第68回:スポーツ・ファッション
更新日2008/07/10
最近、バスケットボールの選手たちはNBAのスーパースターも大学の選手たちも揃いも揃って膝まで届くようなズロンと長い、だぶだぶの短パンを穿いています。短パンというよりもステテコです。20~30年前にはお尻にぴったりと張り付くような、激短パンが主流だったのですが、いつのころから、だぶだぶヒップホップがファッションになってしまったようです。
逆に女性のテニスでは戦後まもなくまで長いスカートを翻してコートを走り回っていましたが、今では激ミニスカートタイプになり、あまり短くなりすぎ、パパラッティーのカメラが低いアングルから狙い、関心が肝心のプレーよりそちらの方に逸れてしまうのを防ぐためでしょうか、一種の自己防御のため、超ミニスカートの下に半長のタイツのようなものを穿くようになりました。
スポーツとファッションには切っても切れない関係があるようです。バスケット ボールやテニスのウエアは、スポーツそのものの機能にはあまり影響がなく、むしろファッションとしての要素が強いかもしれませんが、今回のスピード社の水着となると話が違ってきます。
オリンピックの競技の中で、およそ一番着る物、靴、道具などに左右されないのが競泳だと思っていました。ところがスピード社の競泳用の水着はそれを着るとタイムがグンと縮まり、身体が軽く浮くような感覚で滑るように泳げるという、まさに魔法の水着のようです。今度の北京オリンピックで一体何パーセントの選手がスピード社以外の水着を着るのか、入賞者の何パーセントがスピード社の水着を着ているのか、見ものです。独占禁止法には引っ掛かるくらい大半の選手がスピード社の水着を着ることでしょう。
乗りに乗っているスピード社とその関係者以外は、アメリカでも日本でも競泳協会、他のメーカーなど、とても頭を悩ませていることでしょう。私としても着る水着によってそれほど差がつくのはどうも納得がいきません。
そこで私に一つの解決策があります。もともと、水着を着るから問題が起こるのですから、着なければいいのです。裸で泳げは済むことで、これ以上公平な処置はありません。
古代オリンピックが素っ裸で行われていたことはよく知られています。これにも諸説あるようで、短距離走(192メートル)でわずらわしい腰布をはずして突っ走り、優勝した御仁が出てからだとか、レスリング競技で凶器を隠し持つことを防ぐために素っ裸を義務付けたとか言われています。ともかく全裸で300回近くの祭典をこなしてきたのですから、その伝統をまずは競泳に復活させてもなんら特異なことではないはずです。
夏の地中海に行ったことがある人なら、海岸に老若男女、孫もおばあさんも素っ裸で海と太陽と戯れているのを目にしていることでしょう。水着を着ているのが不自然に見えるくらいです。裸も慣れてしまえば、顔や頭と同じことです。
もう一つハダカでの競技には大きな役得があります。車のレーサーのように体を広告で覆うのです。日本は伝統芸術の刺青を世界に広げるチャンスだし、立派な体格に似合った彫り物を入れた選手はさぞ見ごたえがあるでしょう。刺青は痛いし、消えないしという選手は落ちにくいシールを体中に貼り付けてもいいでしょう。スポンサーのロゴマークのシールを張った選手は、莫大な契約金を手にできることは請合います。協会はその何パーセントかを取ればいいでしょう。
一つ困ったことは、古代ギリシャオリンピックでは女性の参加はもとより観客としてスタジアムに入ることすら許されていなかったことです。男に変装して観覧席に着いたツワモノの女性もいたらしいですが、オリンピックは女人禁制の男だけの世界でした。今でもいくつかのイスラム教国では、女性はサッカーの競技場に入場できないそうです。
ここにきて私の妙案は底が突いてしまいました。完全な男女オープン方式が理想ですが、それが無理だとすれば、女性の競泳には男性の入場を許さないことにしてはどうでしょうか。そうなるとよこしまな考えを持った男性が女装してたくさん入ってくるでしょうね。
古代オリンピックの精神を継承するなら、ハダカで競技するべきだと思いませんか?
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