今日は河津からバスで天城峠を越え、修善寺から伊豆箱根鉄道に乗ろうと思っている。河津は下田から三つ戻った駅で、中伊豆方面のバスの拠点となっている所だが、駅前は閑散としていた。お目当てのバスの発車まで約30分。洒落た造りの小さな商店街を散歩し、肉屋でコロッケと"あんかけメンチカツ"をつまむ。昼時をだいぶ過ぎたせいか冷めていたけれど、あんかけメンチの濃い味に白いご飯が恋しくなる。
指についたソースをなめながら駅前に戻ると、わさび漬けの専門店があった。伊豆は天城山より湧く清流に恵まれ、ワサビ栽培の好適地である。包装紙に凝ったお土産用の箱の隣に、自分で食べるための簡素な"家庭用"が並んでいる。中身はどちらも同じだという。家庭用をひとつ、のりわさびせんべいをひとつ買うと「今夜のお食事にどうぞ」と、大さじ1杯ほどのわさび漬けをくれた。ますますご飯が恋しくなる。
ボンネットバスで修善寺へ。
修善寺行きのバスの乗り場は私しかいない。このバスは、伊豆観光のパンレットに必ず掲載されているほど有名だ。しかしこの有様はなんとも寂しい。台風で観光客が減ったのかもしれない、いや、川端康成の小説と同じように、修善寺からこちらへ向かうバスのほうが人気があるのかも、そんなことを考えるうちに、懐かしいボンネットバスがきた。東海バス『伊豆の踊子』だ。ボンネットバスも珍しいが、車掌が乗務する路線バスも珍しい。その車掌が女性というのも珍しく、しかも着物姿で踊子に扮している。今風に言えばコスチュームプレーヤーである。
運転手と踊子車掌はバスを降り、案内所で休憩している。踊子車掌はときおり咳をしている。風邪を引いたかね、と案内所のおばさんが労っている。そんな会話を聞きながら、バスをじっくり眺めた。いすず自動車の古いロゴ、ずんぐりした車体、等間隔で並ぶリベット。レトロ調の艤装ではなく、本物のボンネットバスである。
車内に説明書きがあった。車両形式はいすずBXD30、1964(昭和39)年から1969(昭和44)年にかけて納車された5台のうちの1台だ。日本が経済大国に名乗りを上げる
"いざなぎ景気" のころである。急増する観光客に対応させたのであろう。エンジンは87馬力で、現在の自動車の性能から見ると非力な印象だ。しかし伊豆の山間を走るための特注車と言うから、当時としては高性能車だったはずだ。丸みのある車体の造形は、熟練工が叩き出したものだろうか。
発車直前、バスのファンが現れて、休憩中の運転手にいろいろ話しかけている。全国のボンネットバスの情報を披露しているようで、運転手が苦笑いしながら応対している。それを盗み聞きすると、このボンネットバスが河津-修善寺間を走るのは今日が最後になるらしい。長距離の山岳ルートは老体に厳しく、もっと短い路線に転用して、長持ちさせようということらしい。かねてより伊豆の旅を計画するときに、伊豆急から伊豆箱根鉄道を乗り継ぐルートとして『伊豆の踊子』号を楽しみにしていたから、これは幸運なことであった。
踊り子姿の車掌が乗務する。
ファンとの応対が長引いたせいで、発車が少し遅れた。バスはブルルン、ガリガリガリという懐かしいエンジン音を響かせて走り出す。私は最後部の一段上がった席を占領した。小さい窓が現像後のフィルムのようにつながっている。ここならすべての窓が見渡せる。バスマニア氏が最前列に座り、3人ほどの所用客が中央に座った。踊り子は運転席の左隣に立っている。立っているというより両手を広げて掴まって踏ん張っている。体力を使う仕事だ。
海を背に山道を行く。国道414号線に入るとさらに道が険しくなる。踊り子さんは黙っている。観光ガイドのような語りはなく、車掌乗務に専念しているようだ。彼女が観光ガイドをすると、観光バス業者が困るのかもしれない。しかし愛想は悪くない。降りる客を笑顔で送り、乗る客を礼で迎える。ただ、お客の席へ切符を売りに来るときの表情は真剣だ。バスに揺られながらお金のやりとりをしなくてはいけない。そして先頭に戻ると、メモを書いて運転席に挟む。お客が降りる停留場を知らせるのだ。このバスには案内放送も下車通知ボタンもないからである。
正面に巨大な螺旋状の道が現れた。険しい天城峠を越える秘策、河津7滝ループ橋だ。いよいよ天城峠に入るのか、と思うと、橋を潜って温泉場の停留所に停まった。ひとり乗って、また橋の袂に戻り、進むべき道を探すように左右に曲がってからループ橋を登り始めた。この橋の高低差は70メートルで、20階建てのビルに相当する。カーブの半径は40メートルと小さく、目が回りそうだ。しかし地上から橋までの車窓の変化はおもしろい。霧に包まれた山の稜線にどんどん近づいていく。
ループ橋で天城越え。
橋を渡るといよいよ峠道だ。相変わらず踊り子は両手を広げて踏ん張っている。それにしてもこのバスはよく揺れる。窓を眺めていれば気にならないが、カメラのファインダーを覗くと構図が定まらない。2ヶ月前から使い始めた私のデジカメは手ブレ補正機能がついているけれど、こんなに揺れては効果がない。撮影はあきらめて、景色を眺め、揺れに身を任せた。その景色がだんだん霞んでくる。霧、いや雨雲の底に入ってしまったのかもしれない。
天城峠、という名のバス停を通過した。まわりに建物などが見あたらない。どんな用の客が居るのだろうか。そんなバス停がいくつもある。乗降客はいないからバスは通過する。ドライブインのような所には人が多い。しかし、バス停に客はいても、このバスに乗る人はいない。やはり修善寺から南下するコースが定番なのだろう。観光客が古いバスと踊り子に注目し、白人の青年が写真を撮った。
峠を越えて下り坂になって、やっと晴れた。バスの車内に日光が斜めに差し込んで、白いシートカバーや鉄の部品を輝かせる。踊り子の黄色い服が眩しいほど際だって、両手を広げた姿に神々しさが加わった。雨上がりのせいか、見えるものすべてが鮮やかだ。道ばたの木陰に一瞬のきらめき。それは山葵畑の水の流れだった。
午後の陽射しが踊り子を引き立てる。
-…つづく
第74回~の行程図