こんど休みができたら北陸へ行こう、と思っていた。相変わらず越美北線の復旧の見通しは立たない。しかし一方で、のと鉄道は来年3月に廃止される。いま乗っておかなければ、と焦っている。そしてようやく、2日くらいは休めそうだ、と見通しが立った。わずか2日間を有効に使うには、前日の夜遅く旅立ちたい。上野から寝台特急『北陸』に乗れば、金沢に朝6時23分に着く。
前日に金沢入りして泊まるという予定は立ちにくい。しかし、翌日に東京を朝早く出ても、鉄路なら金沢着は昼ごろになり、飛行機でも9時をすぎる。その行路も楽しいだろうけれど、やはり目的地では朝一番から動きたい。そんな旅をする者にとって、夜行列車は都合がいい。そして夜行列車ならではの楽しみがある。街の灯が流れる車窓、枕元に響くレールの音、そして夜明け……。ひたひたと心に満ちていく旅情と哀愁。夜行列車こそ旅立ちにふさわしい。私は北陸のローカル線を巡る旅の予定を作り始めた。
時刻表をめくり始めたとき、部屋がかなり揺れた。東京にしては珍しく大きな揺れだった。2004年10月23日夕刻。テレビニュースではその揺れの震源地を新潟県だと報じた。すでに日が落ち、暗くなっているため被害状況は掴みにくいと続報する。東京はかなり揺れた。それが新潟から伝わったとすると、新潟の揺れはかなり大きいだろう。そして翌朝。ニュースは多大な被害と、上越新幹線の脱線、上越線の不通を報じた。復旧の見通しは立たない。
これで私の北陸紀行の経路は断たれた。新潟と金沢は離れているけれど、寝台特急『北陸』は上越線を走る。私の旅程は『北陸』で出発するという前提で作られていた。『北陸』では行けない。ならば米原経由はどうか。空路はどうだろう。関越道は使えないが、迂回するルートの夜行バスだってある。しかし、どれも魅力的には見えなかった。離れているとはいえ、北陸と中越は近い。たくさんの人々が苦しむそばで、物見遊山の旅とは気が重い。北陸紀行は上越線の復旧と『北陸』の運行再開まで延期しようと決めた。
さて、北陸行きは延期したけれど、休みは確保したままだ。忙しく働いたことだし、旅に出たいという気持ちは残る。ではどこへ行こうか。私は乗車済み路線を黒く塗りつぶした地図を開き、未乗路線を眺めた。そのうち、黄色い蛍光ペンで塗られた路線に注目する。これは廃止予定、または廃止論議が起きている路線だ。のと鉄道が黄色い。その回りのJRのローカル線も黄色。北陸新幹線の開業時に切り捨てられるという噂がある。宮城県北部のくりはら田園鉄道、長野の上田交通別所線、そして南海貴志川線、阪堺電鉄……。
私の旅の目的地選びは、このような廃止対象路線が上位である。今しか乗れないから乗っておきたい。それだけのことだけれど、路線廃止のニュースは止まないから、結果的にいつも廃止予定路線ばかり乗り歩くことになる。鉄道趣味人のコミュニティでは、そんな旅ばかりする人を
"葬式てっちゃん" と呼ぶらしい。縁起でもない。存続を願う人々にとって悪魔や死に神のように思われそうだ。しかし目的地を指す指先は、確かに死に神の品定めのようである。
もっとも優先させるべき路線は、来年10月の廃止を国交省に届け出た南海貴志川線だ。そこに目をやると、阪堺電鉄堺市内線も近い。阪堺電鉄は都心の天王寺から大阪市を南下する路面電車で、不採算の堺市内部分について、堺市の支援や買い取りを持ちかけているらしい。"もうやめます"ではなく"買うてぇな"という感じが受け取れる。いかにも商人気質の関西らしい展開だ。
死に神はこのふたつの路線を目的地に決めた。大阪へは夜行で行く。寝台急行『銀河』は東京発23時00分。大阪着は7時18分。前日までフルタイムで働いて、夜に移動し、大阪では朝から行動できる。新幹線や飛行機ではできない芸当だ。夜行バスを使えば大阪に6時台に着けるし、運賃も安いけれど、もともと『北陸』に乗るつもりだったから寝台列車にこだわった。和歌山で一泊する予定だ。
切符を手配しようとしたのは出発の1週間前だった。私の仕事はスケジュールが読みにくい。著述業独特の、書き始めてみなければ終わる見通しが出ない、という事情もあるし、取引先の日程にも合わせる必要がある。2日間、本当に休めそうだなと確信できたから、最寄りの駅のみどりの窓口で切符を申し込んだ。ブルートレインブームがとうの昔に過ぎ、上野発北海道行きは人気があっても、東京発の寝台列車はガラガラだと聞いている。時折、寝台列車を見かけるけれど確かに空いている。そんな状態だったから、急行銀河など、いつでも簡単に乗れるだろうと思っていた。
「満席ですねぇ」
窓口氏が気の毒そうに言った。驚いて聞き返すと、
「金曜夜発はお客さんが多いんですよ。でもキャンセルが出るかもしれないから、来週、また来ていただけませんか」
とのことであった。寝台列車の需要が薄いとはいえ、新幹線の最終より遅く出発し、飛行機より速く着く『銀河』は、単身赴任、週末の旅行の足として大人気であった。鉄道好き、寝台列車好きとしては喜ぶべき情報だ。家に帰ったらBBSに書き込んでみんなに知らせよう、と思った。しかし私の旅はどうなるのだろう。
今年は天災の多い年で、しかもそれが私の旅に影響を与えている。私は伊豆急行の車窓から見た台風被害の状況を思い出した。北陸へ行こうとすれば地震で断たれた。『銀河』の満席は天災ではなく人災だが、どうもツキに見放されている。きっと天罰だ。神が死に神の行脚を妨げているに違いない。
私は出発当日のキャンセル待ちに賭けた。その日、東京駅構内のホテルで記者発表会がある。それが旅立ち前の最後の仕事である。
-…つづく