第250回:日本的な値段とブランド志向
日本に行くたびに感じることですが、日本は本当に豊かな国だなあ~、お金持ちの国だな~、と思ってしまうのです。
もっとも、私がアメリカの田舎の大学町に住み、突然、日本の大都会に出向くせいで、田舎と都会の生活の差だけのことかもしれません。また、何度も日本に行ったといっても、所詮、そこに生活の基盤を持たない一旅行者としての印象にすぎないのかもしれません。
築地の魚市場は、世界的に有名な観光地になっています。もう一歩で世界遺産(?)になるかもしれないのに移転するのは残念です。私も東京に滞在するときは必ず築地でお鮨を食べます。
自他共に認める味音痴の私ですが、築地界隈のあのゴチャゴチャした狭い小路に並んだ、屋台のようなお鮨屋さんで食べるお鮨は一味違うように感じます。雰囲気が味に大変大きな影響を与えることを認めるとしても、ウーム、日本に来たと思わせる味なのです。
築地の話でしたね。初競りで青森県大間で獲れた本マグロが一本5,649万円で競り落とされたニュースが伝わってきました。一匹の魚がそんなとんでもない値段で取引されたことに驚かされます。
なんでも、この本マグロ(なんだか、"本"などと言われると、私たちが食べているマグロは"ニセ"マグロかなと思いたくなりますが)余りに高価なので、銀座のお鮨屋さん"今田"と香港のリッキー・チェンさんとで半分づつに分けたそうです。
そういえば、夕張メロンも2個で250万円の値段がつきました。 一体、大間産本マグロのお刺身、お鮨を"今田"で食べ、デザートに夕張メロンを取ったら、いくらくらいの請求書が回ってくるのかしら。食べ物にそんな価値があるのかしら……とそんなことを考える人には、一生、賞味するチャンスはないのでしょうね。
これが、セザンヌ、ピカソの絵のようにゲージュツ的付加価値が絶大で、投資の対象になりえるモノなら、それなりに私の理解の範疇に収まるのですが、食べ物で一旦喉を通れば、後は消化されるだけのことで、そのために長生きできるとか、若返るとか、ガンが治るのわけではないのです。
ランチタイムメニューは安くて、おいしくて、それなりのボリュームもあり、追い立てられるように素早く食べなければならないことだけが欠点とはいえ、日本に行くたびに、大変お世話になっています。
ところが、チョット気取ったレストラン、料亭に、めったにそんなチャンスはありませんが、招待されて行くと、値段の高さは腰を抜かすほどです。
日本的フランス料理や懐石料理などは、メニューに"時価"と書かれているだけです。メニューに書かれた前後、左右の価格から想像するに、私の月給くらい簡単に飛んでしまうことでしょう。
そんなグルメ競争に中国も加わり、香港のワインの競りでの売り上げ総額は6億4千万円相当でしたし、1787年の「ラフィネット」が10万5千ポンド(1千4-5百万円くらいになるのかしら)で競り落とされたりしています。
ウイスキーやコニャック、日本酒、しまいには焼酎までブランド志向が及び、一本3万円、5万円の値段が付いたりしています。こんな現象はチョット他の国では見られないでしょうね。
食べ物、飲み物にうるさい南ヨーロッパの人たちなら、その差にそれだけ払う価値あるのかどうかを考えるでしょうね。そして日本人や中国人に馬鹿高値で売りつけたワイン、コニャックとほとんど変わらないか、全く同じ味、同じ品質でラベルなんか貼っていない、大きな樽から持ち込みのビンで量り売りで買うようなワインを見つけ、毎日毎日、堪能していることでしょう。
一本1万円のヨウカン(羊羹)と聞いても誰も驚かないのが日本です。
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