第234回:贈り物文化の日本
いつも日本に行くたびに困るのは、持っていくお土産です。アメリカにはロクなお土産がありませんし、数は少ないけど、地方の特産、名産があるにはあるのですが、少し有名になると、全国どこのスーパーでも買えるようになり、地方性がなくなってしまうのです。
それに毎年のように日本に行くと、もうお土産のアイディアが枯れてしまい、マー、数年前の繰り返しでいいか……と妥協してしまいます。それに、日本にはもっと良い物がたくさんあるという事実の前に、こちらから持っていくものが、なんだかみすぼらしいことになってしまうのです。
そこへいくと、逆に日本から持って帰るモノ、土産だけではありませんが、自分用のモノまで買い込み、いつもスーツケース満杯で帰ってきます。
外国人がなかなか馴染むことができない日本の習慣の一つは、数多い、お土産、贈り物の習慣です。古い文化的背景を持つ贈答が多いのは分ります。しかし、それが多分に形式化した"見栄"に見えてしまうことがあるのです。
日本に住んでいたときも、随分たくさんの贈り物をもらいましたが、それに対し私がした贈り物はホンノ微々たるもので、今思い起こすと、頬が赤くなります。ガイジンだから大目に見てくれるだろうという甘えがあったように思います。
それにしても、日本の贈り物の習慣は文化と呼んでもいいくらい、多岐にわたり、その上数も回数も多く、経済的にも、心理的にも大変なことだと感じさせられます。
まず、お正月のお年玉合戦に始まり、暑中見舞い、お歳暮の定期的な贈答があり、それに加え、外来種のクリスマス、バレンタイデーなども割り込み、また、近くに子供が生まれれば、出産祝いに始まり、七五三、入学祝、卒業祝、成人式、結婚、修学旅行のお小遣い、入学試験の合格祝、新築祝などなど。
歳を取れば取ったで、還暦、喜寿、米寿のお祝い、お葬式、さらに死んだ後でも、何回忌とか、命日があり、習い事でもしていれば、その発表会にお祝いを包み、誰かを訪問する時には手ぶらでは行かず、必ず「ツマラナイものですけど…」と、何か手土産を持って行き、たとえ短い旅行でも、お土産を持って帰り、配り、いやはや、疲れます。
贈答品にもランキングがあるようで、アラブの国の王様は、結婚式の引き出物にロールスロイスとか、豪華ヨットを配ったそうですが、さすがに日本ではそこまで行っていないようです。でも、会社の上司、取引のある会社の関係者には、自分の部下や身内の者より、お歳暮に立派なモノを贈るのではないのかしら。
それだけでなく、"お返し"が待っています。結婚式には"引き出物"(どうにも実用的でない、形ばかりのモノが多いようですが…)、お葬式にも参列した人全員に何かを手渡す……となると、"ポトラッチ(贈り物合戦;*注)"の伝統を一番良く守り、その現象が顕著に残っているのは日本ではないか……と思いたくなります。
モノゴトが行き過ぎると必ず反動が現れます。日本で、一切、冠婚葬祭、贈答をしない…と宣言し、実行している人が増えている……と何かで読みました。ウーム、さもありなん。
でも、ホンノちょっとした贈り物は、人の心を和やかにしてくれます。
私たちが結婚したとき、前史以前の昔ですが、貧乏でしたから、結婚式のアナウンスは手書きして、それをゼロックスコピーして郵送しました。田舎の教会を借り、その地下にある台所で、親しい叔母さんたちがクッキーを焼いてくれ、それに自家製のりんごサイダーだけでした。
その時、素朴なことをやたらにありがたがるクセのあるウチの仙人(その時はまだ仙人になっていませんでしたが)をえらく感激させた贈り物は、グレープフルーツでした。私たちと同じくらいか、それ以上に貧しいおばさんが、むき出しのままグレープフルーツ2個を、「これテキサスの実家から送ってきたの、とてもおいしいわよ」とプレゼントしてくれたのです。他にもたくさん小さな台所用品などを貰いましたが、未だに忘れられないのがこのグレープフルーツです。
新婚旅行なんてものじゃなかったですが、日本に向かう途中、ロス・アンジェルスの安モーテルで食べたそのグレープフルーツのおいしさは、未だに二人の語り草になっています。
*注:ポトラッチ_太平洋岸北西部インディアンの重要な固有文化で、裕福な家族や部族の指導者が家に客を迎えて舞踊や歌唱が付随した祝宴でもてなし、富を再分配するのが目的とされる。(Wikipediaより)
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