金曜日の夕方、仕事から逃げるように通勤電車に乗り、東京駅へ向かう。手元には山陰行きのきっぷが二人分ある。相手とは東京駅10番線ホームで落ち合う約束になっていた。果たして彼女は来るだろうか。私はすでに守るべきものはなく、東京に未練もない。しかし彼女はどうだろう。しがらみだけではない。彼女の周りにはぬくもりもある。この街に残すものがあの人には……いや、きっと来る。これは私たちの運命だ。彼女がそう言ったではないか。私は不安と疑念を振り払った。何もかも捨てて、遠い港町でひっそりと暮らすのだ。
……あーあ、渡辺淳一の小説みたいな旅をしてみたいなァ、と妄想を膨らませながら東京駅に着いた。階段を下り、10番ホームに上がり、北の神田方向へ歩いて行くと、同伴者のM氏がニコニコしながらカメラを握っていた。彼がここに居ないわけがない。
「出雲の入線はプッシュプルなんだぜ!」「そうですか!」
それが二人の最初の会話だった。色気も情もなく、私たちには鉄分がみなぎるのみである。
大勢の人々に迎えられて入線する。
寝台特急出雲号は田町の車庫からやってくる。機関車が客車を牽引する方式の列車だから、田町から機関車を先頭にして10番ホームに進入する。しかし、列車の反対側にも機関車が付いている。これがプッシュプルという運転形態だ。出雲号は東海道線を走るので、逆方向の田町へと走り出す。そのための機関車をあらかじめ連結している。北側の機関車は田町からここまで列車を牽引するだけで、発車する前に切り離される。M氏はその機関車の写真を撮るためにホームの北端で待っていた。M氏は鉄道好きの中でも"車両派"に属する人である。
客車列車が駅で折り返す場合、駅まで先頭についていた機関車を切り離し、隣の線路を通って反対側に連結する。これなら機関車が常に前にいるし、1台ですむ。約30年前のブルートレイン・ブームでは、どの寝台特急もこの方式だった。当時の発車ホームは12・13番線で、この10番ホームと12番ホームの間に、ホームのない11番線の線路があった。その11番線を使って機関車を先頭に回していた。
田町から出雲を連れてきた機関車。
しかし現在、11番から13番までの線路の敷地は東北新幹線の線路になっている。その結果、機関車を回しにくくなってしまったので、やむを得ずプッシュプルという珍しい運転方法になった。時代は変わったな、と実感する。新幹線が幅をきかせ、客車寝台特急は肩身が狭い。しかも機関車を2台も使う面倒な形態だ。手間が多いくせに客は少なく、こんな列車はなくしたい、そんな現場の本音が聞こえそうだ。
寝台特急出雲号の乗客は、最盛期の3割以下、乗車率は4割以下などと報じられている。最盛期は満席だったはずだから、ふたつの数字が合わないな、と思う。しかし、最盛期に15両で運行された出雲号は、時刻表を見ると12両で運行されているようだ。しかも、後ろの3両を連結しない日もある、と書かれている。数字のマジックである。車両が減れば乗車率は上がるわけだ。乗車率4割というけれど、都内でときどき見かけた下りの出雲号はガラガラで、回送列車と見まがうほどであった。おそらく週末は5割、平日は1割くらいの乗客数だったのではないか。上りは東京着が朝7時で便利だから、下りよりは人気があったかもしれない。鳥取、島根の人が出雲号で上京し、帰りは飛行機を使う、というパターンになるのだろう。
乗客は少なくなった、というけれど、今日の10番線は賑わっている。廃止の報道が広まって、私たちのようなお別れ乗車する人が多い。ホームには大勢の人がいて田町方向を見つめている。東北新幹線の車体に、いまにも機関車のヘッドライトが反射するのではないか。そう思っている人も多いだろう。案内放送が「まもなく参ります」と繰り返し、アマチュアカメラマンを煽った。その光景に、私は懐かしさを感じていた。今から約30年前、ブルートレイン・ブームがあった。私は当時小学6年生で、何度も東京駅に来て、こんな風景を眺めた。そしてとうとう念願が叶い、長崎行きの寝台特急さくら号に乗った。帰りはみずほ号だった。今はもう、どちらも廃止されている。
