12分間停車の後、南風3号は再び走り始めた。運転士さんと車掌さんが交替し、車内放送が女性の声に変わった。
「本日も土佐くろしお鉄道をご利用頂きありがとうございます……」。
そう、ここから先はJRではなく、土佐くろしお鉄道を走るのだ。土佐くろしお鉄道は旧国鉄の赤字ローカル線を継承した第三セクターで、その経緯は興味深いけれど、その説明は後にする。この先、鉄道ファンにとっては面白い場所がある。私は指定された席を離れ、最前部の席に移動した。感心できない行動だ。他に乗客がいないから大目に見てもらおう。
窪川駅の次は若井駅だ。南風3号は通過するけれど、ここはJR予土線との分岐駅である。…といっても、乗客に解りやすいように、きっぷの計算上は若井駅で分岐とみなしているだけだ。実際の分岐点は若井駅よりも3.6キロ先の川奥信号場である。川の奥であり山奥でもあるのだろう。付近に人が住まないため駅はなく、列車がすれ違う施設と分岐設備があるだけだ。しかし、ここから先が鉄道ファンにとっては注目の場所になる。珍しい"ループ線"があるからだ。
川奥信号場で分岐する。
南風3号は若井駅を過ぎるとトンネルに入る。約2キロの長いトンネルで闇が続き、やがて二つの信号機が現れる。トンネルを出るとすぐに信号場となるため、この辺りから前方の状況を知らせている。左側が赤くなっていて、二つの線路のうちの一つが閉じていることがわかる。そこには南風3号の通過を待つ列車がいるという意味だ。トンネルを出ると、確かに1台のディーゼルカーが停まっていた。
南風3号は川奥信号場を通過する。すれ違い設備の前方はそのまま左右に線路が分かれている。左側の直進方向がJR予土線、右側に曲がっていく方が土佐くろしお鉄道の中村線だ。方向としては中村線が左へ分岐していくべきだが、中村線はいったん右に曲がりつつトンネルに入り、緩い勾配を下りながら曲がり続ける。トンネルの中だから状況はよくわからないけれど、これだけ走れば川奥信号場の真下であろう。ループトンネルが終わり、信号場の真下を通り抜け、高度変更が完了する。南風3号は海に向かって谷を降りていく。
名もなき川が輝く。
時刻は13時になろうとしていた。真上から日光が降り注ぎ、車窓左手の小さな川の水面が輝いている。自分の席に戻らずに特等席で展望を楽しんでいると、若い女性車掌さんが私の横の通路を通り、運転室に入った。車内放送が終わり、たった3両の検察業務も済ませたらしい。同僚の運転士と会話をするというふうでもなく、おとなしく座って前方を見ている。御顔は拝見できなかったけれど、耳がかわいいな、と思う。日光が当たると光が透けて紅色になる。良い景色だ。
荷稲と書いて"かいな"と読む駅を通過する。地図を見ると、線路と並んで谷を降りた小川が、やや幅の広い伊与木川と合流していた。人と水のつながりを印象づける場所だ。この先、列車は伊与木川と海を目指す。ただし、川は地形に合わせて蛇行するけれど、線路のカーブは緩やかで、トンネルや鉄橋が続く。川面が右に行ったり、左に行ったりしている。南風3号には振り子機能があり、カーブでは車体が内側に傾く。この仕組みが遠心力を抑えるため、在来車では速度を落としていたカーブ区間でも、直線区間とほぼ同じ速度で走行できる。
南風3号のアイドル?
