無事取材が終わった。私はイベント関係者の何人かに簡単な挨拶を済ませると、まだ熱気の残るネットカフェから外に出た。時刻は17時30分。日が高いおかげで外は明るく、涼しい風が顔を冷やす。旅日和である。用事で電車に乗ったとしても、寄り道の誘惑に抗いにくいような気候だ。新幹線で帰るつもりだが、鞄から路線図を取り出して、歩道で立ったまま眺める。私の後から出た顔見知りが挨拶をして追い越していく。どうも落ち着かないので、とりあえず難波方向へ向かって歩いた。
谷町九丁目駅は次の信号のある交差点にあった。地下鉄の発達した都市では、少し歩けば違う名前の駅が見つかる。東京で例えれば、JRの秋葉原と東京メトロの末広町、都営地下鉄と岩本町のような感覚である。路線図は乗り換え関係がわかりやすくなるように、駅の位置関係がゆがんでいるから、徒歩移動を考慮しないと大回りをさせられる。
タニキュウこと谷町九丁目から新大阪に行くには、地下鉄千日前線で難波に行き、乗り換えて御堂筋線で北進すればいい。このルートは幸いにもすべて未乗区間である。いや、実は会社員時代に得意先回りで乗ったような気がするのだが、きちんと記録をつけていなかったので、未乗という扱いにしておいた。私にとって大阪の地下鉄路線図は、探検すべき広大な新大陸だ。地下鉄だから景色は期待できないとしても。
難波で御堂筋線に乗り換えようとして、ちょっと考えた。このまま新大阪で降りては面白くない。難波と新大阪は中間駅同士で、両端の駅付近が乗り残しになってしまう。全区間踏破はできないにしても、どちらかの端には行ってみたい。では、南の中百舌鳥、北の江坂、どちらにしよう。私は駅に掲示された路線図をしばらく眺めて北へ行く電車に乗った。途中に新大阪駅があるけれど、降りずに江坂へ、そして直通運転している北大阪急行電鉄を乗り通して終点の千里中央を目指す。
地下鉄御堂筋線の由来となった御堂筋は、難波と梅田の2大繁華街を結ぶ大通りだ。6車線もある上に南へ向かう一方通行になっていて、初めて見たときは大阪人の割り切りの良さに驚いた。電車はその地下を走り抜け、梅田を過ぎると右へ緩く曲がる。中津駅を出ると地上に顔を出し、両側に道路を従えて淀川を渡る。両側の道路は近代に整備された新御堂筋である。道路と鉄道を一体として整備したため、この形態のまま終点の江坂に至り、直通先の北大阪急行電鉄にも引き継がれている。
架線がないので眺望がいい。
地下鉄とはいうけれど、御堂筋線の北側は展望が良い。空が広いな、と思ったら電車に付き物の架線がない。御堂筋線は電車のモーターを回すための電気を、架線ではなく、レールの横に置いた集電用の線路に流している。電車の車輪の横に集電装置があって、そこから電力を得る仕組みだ。この方式は地下鉄を作るときに、トンネル断面の面積を狭くできる。大きなトンネルを掘らないから建設コストが安くなる。
前方に横たわる巨大な建物が新大阪駅。新幹線の駅と直結し、乗り換え時間も短いので、新幹線でここに着いた人々の大半は、東海道線の大阪駅までの切符を持っていても御堂筋線に乗る。新幹線の庇から這い出た電車は、続いて東三国、江坂に停まる。江坂で御堂筋線は終わり、ここから北大阪急行電鉄になる。私が乗った電車もそのまま北大阪急行に乗り入れた。まだ道路は両側にあり、町並みを広く見渡せる。大阪万博が開催されたときはこの路線がアクセスルートだった。当時は未来の乗り物だったのかもしれない。愛知万博のリニモのように。
横穴式の緑地公園駅。
道路と線路が仲良く並んでいる。ともに左に右にと向きを変えるけれど、勾配だけは一緒というわけには行かないようだ。自動車は地勢に合わせて坂を上下できる。しかし線路の勾配は緩やかにせざるをえない。道路が先に上り坂になり、線路との段差が大きくなったところで、道路の下に駅ができていた。緑地公園駅。道路を掘って造られたホームはまさしく地下鉄のスタイルだが線路は露天。横穴式住居のような駅だ。
横穴式の緑地公園駅は緩やかにカーブしており、向きが変わって直線区間になると、正面に高層住宅が見えてくる。千里ニュータウンである。日本最初の大規模な都市開発計画として、私の世代の教科書では、日本史の近代の部分に載っていた。第一次入居開始は1962(昭和38)年。北大阪急行電鉄の乗り入れは8年後の1970(昭和45)年で、千里丘陵で開催された大阪万博の輸送手段という意味合いもあった。万博終了後は文字通り千里ニュータウンの核となっている。
千里ニュータウンが見えてくる。
道路に挟まれて走ってきた電車は、正面に中国自動車道の千里インターチェンジに塞がれると地中に潜る。ここで道路とはお別れだ。久々に地中に戻った地下鉄電車は、ここが本来の居場所なのだと安心したかも知れない。着水したトビウオのようにすいすいと走って、ニュータウン中心の地下駅に到達した。地下駅といえども明るい雰囲気。ホームに立ってみれば、そこは大きな吹き抜けになっていて、回り廊下のような上階部分は商店がズラリと並んでいる。子供の頃に見た海底都市の駅のようだ。30年以上の時を経て、ややくたびれた感じの未来都市である。エレベータのない文化住宅のような、近代建築の誇りと哀れを感じる。
古き時代の未来予想図。
地下鉄に乗るときは、面倒だからとそのまま引き返すこともある。しかし、こんな面白い構造の地下駅を見ると、外の景色を見てみたい。人の流れを追って地上に出ると、そこはショッピングモールの一角だった。鉄筋コンクリートの建物ばかりだが、四角四面ではなく、曲線をふんだんに取り入れて、まるでテーマパークのような空間である。飾りつけの様な街灯、人々が集う広場の床は幾何学模様のタイルが敷かれている。まるで絵に描いたような、いかにも楽しげな空間であった。
しかし、最近になって造られたコミュニティ広場とは歴然とした違いがある。樹木などの緑が少なく、申し訳程度の植え込みしかないのだ。最近は植樹を取り入れて自然との共生、回帰をデザインし、憩いの場所にしようとする傾向があるけれど、ここには自然と共生する概念がない。徹底的に人工物で埋め尽くし、自然を排除した感覚がある。それはもしかしたら、高度成長期における人工物への憧れかもしれなかった。
地上はショッピングモールだ。
第111回以降の行程図
(GIFファイル) )
2005年5月29日の新規乗車線区
JR:0.0Km 私鉄:207.1Km
累計乗車線区
JR(JNR):16,016.8Km (70.42%) 私鉄:3,867.5Km(61.49%)
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