■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回:さらば恋路
-のと鉄道能登線-

第102回:夜明け、雪の彫刻
-高山本線-

第103回:冷めた囲炉裏
-神岡鉄道-

第104回:再出発の前に
-富山港線-

第105回:世界でただひとつの車窓
-JR氷見線-

第106回:真冬のフラワーロード
-JR城端線-



■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第107回:鉄道は誰のものか -万葉線-

更新日2005/08/11


午後3時の高岡駅前。空はすっかり晴れ上がり、街の片隅に残った雪を少しずつ溶かそうとしていた。とりたてて特徴のない町並みだけれど、雪に洗われた建物が美しい。新しい建物も、古い建物も、太陽に温めてもらおうと背伸びをしているようだ。日なたの暖かい場所で深呼吸をすると、乾いた冷たい空気が喉を冷やしていく。頭の中の霧が晴れていくような気がする。

今回の旅の締めくくりは万葉線である。高岡駅前から北東に向かい、JR氷見線と平行するルートで富山湾に突き当たると、氷見線とは逆方向の東に折れて新湊市の越の潟に至る。路線延長は12.8キロ。所要時間は約40分。平均時速は20キロ程度。自転車よりちょっと速い。のんびりと走る田舎の路面電車なのだろう。


高岡駅前に赤い電車がやってきた。

歩道の水たまりを避けつつ歩き、高岡駅前停留所に立つ。小さなベンチがあるけれど、尻が冷たくなりそうなので立っていた。電車は15分間隔で走っているから、立って待っても苦にならない。しかし待つ時間は長く感じるものだ。私は恋人を待つようにソワソワしながら、ロータリーから発車するバスを見送り、交差点のクルマの流れを眺め、信号が切り替わるたびに線路の向こうを見やった。

路面電車は車体前面に広告塗装を施してある場合が多く、何色の電車が来るのかもわからない。電車がどんな形か、どんな色かと思いを巡らす気分は、恋人がどんな服を着てくるのだろう、と待ちこがれる気分に似ている。違いがあるとすれば、恋人は来ないことがあり、電車は間違いなくやってくる。

彼女は真っ赤な衣装で登場した。車体に描かれた文字が示すように、それはコカコーラのシンボルカラーであった。抜けるような青空と輝く残雪。そして真っ赤な車体。さわやかとはこんな風景を言うのではないか。私は上機嫌で電車に乗り込み、そして裏切られた。私のもっとも苦手とする、生臭い空気が充満していたからである。魚市場からの客が水をこぼしたようだ。海へ向かう電車だし、想定される事態ではある。誰が悪いというわけでもないが、電車の第一印象が生臭さとして記憶に残るとは残念だ。もっとも、海産物を好む人ならば、この臭いも旅の思い出になるかもしれない。


等間隔運転にするためか、
すれ違い設備は停留所に関係なく設置されている。

電車は私を含めて10人ほどの客を乗せて走り出した。女子高生から老婆まで、私以外はほとんど女性である。男性は車を使うだろうから、男の客は珍しいと思う。しかし私は大きめのデジカメを持っている。着飾る風でもなく、ひと目で電車好きだとわかる格好だ。唯一の男性を気にかける女性はいない。むしろ、うっかりカメラに写されないように、無関心に努めているのだろうか。

万葉線は全線が単線で、線路は道路の中央分離帯の役目も果たしているようだ。道路の幅員が広いところにすれ違いの設備があるけれど、そこに停留所はなく、道幅が狭まったところに停留所がある。列車の本数を増やすため、あとから道路の拡張とすれ違い設備の設置を作ったのかな、と思う。停留所でもないところですれ違うとすると、電車はそのぶん停車回数が増える。乗客にとっては我慢を強いられる。しかし、すれ違い設備を等間隔に設置することで、15分間隔の運行がきちんと守られる、頼もしい交通機関だ。

住民の足として君臨する万葉線は、廃線の危機を脱して再生された好例である。この路線は元々富山地方鉄道が建設、運行し、後に子会社の加越能鉄道に譲渡された。加越能鉄道は加賀、越中、能登を結ぶという大きな計画のために設立された会社だが、モータリゼーションが始まるとバス事業に傾倒し、鉄道路線を廃止していく。

加越能鉄道は、最後まで残していた万葉線も廃止する方針を打ち出したが、これには沿線住民が待ったをかけた。地元の商店主たちを中心に存続のための協議会が発足し、第三セクター化への働きかけを始める。万葉線がなくなれば渋滞する道路だけが残る。駅前を開発しても、膨大な収容台数の駐車場が必要になる。協議会は、税金の投入となる鉄道支援に反対する人々を説得した。それだけではなく、ひと口5万円で出資金、寄付金を募った。

こうした活動が自治体を動かし、第三セクターの万葉線株式会社が発足した。しかも他の第三セクターと違い、市民が出資し、経営に参加する。経営は厳しいらしいが、新型車両の投入、停留所の追加などの策により、利用者は増えているという。富山港線の再生計画も、万葉線の事例があればこそ、と言えそうだ。

電車は米島口を発車すると右に曲がり、専用軌道に入った。高岡駅前から乗っていた人々は、路面区間でほとんど降りてしまった。勾配を上ると氷見線の線路をまたぐ。次の能町口を出ると再び道路併用軌道に戻り、工業地帯になった。このあたりは小矢部川と庄川に挟まれた中州にあたり、氷見線から分離した貨物線が平行している。物流はJR、通勤は万葉線、という棲み分けになっている。


庄川を渡る。

海に突き当たった電車は右手の工場の敷地に沿って東へ曲がる。インターネットで得た知識によると、この工場は世界で唯一、摂氏2000度の電気炉を有し、航空機の部品の素材を作っているそうだ。しかし乗車当時の私にそのような知識はなく、建物にもそれをアピールする文字はなかった。大きな工場があるな、と思っただけだ。知っていれば誇らしい気持ちで眺められたに違いない。

長い鉄橋で庄川を渡った。海沿いの地域だが車窓から海は見えない。車窓に空き地が増え、高い建物も少なくなって、空が広く見えている。潮風が入り込めば海が近いとわかるのだが、あいにくこの電車は乗ったときから潮臭い。私の嗅覚は麻痺している。

空き地と細い道に沿って走ると終点の越の潟駅だ。正面に富山県営渡船の乗り場がある。昔はここから先も線路が延びていたが、入り江を切り開いて富山新港を作ったときに線路と道路は分断された。そこで運河を横断する形で県営渡船が橋渡しをしている。県道を補完する役割のため料金は無料である。線路をつぶして船の航路を造るとは珍しい。乗ってみようかと思ったけれど、私が好きな鉄道を潰し、私の苦手な潮の香りに包まれると思うと気が進まない。対岸に鉄道があれば、渡し船による乗り継ぎも楽しいだろう。しかし、あちらはとうの昔に撤去されてしまった。


無料で乗れる県営渡船。

まだ明るいが夕方である。私はそろそろ東京への帰路につかなければならない。これから5時間の列車の旅。気が遠くなりそうな行程だ。しかし、私は思い出した。北陸フリーキップのグリーン車版の権利を行使して、帰りのはくたか号と新幹線はグリーン車を確保していた。帰り道はゆったりくつろげるな、と思ったとたん、再び睡魔が訪れた。私は座る場所を求めて、路面電車に引き返した。

第95回以降の行程図
(GIFファイル)


2005年2月26-27日の新規乗車線区
JR:150.5Km 私鉄:181.2Km

累計乗車線区
JR(JNR):16,016.8Km (70.42%)
私鉄:3,537.3Km(53.71%)