米子駅は鳥取県の西端にある駅で、山陰地方の交通の要衝だ。東西の山陰本線だけではなく、陰陽を結ぶ伯備線の列車が発着する。伯備線は瀬戸内の倉敷から中国山地を越えて山陰本線の伯耆大山に達する路線だ。しかし線内を往復する列車はなく、岡山と米子を結ぶ形で運行されている。山陰地方の鉄道は、どちらかというと、東西の都市とのつながりよりも、山陽方面の都市との連携に重点を置いている。地図を見れば、山陰本線と山陽本線の間にアミダくじのように鉄道路線が敷かれているし、高速道路に至っては米子-岡山、浜田-広島を結ぶ路線はあっても、山陰沿岸ルートはない。
9時32分。隣のホームに特急電車が入線した。岡山から山を越えてきた『やくも1号』だ。この列車の停車時間は約2分。のんびり休憩している出雲号よりも先に米子を発車して、出雲号より早く出雲市に着く。陰陽連絡特急はこの地域の主役で、他のどんな列車よりも優先される存在だ。山陰本線は『やくも』を走らせるために伯耆大山から西を電化したけれど、東側の城之崎温泉までは非電化のままだ。
電車特急に追い越される。
出雲号は米子に到着する前に、「先を急ぐ方はやくもをご利用ください」と車内放送が流れる。しかし、もとより急ぐ客などいない。東京から急ぎの客は飛行機に乗るだろう。山陰地方での出雲号は、陰陽連絡特急や通勤客用の各駅停車に遠慮しながら、線路の空き時間を分けていただく、という立場だ。大雪などでダイヤが乱れた場合は出雲号の運行を米子で打ち切り、乗客はやくもに案内されるという。
駅舎側のホームに行くと、先のほうに飾り付けがしてある。そこには行き止まり式の乗り場があって、境線が発着する。境線は美保湾と中海の間にある弓ヶ浜を進むローカル線だが、最近、妖怪路線として話題となっている。漫画家の水木しげる氏の故郷にちなみ、各駅に妖怪の名前を付けた。米子駅は"ねずみ男駅"だそうで、飾り付けは"ねずみ男"と仲間たちのブロンズ像が中心だ。境港線は今日の夕方に乗りに来る予定である。列車に戻る前に"ねずみ男売店"を覗いた。ねずみ男の格好をした店員ではなく、まじめそうなオジサンだった。
寝台に戻り、昨夜、余分に買って置いた食料で朝食を済ませる。しばらくしてM氏がやってきた。ホームの立ち食いそばを食べてきたという。なるほど、その手もあったな、と思う。一緒にそばを食べたというKさんは少し遅れてやってきて「こんなの見つけました」と小さなテーブルに並べてくれた。『妖怪汁』などと名付けられたジュースだ。さぞやおどろしい中身だろうと思ったけれど、妖怪汁はシークワーサー、目玉おやじ汁はゆず、ねずみ男汁は夏みかん&はっさくだった。山陰の妖怪たちはさわやかなイメージがウリのようだ。
今年初登場
米子を出ると県境を越えてKさんの本拠地に入る。最初の停車駅は米子の隣の安来駅だ。どじょうすくい踊りの安来節が発祥した地である。「ここは砂鉄が取れたんですよ。安来節の踊りは、砂鉄を取る仕草に由来しています」と、Kさんの解説が始まった。安来節の泥鰌すくいは、生き物のドジョウを捕る様子かと思っていた。しかし、実際の由来はドジョウ……泥鰌ではなく"土壌すくい"だった、という説が有力らしい。砂鉄など、商売になるほどの量が取れるのだろうか、と思うけれど、駅の隣に日立金属の大きな工場が接している。
