加太線で和歌山市駅に戻る。さっき出発したホームと同じところに着く。ここは和歌山港線と共用のホームだから前方に向かって歩いていく。私が調べた日程では発車時刻の14分前である。しかし電車はまだ入っていない。電車を待つお客さんもいない。そんなに閑散としたローカル線なのだろうか、とホームの時刻表を見ると、私が調べた列車の時刻が書かれていなかった。
日程作成で時刻を間違えたのだろうか。今日は土曜日だが、平日の時刻表を見てしまったのかもしれない。さてどうしよう、と思案していると駅員が通りがかり、次の電車はこっちじゃないよ、と教えてくれた。次の電車は難波から和歌山市まで直通する特急電車で、長い編成だから本線用のホームを使うのだ。日程を作ったときに知ったことだけれど、すっかり忘れていた。私の日程表には駅と時刻しか書いていなかった。今後はもっと詳しく書こうと戒める。
定刻通り特急『サザン』がやってきた。8両編成のうち4両が座席指定車で、後半の4両が自由席だ。私は自由席に座った。たった4分の乗車で指定席券を買う必要はないし、ほとんどのお客さんは和歌山市駅で降りてしまった。座席指定車のほうは窓が大きく座席も上等で、こちらは通勤電車である。それでもこちらは空いているから、長椅子に足を投げ出して楽な姿勢になった。
河口沿いの旅が始まる。
和歌山市は人口約39万人。紀ノ川の下流に広がる和歌山平野の中心である。温暖で水利が良く住みやすい地域だ。のんびりした風土のせいで争いも少なかったのだろう。戦国時代のこの地には有力な大名がいなかった。人々は強健の支配に置かれることがなく、他の土地に比べると自由に暮らしていたらしい。しかし、戦乱の世に豊臣秀吉がここを征服し和歌山城を築く。海外への野心を抱いた秀吉にとって、ここは重要な拠点だったからだ。
紀ノ川の上流は吉野川と呼ばれている。奈良県の吉野は伊勢街道の終点で、奈良からは真南の位置にある。紀ノ川は和歌山と奈良、吉野、伊勢を結ぶ重要な物流ネットワークだった。吉野川、紀ノ川ルートは、海に到達して淡路島、四国への海運にも繋がる。大和盆地に成立した政権の時代から、和歌山港は川船と海船の荷役の拠点だった。秀吉が着目した和歌山の重要度は徳川家も認めており、家康の十男、頼宣が藩主として着任している。頼宣は力を付けて紀州徳川家を興し、尾張、水戸と並んで徳川御三家と呼ばれた。
現在の和歌山市はものづくりの街だ。鉄鋼、化学などの重化学工業地域と繊維、皮革、木工などの軽化学工業が集まっている。しかし、工業地域が沿岸部に集中しているためか、鉄道で旅をしている限り、工業地帯という印象は少ない。南海本線の車窓は和歌山市に至るまで緑が多く、加太線にしても住宅地を通り抜けて山間に入って漁港に至る、という雰囲気だ。工業地帯とは遠い印象である。
しかし、和歌山市から和歌山港に至る和歌山港線は紀ノ川の河口に沿って走るから、工業地帯を間近に見せてくれるはずだ。緑の豊かな車窓には癒されるけれど、それも長く続けば飽きてくる。都会に住む人が旅先で工業地帯を見たいとは妙だと思うけれど、どんな風景であっても、初めて乗る路線の車窓は楽しみだ。はたして、和歌山港線はどんな風景を見せてくれるだろう。
電車がゆっくりと走り出す。予想通り広い河口に沿って走っている。発車してしばらく走り、水路を渡ると久保町駅。この電車は特急だから通過する。また水路を渡って築地橋。ここも通過。次の築港町も通過した。この二駅は水路に囲まれた島のような場所にある。文字通り築いた地である。鉄道の利用客は少なく、日中は1時間に1本しか停まらない。朝夕も通勤時間帯でも30分に1本だ。客が少ないから列車が少ないのか、列車が来ないから乗らないのか。どちらが原因か解らないけれど、両駅とも1日の利用客は200に満たないので、久保町も併せて廃止されるという噂がある。
河口大橋が見えた。
真っ赤なアーチ橋が見えた。地図を見ると紀ノ川河口大橋とある。その橋の向こうは住友金属の工場で、さっき加太線の車中から見えた風景を反対側から眺めたことになる。そう思うと、この工場の規模の大きさに感心する。こんなに大きな工場で作るものは、やはり船で輸送するしかないのだろう。日本の加工貿易の発展と海運は強く結びついているのだと実感する。
アーチ橋が後方へ流れると、電車はすこし左へカーブして和歌山港駅に着いた。高架駅で見晴らしがよさそうだが、電車が景色を遮っている。座席指定車を検分しつつ前方へ歩いていく。線路の端が見えた。かつてはここからひとつ先まで駅があったけれど、2年前の5月に廃止された。もっと早く完乗への旅を再開していたら乗っていたはずだ。悔やんでも仕方ないが。
行き止まり。
ホームの先端から港が見えた。南海のフェリーが泊まっている。和歌山港から徳島まで12往復の便がある。本州から四国へは瀬戸大橋経由が知られているが、関西の人々にとってはこちらのフェリーが古くから親しまれていた。自動車やバイクで旅する人にとっては、通行料が高額な瀬戸大橋よりも人気のある路線だ。
せっかくだから港へ行こうと思った。駅を出て、案内看板にしたがってブリッジを歩いていくと、小さな切符売り場と改札口がある。そこから先は船の利用者しか入れないらしい。ブリッジからは景色が見えないし、ここから先には行けないので、仕方なく同じ通路を戻る。帰りの列車をホームで待っていると、低い汽笛が響き、フェリーがゆっくりと動き出した。
徳島へ向けて船が出ていく。
-…つづく