■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)



中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。




第1回~第50回まで

第51回:スポーツ・イベントの宣伝効果
第52回:国家の品格 その1
第53回:国家の品格 その2
第54回:国家の品格 その3
第55回:国家の品格 その4
第56回:人はいかに死ぬのか
第57回:人はいかに死ぬのか~その2


■更新予定日:毎週木曜日

第58回:ガンをつける

更新日2008/05/01


先日テレビでマウンテンゴリラの生態を放映していました。野生のゴリラの集団にあんなに近づいて大丈夫なのかしらと思うほど、女性の生物学者はゴリラ一族と行動を共にしていました。

その中で彼女は、「自分の姿をゴリラから常によく見えるようにな場所に置き、急激な行動をせず、私が無害な生き物だとゴリラに思わせることが大切だ…」と言っていましたが、そんなに理解のあるゴリラばかりではないのでは…と思うのですが、どうでしょう。その中で、彼女はゴリラと目を合わせず、首をうなだれるように頭を下げ、恭順の意図をはっきりと表すのが基本だと述べていました。

ゴリラ界では目を合わせ、シカッと睨み返すことは挑戦と受け取られ、それはチンパンジーやボノボのように進化したサル族でも同じだそうです。

ダンナさんは目と目を合わせるのを"ガンをつける"と言い、ヤクザやチンピラがインネンをつけるときに使う言葉だと教えてくれました。その意味では、ヤクザ屋さんとその系列の人はまだ類人猿に近いのかもしれませんね。

日本で電車で通勤していたとき、日本人はなんと目を合わせることを嫌う人種だろうと思いました。電車の中では、目をつぶるか、携帯をピコピコいじっているか、最近は少なくなりましたが、本を開くかで、生き生きとした目をカッと見開き周囲の人を観察したり、窓の外の景色を見たりしないのです。もっとも関西では、外人をジロジロと見回し、いかにも品定めをしている視線に気付くことが再三ありましたが、私が視線を返すと、ツイと目をそらすのです。

日本では、お店の店員さん、銀行や役所の窓口でも相手の目をしっかりと見据えて受け答えすることが少ないように思います。ごく少人数の集まり、パーティーや友達同士でおしゃべりするときでも、話し相手の目を見つめながらと…いうことはあまり経験がありません。

大雑把な言い方ですが、西欧全般に"話すときは相手から目を逸らすな、相手のの目を見て話せ"という教育を受け、話の途中で目線を外すのは"嘘をついている"か"自信のなさ"の表れとみなされます。アングロサクソン系やスカンジナビア系の人々は、それでもある程度の距離を置いて、目を見ながら会話するからまだよいのですが、スペイン、イタリアなどラテン系の人達は距離感が違い、私たちの大きな鼻がぶつかり合うくらいの至近距離でおしゃべりをします。

相手が美男美女ばかりではありませんから、相手の鼻毛やブツブツした皮膚、おばさんならウッスラと生えたヒゲを文字通り目と鼻の先にして、まるで唾を掛け合うようにお話をしなければなりません。

ところが、相手をジーッと見つめたと裁判に訴えられ、実刑の判決、禁固10日間と罰金刑の判決が下ったのです。また、裁判ゲームの好きなアメリカで、裁判マニアが起こした訴訟だと思っていたところ、事件?が起こったのはなんとイタリアでした。これには驚きました。と言うのはイタリアの男性は、女性と車の品定めの会話に終始することで定評があり、道行く女性の頭のテッペンからつま先まで厳しい鑑定者の目で判断するのを義務と心得ている…と思われ、誰も振り向かなくなったら、見つめてくれなくなったら現役を退いたとみなされるお国柄のことですから。

事件が起こったのは、レッコからミラノへの通勤電車の中で、初めはその男(30歳)は彼女(55歳)の隣に座り、ニ度目は向かいに座り、ジーッと彼女(55歳のおばさんですよ)を見つめたというのが罪状なのです。たった2回のことですから、ストーカー容疑でもないでしょう。"ガンをつける"ことが法的に罰せられる行為になると言うのです。これでは東京、大阪の通勤で毎日同じ時間、同じ車両に乗り合わせる人たちが互いにジロジロ見るのは、かなり危ない行為になってしまいます。ご注意を!

イタリア人の男性にも女性にも、とても生き生きとしたシャレ者が多いのは、互いによく見つめ合うからだと言われています。女性は男性に見つめられることで美しくなって行くのだし、男性も女性がいるから野蛮なマッチョではなく、洗練されたセックスアピールのできる大人になるのだというのです。私自身は全くファッションのセンスがなく、もっぱらジーンズとTシャツの愛好者ですが、自分に合ったファッションに身を固め、自信を持って颯爽と闊歩している人を見るのは大好きですし、楽しいものです。それは周囲を明るく照らしくれます。

ハイファッションに身を固めても、誰も見向きもしてくれないなら、とても哀しいことでしょう。"目は口ほどにモノを言う"ことがあるのは事実ですが、ジーッと見つめられたと言って訴訟を起こす社会は、誰も私を見てくれないので、見向きもしなかった人を訴える社会になってしまうまで後一歩なのでしょうか。

 

 

第59回:死んでいく言語