終着駅まで残り1時間。ここからの車窓は水と平野だ。車窓右手には中海が現れる。線路が沿岸から離れてしばらくすると大橋川に沿って松江着。松江を出ると宍道湖だ。今日は曇り気味で対岸が霞んでいるせいもあって、海沿いを走っているようだ。湖面ばかりを見ていたら、Kさんが、飛行機が見えますよ、と指をさした。尾翼に赤いマークを付けた飛行機だ。出雲空港は宍道湖の西湖畔にあり、発着機は宍道湖上を通るようだ。東京からは約1時間半のフライトである。
「車窓から神立橋が見えると、帰ってきたな、と思うんですよ」とKさんが語り出す。実家は線路際にあって、毎日のように列車を見て過ごしたとか、踏切のせいで遅刻したとか、思い出話を聞く。私も幼いときは踏切のそばのアパートに住んでた。M氏の実家は国鉄大宮工場のそばだった。鉄道好きの生い立ちには共通点が多く、お互いに披露し合って話が盛り上がる。開放式B寝台の一区画の定員は4名。私たちがいる場所は京都のオジサンがいないから、3名でゆったりと使っている。昼間の特急なら3列ぶんになるだろうか。そう思うと、なんて贅沢な旅だろうと思う。ひとりあたりの空間はグリーン車よりも
広いし、腰が疲れたら寝そべってもいいのだ。
宍道湖畔をゆく。
Kさんが神立橋の話を続ける。旧国名で10月を神無月これは常識だ。全国から神様が居なくなり、その神様たちは出雲に集まり会議をする。だから、この地方だけは10月を神在月という。これも広く知られていることである。神立橋は、全国から集まっる神様が目印にする場所だという。後に調べると、神が全国へ帰る、つまり神の出立に由来する名前だとされているようだ。Kさんによると、その神立橋の下を流れる斐伊川は反乱を繰り返す暴れ川で、おそらくそこからヤマタノオロチ伝説が生まれた、とされているそうだ。なるほど、反乱のたびにルートを変える川は、大蛇に例えられてもおかしくない。ヤマタノオロチは漢字で書くと八岐大蛇、八岐とは、支流が8本あった、ということなのだろう。
「そろそろ見えますよ、ほら」という声で神立橋を見た。さぞや荘厳な造りだろうと思ったら、意外にも鉄筋コンクリートの地味な橋だった。近づけば欄干や橋桁に細工がしてあるのかもしれないが、この距離と時間では判らない。もっとも、派手な飾りがないほうが、神々のゆかりの地にふさわしい、とも思った。斐伊川を渡ればKさんの故郷。Kさんは、ほっとした表情になっている。私たちの出雲号も終点に近づいた。斐伊川を過ぎてから一畑電鉄の線路が近づき、それと併走して出雲市駅の構内に入るまで、1分ちょっとであった。
出雲市に到着。
高架駅のホームに降りると冷たい風が通り抜けている。私たちは最後のお別れに先頭へ行き、機関車を眺めた。Kさんは、この番号はお召し列車を引いた機関車ですよ、と教えてくれた。2003年の10月。『全国豊かな海づくり大会』にいらっしゃる天皇皇后両陛下のために、お召し列車が走ったそうだ。お召し列車はDD51機関車が重連で担当し、この1187号機はそのひとつ。客車はサロンカーなにわというイベント車両。吹きさらしの展望席は防弾スクリーンが取り付けられた。
写真を撮り、賑わいが落ち着くと、私とKさんは階段に向かう。しかし、M氏がついてこない。振り返ると、M氏は機関車のそばから離れず、いつまでも撮影を続けていた。ああそうだ、M氏は納得できるまでその場を離れない人だったな、と思い出した。やがて、列車が動き出し、西出雲の留置線へ走り去っていく。その列車とすれ違うようにM氏がこちらに戻ってきた。私たちはガラス張りの風よけの中で彼を待ち、その向こうに去っていく出雲号を見送った。
さらば、出雲号。相席に恵まれ良い旅ができた。
急がずじっくり列車に乗る旅が、またひとつ終わろうとしていた。
出雲号が車庫へと走り去る。
-…つづく