宿したくせに、好んで風呂に入ろうとしない。脱衣と着衣が面倒だ。もっとも、気持ち良さはわかる。鍋に入れた春菊のようにくたくたになってしまう。だから寝る前に入りたい。いまはダメだ。
その代わり、先ほど車窓から見えた道後公園を散歩した。小さいながらも城址公園だそうで、湯築城だった。伊予国の守護が1335年に築城し、1587年に廃城となった。松山城の築城は1602年、関ヶ原の戦いで徳川家が政権を握ってからのことだった。松山城には湯築城の建材が流用されたそうだ。
いまは堀の回りに樹木が配置された日本庭園だ。桜の名所だという。季節は大きくずれてしまったけれど、緑の中に楓の赤が映えている。秋の景色も良いではないか。祝着じゃ。余は満足じゃ。

道後公園
-…つづく
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