4月22日午前5時30分。松山駅前のビジネスホテルを発つ。松山駅前は閑散としていて、目立つ建物といえばガラス張りの大きなレジャー施設のみ。昨夜はこの建物だけがギラギラと輝いていた。他にいくつかの飲食店が開いていたけれど、結局、私は小さな中華料理屋に入り、ラーメンと唐揚げと半チャーハンのセットを頼んだ。カウンターとテーブル、奥に座敷とテレビがあるという庶民的な店だ。座敷のグループが野球中継の終わりと同時に店を出て行くと客は私ひとり。料理は期待しなかったけれど、添え物の唐揚げを注文の後で調理していた。作り置きを暖めるだけの店が多いだけに嬉しかった。
早朝の松山駅。
松山駅前は町外れにある。中心街は500メートルほど東の松山城下あたり。路面電車に乗ればすぐに行ける。伊予電鉄に乗りたいし、松山という町をゆっくり過ごしてみたいけれど、次の機会に譲る。私はお楽しみを最後まで取っておくタイプだ。高知でも土佐電鉄に乗らなかったし、高松も琴電に乗る予定はない。"四国の自然の景色を眺める旅"のはずが、次回以降の"街を巡る旅"の下見となりそうである。
松山には伊予電鉄が松山駅前に延伸する計画がある。土佐電鉄の高松駅のようにJRの駅に隣接させようというもので、松山駅の高架事業に併せて施工するようだ。それが完成してから乗りに来てもいいな、と思っている。もっとも、費用の負担を巡って松山市と愛媛県が揉めているという話もあるから、いつになるかは解らない。
街を歩きたい誘惑をこらえて松山駅に行き、特急しおかぜ6号のグリーン席を予約した。みどりの窓口は5時から営業している。高知駅と同じように、カウンターの手前と向こうがガラスで仕切られており、窓枠もある。古いきっぷ売り場の造りが懐かしい。駅舎は新しいのにここだけ懐かしいですね、と言うと、予算の都合でしょう、と窓口氏が笑う。いや、これはわざと残したに違いない。懐かしさを残すリフォームの手法ではないか、と返す。タダでグリーン車に乗せてもらうのだから愛想良くしようと心がけている。
四国初の特急電車。
早朝にもかかわらず駅弁屋が開いていた。朝食としてひとつ買い、準備万端で改札口を通る。銀色の特急電車が横たわっている。堂々たる8両編成だが、後ろの3両は高松行きのいしづち6号である。岡山行きのしおかぜ6号は前方5両で、グリーン席は先頭車だ。私は各車両を検分しながらホームを歩いた。やはり銀色の車体だが、こちらはクロムシルバーで高級感がある。先頭車は速さを強調する流線型で、山形新幹線つばさ号によく似た雰囲気だ。
グリーン車に入ると、清々しい雰囲気にほっとした。木を使った座席に落ち着いた紺色のシート地が張られている。座席は3列で海側がひとり掛けだ。豪華ではないけれど、お客様をもてなそうという気配りがあって心地よい。私はひとり掛けの席に座り、発車するとすぐに駅弁を食べ始めた。しょうゆ飯といって、かやくごはんに山菜と鶏の煮付けが添えられている。昨日のかつおめしに似ているが、こちらは味付けが優しく、朝食にちょうど良かった。
スイスイとした電車の加速は久しぶりの体験だ。JR四国は電化区間が少なく、ここ予讃線の高松から松山の先の伊予市まで、土讃線の多度津から琴平までだけだ。だから電車列車や電車特急は珍しい。国鉄の電化計画で、四国は後回しになっていたからである。"無煙化"といって、国鉄時代に蒸気機関車を廃止する動きが起こった。東京、大阪から直通列車が走る幹線を中心に電化が進められ、電化路線に接続しない路線はディーゼル機関車やディーゼルカーが導入された。本州と線路が繋がっていない四国は電化への投資が行われず、その代わりにディーゼルカーやディーゼル機関車が積極的に導入された。
グリーン車は上質な空間。
皮肉なことに、地上の電力設備が不要で投資費用が少なかった四国はいちはやく無煙化を達成し、それでよし、ということになってしまった。そんな四国で電化整備が必要となった理由が本四連絡橋の完成である。本州と四国の線路が繋がれば、本州側の電車が乗り入れるし、四国からも電車を使えば岡山に乗り入れやすい。そこで、本四連絡橋に接続する坂出から高松、松山へと電化区間が整備された。
これで高松と松山から岡山へ向かう列車は電車になった。なんと平成になってからの話である。そのとき、最初に電車化された特急がしおかぜだった。私が乗っている電車は8000系といって、JR四国として初めての特急用電車である。外観は洗練されているし、室内も清潔感があるけれど、実はデビューから16年も経っている。
松山駅弁のしょうゆ飯。
しおかぜ6号は松山駅を発車した後、しばらく内陸を走った。しかし私が弁当を食べ終わる頃に海岸に出た。瀬戸内の海、穏やかな地形で民家の向こうに海が見え、やがて海岸線が線路に近づく。小さなトンネルを潜ることはあるけれど、概ね海沿いに走っている。あいにくの曇天で海も空も灰色だ。晴れたら瀬戸内の景色が楽しめただろう。それでも近景に楽しめるものはある。小さなマリーナやボート販売店など、海と船に関する看板が目立ち始めた。
極めつけは大西駅付近の新来島どっぐだ。なんとなく名前を覚えていた。会社再建の神と言われた故坪内寿夫の逸話をどこかで読んだことがある。戦後最大の倒産といわれた三光汽船の再建のニュースに出てきた名前かもしれない。船にはあまり興味はないけれど、なぜそんなニュースを覚えていたのだろう。高校生から大学にかけて企業経営に興味を持っていたせいかもしれない。
瀬戸内は漁業だけではなく、造船も盛んな地域である。しかし造船不況という言葉はよく耳にする。小口の荷物は航空機や陸路に奪われ、船舶輸送は減少し、近隣諸国の造船コストが下がって船主の注文が減っているらしい。テレビで豪華客船が進水するニュースを見て、関係者のみならず、付近の住民まで喜んでいた様子を思い出した。
海沿いを走る。
広い空の向こうにクレーンが何本も立っている辺り。そこが造船工場なのだろう。戸建ての住宅だけではなく、団地のような集合住宅も見かけた。太平洋側の風景とはずいぶん趣が異なっている。その極めつけが瀬戸内にかかる大きな橋である。来島海峡大橋といって、瀬戸内の大島へ渡る高速道路である。この道路は瀬戸内にかかるいくつかの島を結んで尾道に至る。これらの橋と道路を経由するルートは『しまなみ街道』と呼ばれ、瀬戸内の新しい観光ルートになっている。
橋を潜ると大きな街になり、6時51分。今治着。造船で栄えた街なのだろうか、松山よりも街の規模が大きい気がする。しかしそれは鉄道からの風景がそう見せるだけで、愛媛県の都市の規模は松山が圧倒的に大きい。松山市は人口50万人を超える。一方で松山市は市町村合併後も18万人に留まる。今治は鉄道の駅が街の中心にあり、松山は駅が町外れにあるというだけのことらしい。
瀬戸内を渡る橋と造船用クレーン。
-…つづく
第144回からの行程図
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