旅立ちの風景。
出発前にインターネットで予約状況を調べたら今日の出雲号は満席だった。廃止が決まってから乗客が増える。皮肉だが、廃線、廃止列車のおきまりの風景だ。何回もこんな場面を見過ぎて是非を問う気分にもならない。これから運行最後の日まで、下り出雲号は最後のお祭りである。同じ阿呆なら踊らにゃ損、と割り切った。私たちのような"乗る阿呆"だけではなく、見る阿呆、撮る阿呆もたくさんいる。
21時ジャスト、我が愛しき阿呆たちの前に、出雲号はゆっくりと進入してきた。M氏も私もカメラを構えている。ホームに人が多くて、機関車がよく見えない。ブルートレイン・ブームの小学生の私なら、人々を邪魔だと思っただろう。しかし現在の私は賑やかさが嬉しい。
青とクリーム色に塗られた機関車、それに続く青地に銀帯の寝台客車。30年前、旧来の茶色の客車に代わり、この青色の新型客車が登場した。冷房完備で清潔な車内空間と食堂車の連結でたちまち人気となり、ブルートレインと呼ばれてブームになった。私の世代ではブルートレイン・ブームとスーパーカーブームを同時期に体験している。親のカメラを持ち出して、近所の駅や線路端に撮影に出かけたものだ。今日の東京駅10番線ホームには、30年前の13番線ホームの雰囲気が蘇っている。変わったといえば私が30も年を食ったこと、カメラがデジカメになったこと、ケータイカメラも30年前はなかった。変わらないものといえば、困ったことにこの客車だ。リフォーム工事を受けたとはいえ、30年前の客車である。車体は磨かれ、室内も清潔だが、やはり今の時代から見れば古くさい仕様である。
行き先表示の"特急出雲 出雲市"も見納め。
ホームではOL風の女性もケータイカメラを構える。「なにこれ、どうしたの?」「もうなくなっちゃうんだって」などと言い合っている。鉄道ファンというわけではない。珍しいものがあったらとりあえず写真を撮っておく。それが来週の合コンのネタになる。それもいいだろう。どうかお姉さんたちも、東京から出雲市へ、乗り換えなしで行ける列車があったことを覚えていてほしい。さらに願わくは、10時間以上も汽車に揺られる贅沢な時間があることを知ってほしい。"出雲"が消えても"サンライズ出雲"がある。高松行きの"サンライズ瀬戸"、大分行きの"富士"、熊本行きの"はやぶさ"、大阪行きの"銀河"もある。長距離列車で旅立つ楽しさを知ってもらいたい。
停車した機関車の写真を撮り、客車と切り離される瞬間を眺めて、M氏と私は7号車に乗り込んだ。2段ベッドが並ぶ開放式B寝台車。7号車6番下段がM氏、上段が私だ。上段に上がると、廊下の天井裏にあたる部分に荷物置場がある。そこに重いリュックを載せて再び車外へ。今度は先頭車両へ向かって歩いていく。
1号車の前に電源車があり、ディーゼル発電機が唸っている。電車と違い架線から電気を取らないので、この電源車が寝台車の照明や空調の電力を作っている。電源車の前に京都まで出雲号を牽引する機関車がいる。機関車の正面から撮りたいと思ったけれど、ホームの先端にいるので撮れなかった。M氏は普段と変わらない顔をしているが、本当は残念に思っているに違いない。
電源車。
「仕方ない、京都で撮るか」と、M氏が独り言を言ったような気がする。京都でこの機関車を切り離し、ディーゼル機関車に交替するのだ。眠らずに京都着まで夜更かしして、それを撮るつもりだろうか。出雲の京都着は午前3時39分。寝台列車で眠らない。そんな鉄道ファンの心理は常人には理解できない。もちろん私にはよくわかる。30年前、寝台特急さくら号で、私も眠れない夜を過ごしたからだ。
-…つづく