13時15分。土佐佐賀駅着。伊与木川が太平洋に注ぐ河口の町である。ただし、車窓から海が見えるところはもう少し先だった。線路は海に近くなったけれどトンネルが多くなる。海岸沿いの地形のほうが川沿いよりも険しい。チラチラと見える海に、ぽっかりと島が浮かんでいる。その島の周囲も崖で、近寄りがたい雰囲気だ。小さな浜と船着き場らしきものがあるから、人が住んでいるかもしれない。ミステリー小説の舞台になりそうである。
土佐くろしお鉄道中村線は旧国鉄の土讃本線の延長路線として建設され、1963年に窪川からループ線を経由して土佐佐賀までが開業した。この時に中村線という独立した名前が与えられ、1970年に中村駅まで全通した。ループ線があり、土佐佐賀から先は崖の上から海を望む眺望が楽しめるとあって、鉄道ファンならずとも旅情豊かな路線として知られていた。
しかし経営は厳しかった。国鉄再建法により、開通してからたった20年で第三次廃止対象路線という"死の宣告"を受けてしまう。それを高知県と沿線自治体が引き受けて、第三セクターの土佐くろしお鉄道中村線として現在に至っている。
海とトンネルが続く景色、続いて里の情景が続き、エメラルドグリーンに輝く後川を渡って、13時38分中村着。国鉄時代の貫禄を残す立派な駅舎である。かつては終着駅だったが、宿毛線が開通すると中間駅になった。南風3号の停車時間はたったの1分だ。駅舎を見物したい。中村は窪川よりも大きな町だから、ゆっくり停まっていればいいのにと思う。私も四国のリズムに慣れてきたらしい。
鹿島、というらしい。
中村を出ると列車は左へ大きく曲がる。90度くらいは向きを変えただろうか。南風3号は振り子式車両だから、飛行機が旋回するように車体が傾く。その傾きが収束すると大きな鉄橋で川を渡った。このあたりでは渡川と呼ばれているが、これが名だたる四万十川である。四国の景色のキーワードは"川"だろうか。有名河川だけではなく、谷の小川までが美しい。水が集まる場所に人が住み、駅ができている。
中村から宿毛までは宿毛線である。窪川から宿毛まで1本の路線だから全区間を中村線としても良いと思う。わざわざ違う名前になった理由は、おそらく、土佐くろしお鉄道が設立された後に開業したからだ。宿毛線の開業は1997年で、中村線全通の27年後である。国鉄再建法により工事の途中で廃線が決まり、新しい高架線が雨ざらしで残された。その姿は国鉄の赤字が問題になると税金の無駄遣いの象徴とされた。それを中村線と一緒に土佐くろしお鉄道が引き受けた。企業がやることだから、ヤケになったわけではないだろう。むしろ第三セクターとして、税金を投入した設備を見過ごせなかった、と思いたい。
四万十川を渡った。
宿毛線は開通してから10年に満たない。高速走行に適した線形で作られているから、ほぼまっすぐに宿毛を目指す。高架橋やトンネルが多く、眺望を楽しんでいるとトンネルで遮られる。暗くてつまらないけれど、次に現れる景色を期待する時間でもある。女房と畳は……という慣用句があるけれど、線路は古い方が良い。建築もそうだ。もっとも、眺める立場と使う立場では正反対の感想になるものだ。
宿毛線は昨年、事故で全国に知られてしまった。終着駅の宿毛に特急列車が高速度で進入し、線路上で停まりきれず車止めに激突。高架駅だったため、1両目が駅舎の壁を破って2階からはみ出した。映画の「大陸横断超特急」のラストシーンのような大迫力だったと思う。映画では運転士が、予定の時刻より早く着いた、とジョークを飛ばしていたけれど、こちらは運転士が亡くなり、乗客は重軽傷という惨劇だった。その後、宿毛線は終端駅の信号装置を改良して再開。JR四国も終端駅に過走防止システムを導入した。
南風3号は宿毛駅の手前でスピードを落とし、ゆっくりと駅構内に侵入した。まだかな、と思うほどの間があってようやく停止する。中村駅とは対照的に、近代的な高架駅である。改札口へ降りていく階段とエレベータ付近が事故以降に修理された部分だが、ホームも駅舎も掃除が行き届き、清潔な印象で違いがわからない。しかし、外から駅舎を眺めると、壁の色が少し違っていた。
建物は何事もなかったように修理されているが、壁の色が事故の記憶を残している。愛車の擦り傷を板金塗装で治したような感じだ。すべて塗り替えれば良かったのに、と思うけれど、こういうものは修理した後に気付き、もういいや、と思うモノなのだ。私のクルマもそうだった。
宿毛駅。手前の改修部分の塗装が新しい。
-…つづく
第144回からの行程図
(GIFファイル)