第91回:英語にはない『反省』という言葉
更新日2008/12/18
アメリカの三大自動車メーカーの社長さんたちがワシントンまでやってきて、政府にお金を出してくれと頼んでいます。政府が莫大なお金を出すことが、良いのか悪いのか経済音痴の私にはわかりませんが、このところ新聞、テレビのトップニュースはその話題ばかりです。
その3人の社長さんたちの態度はもし即急にお金をくれないなら、関連企業を含め200万人くらい失業者出る、もし自動車産業が潰れるなら、アメリカ全体の経済大恐慌が起る、それでもいいのかと、まるで政府、議会を恐喝しているようにさえ見えます。彼らに自分たちがどうして失敗したか、なぜこんな天文学的な負債を抱えることになったか、なぜアメリカの車が売れなくなったのか、会社が潰れる一歩手前までなぜ事態を放っておいたのか、などの反省の色は全くありません。
日本語にあって英語に訳しようがない言葉はたくさんありますが、『反省』という言葉もその一つです。言葉がないということは、そのようなコンセプトが英米人にないか、あっても非常に特殊なケースだということになります。和英辞典で引いても出てくるのは、"reflection"
"introspection" "reconsideration" "on
second thoughts"くらいでしょうし、いずれも自分のことをへりくだって、間違いを素直に認めることを基点にして、そこから次の段階ではどうしたら良いのかという問いに結びつく「反省」という日本語の語感から程遠いものです。
チョットしつこくなりますが無理して英語で言えば、"consider
what you could have done better"となるでしょうか。
30年も前になりますが、スペインにしばらく住んでいたことがあります。マドリッドの地下鉄がまだ鉄の箱だった時代です。混みあった地下鉄でジプシーの子供たちがよく物乞いをしていました。
ドアが閉まると地下鉄の騒音に負けない立派な声で、「セニョーレス、セニョーラス、ダンナ様に奥様方、私は8人兄弟がいて、お父さんもお母さんの失業中です。こんな物乞いなどはしたくないけど、人から物を盗むよりはましだと物乞いしているのです。どうか僅かなお恵みを、神様のお加護が貴方様にありますように」と叫び、プラスチックのボールを持って車中を回るのに出会い驚いたのを覚えています。
しかも、兄弟が12人になったり、お父さんが刑務所に入っていたり、病院に入っていたりするバリエーションで次から次へと何人もジプシーの子供たちが、前口上ヨロシク地下鉄に乗り込んでくるのです。変わらないのは泥棒するよりは物乞いをする、と言う口上です。
この口上の殺し文句は、「もし、お前たちがお金をくれないなら、盗みに走るぞ」という下りです。アメリカの三大自動車会社の社長さんたちと着ているものはかなり違いますが、ジプシーの子供たちが言っていることや態度と同じように思えます。
日本でなら三役揃い踏みよろしく、深々と頭を下げ、国民の税金をこのような形で使うのは申し訳ないとか、不徳の致すところでなどと言うところでしょうけど、アメリカの三大自動車会社の社長さんたちはもちろんそんなことは一言も言いません。
西欧の社会では、人前で自分の弱点を認めることは、自分に能力がないと認めることになり、それ以降仕事がなくなってしまうことを意味します。なんとしてでも自分の失敗は取り繕い、他人に失敗の原因をなすりつけるか、やむを得ない状況で誰がやっても同じ結果であったことを強調しなければなりません。そこには反省、自省が入り込む隙間なぞないのです。
この「反省」「自省」は、日本の「わび」「さび」より、西欧人に最も分りにくいことかも知れません。
日本の義理のお兄さん、お姉さんたちがゴルフやダンスの大会の後、よく反省会と称して集まり、お酒を呑み、おいしいお料理を食べ陽気に騒ぐところばかり見ていましたから、私はズーッと「反省会」とは飲み会だと思っていましたから、私もあまり偉そうなことを言えませんが。
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