会津高原駅着10時23分、発車は同24分。浅草からここまでやってきた電車は、ほかの駅と変わることなく会津高原駅を後にする。しかしこの駅は野岩鉄道と会津鉄道の境界になっている。見かけは1本の路線だから、わざわざ別会社にする必要はないと思うけれど、それぞれの路線の成り立ちが違う。会津鉄道は旧国鉄会津線であり、当時の駅名は会津高原ではなく、会津滝ノ原だった。
私の記録では1984 (昭和59)年にここを訪れている。20年ぶりの再訪になるわけだが、何も思い出さない。もっとも、第三セクター化にともなって、大幅な合理化が行われ、当時とは様子が違うかもしれない。まっすぐ走ってきた線路が、駅にさしかかると少しホーム側に寄る。駅を出るとまた戻る。妙な構造だが、以前は列車のすれ違いができる設備があって、片方だけ撤去された結果である。
紫陽花が咲く駅。
会津鉄道、旧国鉄会津線は、野岩鉄道と同じく大正時代に計画された路線だ。そのうち会津高原までが国鉄会津線として開業した。現在は会津鉄道も野岩鉄道も第三セクターだし、列車の乗り入れも行われている。いっそ統合すればスッキリすると思う。しかし、会津鉄道は福島県のみ、野岩鉄道は福島県と栃木県が出資しているから、なにかと都合が悪いのかもしれない。
列車は会津高原の手前から福島県に入っている。トンネルを抜けるたびに雲が増えて、ときどき雨がぱらついている。紫陽花が咲く駅があり、梅雨らしい光景に少し和んだ。ところがこの頃、福島と新潟の県境付近では集中豪雨だった。のんびりと旅を続けている私たちは、後に豪雨の影響を受けることになる。
途中の駅で浅草行きの電車と交換する。「こんなに遠いところから、浅草まで乗り換えなしで行けるんだね」とMさんが言う。浅草から会津田島までは約190km。東京の私鉄ではもっとも長距離を走る列車で、乗っただけでも話の種になりそうだ。もう少し走れば会津若松で、浅草から会津若松へ東武の特急電車『スペーシア』を走らせれば人気が出そうだけれど、残念ながらそれは無理。会津田島駅から先は非電化区間で、電車は乗り入れできない。
浅草行きとすれ違う。
田島の歴史は鎌倉時代にさかのぼる。源頼朝の家臣長沼盛秀が鴫山城を築いてから栄えたところで、江戸時代は西会津街道の宿場町として賑わった。人口1万3000人。農業と観光の街で、首都圏にはアスパラガスとかすみ草を出荷する。5月から10までは駒止湿原へのハイキング客が訪れる。会津高原から入る尾瀬は有名だが、その先の田島から入る駒止は、自然散策の隠れた名所と言えそうだ。
リュックを背負った人々が改札を出ていく。列車を乗り換えて先に向かう客は私たちだけだった。次の列車は快速『AIZUマウントエキスプレス』で、西若松から磐越西線に乗り入れ、会津若松経由で喜多方まで走る。この列車には珍しい車両が使われている。かつて名古屋鉄道で特急列車『北アルプス』に使われたディーゼルカーだ。
特急北アルプスは、名鉄の新名古屋から鵜沼、さらに美濃太田からJRの高山本線に乗り入れて富山、立山を結んだ列車だった。この車両は名鉄が非電化区間の高山本線に乗り入れるため、1991年に作ったディーゼルカーだ。しかし10年後の2001年に廃止。まだ活躍できる車両の行方が注目されたが、会津鉄道に引き取られた。窓の隅が丸くなっていて、これが名鉄の車両の特長である。
元名鉄の特急用車両が転籍した。
『AIZUマウントエキスプレス』は、ほとんど改造されずに会津に来た。ここでは特別料金不要の快速列車として使われているが、室内は元の特急仕様のままだ。窓は大きく、座席はリクライニングする。私たちは先頭車両の一番前に陣取った。Mさんが先に行き、続いてTさんが運転席の後ろを獲得する。私よりもバイク組のほうが楽しんでいるように見える。たまには列車の旅もいいね、と楽しそうだ。退屈されるのではないか、という心配は取り越し苦労に終わった。
Bさんは改札係の女性と話し込んでいる。Bさんとは一回り年上だろう。「まめだねぇ」、「ああいうタイプが好みなのか」と3人で窓越しに言いたい放題だ。しかし本人は私の取材の手伝いでインタビューしたつもりで、「この路線、赤字でタイヘンらしいよ」と報告してくれた。「そんなこと訊いちゃったの」、「いや、訊いてないけど、向こうから教えてくれたんだ」。
国土交通省の発表によると、会津鉄道は平成14年度に1億8,500万円の経常赤字となっている。第三セクターに転換する際に交付された経営安定化基金の残高は5億円で、このまま取り崩していけば来年あたりに存廃論議が起きそうな気がする。しかし、福島県の沿線自治体はディーゼルカーの『AIZUマウントエキスプレス』を浅草まで乗り入れたいという要望があるらしい。東武鉄道が受け入れるかどうかは不明だが、自治体は鉄道を活かしたい方向のようだ。
途中の駅で各駅停車とすれ違う。最近導入された新車で、車体には野口英世の顔と、なにやら文章が書かれている。野口英世は会津出身で、文は英世の母が留学中の英世に書いた手紙だ。愛情が籠もった文章と筆跡に、独特の凄みがある。そしてなぜか耳なし芳一の怪談話を連想した。お経を書けば取られない、という物語から、呪文を書けば路線廃止から逃れられる、という"祈り"を感じた。
野口英世がトレードマーク。
田園風景を映した窓ガラスに、ときどき雨粒が当たっている。SLの旅は雨になるのかもしれない。「やっぱり電車で来てよかった」とバイク組が言う。私は雨の風景も悪くないと思うけれど、SL列車では窓を開けたい。煙の臭い、汽笛、機関車の駆動音は、窓を閉めたら楽しめない。空調の効いた特急車両の車内は静かで、ようやくSLを観られるという期待と、雨天への不安が入り交じる。風情のある車窓を見ても、空の明るさと、山の上の雲が気になる。
12時ちょうどに会津若松に到着。SL列車はここから出発するけれど、私たちはこのまま『AIZUマウントエキスプレス』で喜多方まで乗り通す。SLが走る姿を見たいから、新潟から会津に来るSLを喜多方まで迎えに行こうと思っている。
-…つづく
第62回~ の行程図
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